大国主神

名前
  • 大國主神【古事記,日本書紀】(おおくにぬしのかみ, おほくにぬし)大国主神
  • 大穴牟遲神【古事記】(おおなむじのかみ, おほなむぢ)大穴牟遅神
  • 葦原色許男神【古事記】(あしはらしこおのかみ, あしはらし)葦原色許男神
  • 八千矛神【古事記】(やちほ)八千矛神
  • 宇都志國玉神【古事記】(うつしくにたま)宇都志国玉神
  • 葦原色許男【古事記】(あしはらしこお, あしはらしを)
  • 葦原色許男命【古事記】(あしはらしこおのみこと, あしはらし
  • 大己貴神【日本書紀】おおなむちのかみ, おほなむち)大己貴神
  • 大己貴命【日本書紀】(おおなむちのみこと, おほなむち
  • 國作大己貴命【日本書紀】(くにつくりのおおなむちのみこと, くにつくりおほなむち)国作大己貴命
  • 葦原醜男【日本書紀】(あしはらしこお, あしはらしを)
  • 八千戈神【日本書紀】(やちほ)八千戈神
  • 大國玉神【日本書紀】(おおくにたまのかみ, おほくにたま)大国玉神
  • 顯國玉神【日本書紀】(うつしくにたま)顕国玉神
  • 顯國玉【日本書紀】(うつしくにたま)顕国玉
  • 大己貴大神【日本書紀】(おおなむちのおおかみ, おほなむちおほか)大己貴大神
  • 葦原色許男大神【古事記】(あしはらしこおのおおかみ, あしはらしおほか)葦原色許男大神
  • 大國魂神【古語拾遺】(おおくにたまのかみ, おほくにたま)大国魂神
  • 葦原色男【先代旧事本紀】(あしはらしこお, あしはらしを)
  • 國造大穴牟遲命【先代旧事本紀】(くにつくりのおおなむちのみこと, くにつくりおほなむち)国造大穴牟遅命
  • 顯見國玉神【先代旧事本紀】(うつしくにたま)顕見国玉神
  • 葦原醜雄命【先代旧事本紀】(あしはらしこおのみこと, あしはらし
  • 大國主【新撰姓氏録抄】(おおくにぬし, おほくにぬし)大国主
  • 大奈牟智神【新撰姓氏録抄】(おおなむちのかみ, おほなむち)大奈牟智神
  • 大穴牟遲命【新撰姓氏録抄】(おおなむちのかみ, おほなむち)大穴牟遅命
キーワード
  • 後裔は大和国大神朝臣(おおみわのあそみ)・大和国賀茂朝臣(かものあそみ)・摂津国鴨部祝(かものはふり)・左京野実連(のみのむらじ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男神
  • 天之冬衣神あめのふゆきぬのかみ【古事記 上巻】
    • 素戔嗚尊すさのおのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第八段, 古語拾遺 一巻】
  • 刺国若比売さしくにわかひめ【古事記 上巻】
    • 奇稲田姫くしなだひめ【日本書紀 巻第一 神代上第八段】
先祖
  1. 天之冬衣神
    1. 淤美豆奴神
      1. 深淵之水夜礼花神
      2. 天之都度閉知泥神
    2. 布帝耳神
      1. 布怒豆怒神
  2. 刺国若比売
    1. 刺国大神
配偶者
  • 八上比売やがみひめ【古事記 上巻】
  • 須勢理毘売命すせりびめのみこと【古事記 上巻】
  • 沼河比売ぬなかわひめ【古事記 上巻】
  • 多紀理毘売命たきりびめのみこと【古事記 上巻】
  • 神屋楯比売命かむやたてひめのみこと【古事記 上巻】
  • 鳥耳神とりみみのかみ【古事記 上巻】
  • 高津姫神たかつひめのかみ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • ・・・
    • 玉櫛姫たまくしひめ【新撰姓氏録抄 第二帙 第十七巻 大和国神別 地祇 大神朝臣条】
  • 木俣神きのまたのかみ【古事記 上巻】【母:八上比売やがみひめ
  • 味耜高彦根神あじすきたかひこねのかみ【古事記 上巻】【母:多紀理毘売命たきりびめのみこと
  • 下照姫したてるひめ高比売命たかひめのみこと【日本書紀 巻第二 神代下第九段, 古事記 上巻】【母:多紀理毘売命たきりびめのみこと
  • 事代主神ことしろぬしのかみ【日本書紀 巻第二 神代下第九段, 古事記 上巻】【母:神屋楯比売命かむやたてひめのみこと
  • 鳥鳴海神とりなるみのかみ【古事記 上巻】【母:鳥耳神とりみみのかみ
  • 高照光姫大神命たかてるひめのおおかみのみこと【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】【母:高津姫神たかつひめのかみ
  • 建御名方神たけみなかたのかみ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】【母:高志沼河姫こしのぬなかわひめ
称号・栄典
  • 第6代十七世神とおまりななよのかみ【古事記 上巻】
出来事
  • 速須佐之男命櫛名田比売の間に生まれた神の名は八島士奴美神という。
    八島士奴美神大山津見神の女の木花知流比売を娶り、生まれた子は布波能母遅久奴須奴神
    この神は淤迦美神の女の日河比売を娶り、生まれた子は深淵之水夜礼花神
    この神は天之都度閉知泥神を娶り、生まれた子は淤美豆奴神
    この神は布怒豆怒神の女の布帝耳神を娶り、生まれた子は天之冬衣神
    この神は刺国大神の女の刺国若比売を娶り、生まれた子は大国主神。またの名を大穴牟遅神という。またの名を葦原色許男神という。またの名を八千矛神という。またの名を宇都志国玉神という。合わせて五つの名がある。

    【古事記 上巻】
  • 大国主神の兄弟には八十神(やそがみ)がいた。しかし皆が大国主神に国を譲った。
    その譲ったわけは、その八十神それぞれが稲羽(いなば)八上比売と結婚したいと思って、共に稲羽に行ったとき、大穴牟遅神に袋を負わせて従者として連れて行った。気多(けた)の岬に着いたとき、裸の兎が伏していた。そこで八十神は兎に「お前がすることは、この海水を浴びて、風の吹くのに当たり、高い山の頂上に伏しておくことだ」と言った。それでその兎は八十神の教えに従って伏した。すると海水が乾き、その体の皮が風に吹かれてひび割れた。それで痛みと苦しみで泣き伏した。最後にやって来た大穴牟遅神は、その兎を見て「なぜ泣き伏しているのだ」と言うと、兎は答えて、「私は淤岐島(おきのしま)にいて、この地に渡りたくても渡れませんでした。それで海の和邇(わに)を欺いて、『あなたと私と、どちらの同族が多いか数えてみたい。それであなたは同族皆を連れて来て、この島から気多の岬まで並んで伏していてください。私はその上を踏み走って数えます。これで私の同族とどちらが多いか知ることが出来ます』と言いました。そして欺かれて並び伏したときに、私はその上を踏み、数えながら渡って来て、今まさに地に降りようとしたときに、私が『お前は私に欺かれたのだ』と言い終わった途端に、最後に伏していた和邇に私は捕まり、衣服を剥がされました。それで泣いていたのです。そこに先にやって来た八十神の命から『海水を浴びて風に当たり伏しておけ』と教えられたので、その教えに従いましたが、体中が傷だらけになってしまいました」と。
    大穴牟遅神はその兎に「急いで水門(みなと)に行って、自分の体を水で洗いなさい。そしてその水門の蒲の花粉を取って敷き散らし、その上を繰り返し寝転がれば、あなたの肌は必ず癒えるでしょう」と教えた。
    それで教えの通りにすると、その体は元どおりになった。これが稲羽の素兎(しろうさぎ)である。今では兎神という。
    それでその兎は大穴牟遅神に「この八十神は、きっと八上比売を得ることは出来ないでしょう。袋を負ってるとはいえども、あなた様が得るでしょう」と言った。
    そこで八上比売は八十神に答えて「私はあなた達の言葉は聞きません。私は大穴牟遅神に嫁ぎます」と言った。
    それで八十神は怒って、大穴牟遅神を殺そうと思って皆で相談した。そして伯岐国(ほうきのくに)手間(てま)の山の麓に着いて、「赤い猪がこの山にいる。私達が追い下ろすので、お前は待って捕獲しろ。もし捕獲できなければ、必ずお前を殺す」と言った。そして猪に似た大石を火で焼いて転がし落とした。追い下ろすのを待っていた大穴牟遅神は、その石で焼け死んでしまった。
    このことを知った母神は泣き叫び、天に上って神産巣日之命に報告すると、𧏛貝比売蛤貝比売を遣わして復活させた。𧏛貝比売は身を削り集めた。蛤貝比売は待ち受けて、母乳と合わせた汁を塗ると、立派な男子になって出て行った。
    これを見た八十神は、また欺いて山に連れて入り、大木を切り倒して楔を打ち込み、その中に入らせると、楔を離して打ち殺した。
    また母神は泣き叫んで探して見つけた。そしてその木を折って取り出すと復活させた。そしてその子に「お前はこのままでは八十神に滅ぼされてしまう」と言うと、急いで木国(きのくに)大屋毘古神のもとへ遣った。
    しかし八十神は探し追ってきて、弓に矢をつがえて出すように迫った。それで木の股から逃した。
    母神はその子に告げて、「須佐能男命がおられる()堅州国(かたすくに)に参りなさい。必ずその大神は考えてくださるでしょう」と。それでその言葉に従って、須佐之男命のもとにやって来ると、その女の須勢理毘売が出てきて、目を合わせると結婚した。中に戻ってその父に「とても素敵な神がお越しになりました」と言った。
    その大神が出て見ると、「この者は葦原色許男というのだ」と言った。そして呼び入れて、蛇のいる室に寝させた。その妻の須勢理毘売命は蛇の領巾(ひれ)をその夫に与えて、「その蛇が食いつこうとしたら、この領巾を三度振って打ち払いなさいませ」と言った。それで教えに従うと、蛇は自然と静かになったので、安眠して室を出た。
    また翌日の夜には、呉公(むかで)と蜂の室に入った。また呉公と蜂の領巾を与えられ、先のように教えられて、安らかに出ることが出来た。
    また鳴鏑を大野の中に射入れて、その矢を探させた。それでその野に入ったのを見て、ただちに火でその野を焼いた。出る所が分からずにいると、鼠がやって来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言うので、そこを踏んで下に落ちてしまい、隠れ入っている間に火は焼け過ぎていった。そしてその鼠が鳴鏑を咥えて持ってきて渡した。その矢の羽は、その鼠の子供たちが全て食っていた。
    妻の須世理毘売は、葬式の道具を持って泣きながらやって来た。父の大神は、既に死んでいると思って、その野に出で立った。しかしその矢を持ってきて渡すとき、家に入れて、広い大室に呼び入れて、頭の虱を取らせた。その頭を見ると、呉公(むかで)が多くいた。その妻は(むく)の木の実と赤土を取って、夫に授けた。そえれでその木の実を嚙み砕き、赤土を口に含んで唾を出した。大神は呉公を喰いちぎって唾を出したと思い、心の中で可愛い奴だと思って寝た。
    そこでその大神の髪を掴んで、その室の垂木ごとに結い著けて、五百引石(いおびきのいわ)で室の戸を塞ぎ、妻の須世理毘売を背負って、その大神の生大刀(いくたち)生弓矢(いくみや)天詔琴(あまののりごと)を持って逃げ出したとき、その天詔琴が木に触れて地が鳴動した。それで寝ていた大神は聞いて驚き、その室を引き倒した。しかし垂木に結ばれた髪を解いている間に、遠くに逃げた。
    黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追って来ると、遠くを眺めて大穴牟遅神に言うには、「そのお前が持っている生大刀・生弓矢で、お前の兄弟を坂の尾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、お前が大国主神となり、また宇都志国玉神となって、我が(むすめ)須世理毘売を正妻として、宇迦山(うかのやま)の麓に宮柱を太く掘り立てて、高天原に届くほどに千木を高くして住め。この(やっこ)め」と。

    それでその大刀と弓を持って八十神を追い払うとき、坂の尾ごとに追い伏せ、河の瀬ごとに追い払って、国作りを始めた。

    八上比売は先の約束どおりに結婚した。それで八上比売も連れて来られたが、正妻の須世理毘売を恐れて、生んだ子を木の股に刺し挟んで帰った。それでその子の名を木俣神といい、またの名を御井神というのである。

    この八千矛神は、高志国(こしのくに)沼河比売に求婚するために出かけた。
    その沼河比売の家に着くと、歌を詠んだ。

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    沼河日売は戸を開かずに、中から歌を詠んだ。

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    それでその夜には会わずに、翌日の夜に会った。

    またその神の嫡后の須勢理毘売命は、とても嫉妬深かった。それでその夫神は悩み、出雲から倭国(やまとのくに)に上ろうとして、支度をして出立するとき、片手は馬の鞍にかけ、片足はその鐙に踏み入れて歌を詠んだ。

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    そこでその后は、大御杯を取って近寄ると、捧げて歌を詠んだ。

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    このように歌って酒杯を交わし、互いに首に腕をかけて、今でも仲睦まじく鎮座している。これを神語(かむがたり)というのである。

    それでこの大国主神は、胸形(むなかた)奥津宮(おきつみや)に鎮座する神である多紀理毘売命を娶り、生まれた子は阿遅鉏高日子根神。次に妹の高比売命。またの名は下光比売命。この阿遅鉏高日子根神を、今は迦毛大御神という。
    大国主神は、また神屋楯比売命を娶り、生まれた子は事代主神
    また八島牟遅能神の女の鳥耳神を娶り、生まれた子は鳥鳴海神。この神は日名照額田毘道男伊許知邇神を娶り、生まれた子は国忍富神。この神は葦那陀迦神。またの名は八河江比売を娶り、生まれた子は速甕之多気佐波夜遅奴美神。この神は天之甕主神の女の前玉比売を娶り、生まれた子は甕主日子神。この神は淤加美神の女の比那良志毘売を娶り、生まれた子は多比理岐志麻流美神。この神は比比羅木之其花麻豆美神の女の活玉前玉比売神を娶り、生まれた子は美呂浪神。この神は敷山主神の女の青沼馬沼押比売を娶り、生まれた子は布忍富鳥鳴海神。この神は若昼女神を娶り、生まれた子は天日腹大科度美神。この神は天狭霧神の女の遠津待根神を娶り、生まれた子は遠津山岬多良斯神
    上記の八島士奴美神から遠津山岬帯神までを称えて十七世神という。

    【古事記 上巻】
  • 大国主神が出雲(いずも)御大(みほ)の岬にいたとき、波頭から天之羅摩船(あまのかかみぶね)に乗り、鵝の皮を丸剥ぎに剥いで衣服にして、やって来る神がいた。そこで、その名を尋ねてみたが、答えは無かった。また付き従う諸神にも尋ねたが、皆「知りません」と言った。
    すると蟾蜍(たにぐく)が「この者はきっと久延毘古が知っている」と言ったので、すぐに久延毘古を呼んで尋ねると、「この者は神産巣日神の御子で少名毘古那神でございます」と答えた。
    それでこのことを神産巣日御祖命に尋ねると、答えて、「これは本当に私の子です。子の中で、私の手の股から漏れた子です。だからお前は、葦原色許男命と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と言った。
    それで大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神は共に並んで、この国を作り固めた。
    その後に、その少名毘古那神常世国(とこよのくに)に渡った。
    それでその少名毘古那神を顕わした久延毘古は、今は山田のそおどである。この神は足は歩けないが、天下の事を知り尽くした神だった。

    大国主神は憂えて、「私一人でどうやってこの国を作れるだろうか。いずれの神と私で、この国を作れば良いのだろうか」と言った。
    このとき海を照らしてやって来る神がいた。その神は「私をよく祭れば、私が共に作り成そう。そうでなければ、国は成り難いだろう」と言った。そこで大国主神は「どのようにお祭りすれば良いのでしょうか」と言うと、答えて「私を倭之青垣東山上(やまとのあおがきのひがしのやまのえ)に斎き祭れ」と。
    この者は御諸山(みもろやま)の上に鎮座する神である。

    【古事記 上巻】
    • 大国主神。またの名は大物主神。またの名は国作大己貴命。また葦原醜男という。また八千戈神という。また大国玉神という。また顕国玉神という。その子は全てで百八十一神いる。
      大己貴命と少彦名命は、力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。また現世の人民と家畜の為に、病気治療の方法を定めた。また鳥獣・昆虫の災いを払うために、除去する方法を定めた。これによって人民は今に至るまで、その恵みを存分に受けている。
      昔、大己貴命は少彦名命に「私達が造った国は、善く出来たと言えるだろうか」と言った。少彦名命は「あるいは出来たと言えます。あるいは出来ていないとも言えます」と答えた。この物語には、とても深いわけがあるのだろう。
      その後、少彦名命は熊野の岬に行って、遂に常世郷(とこよのくに)に去った。また淡島(あわのしま)に行って、粟茎(あわがら)に登り、弾かれて常世郷に渡ったともいう。
      この後、国の中でまだ出来上がっていない所を、大己貴神は一人でよく巡り造った。遂に出雲国にやって来た。そして「そもそも葦原中国(あしはらのなかつくに)は、もとから荒れて広い所だ。岩石や草木に至るまで強暴だ。しかし私がくだき伏せて、順わないというものは無い」と言った。そして「今この国を治めるのは、私一人だけである。その私と共に天下を治める者はいるだろうか」と言った。
      この時、神々しい光を海に照らして、忽然と浮かび来る者があった。そして言うには「もし私がいなかったら、お前はどのようにして、この国を治められようか。私がいることによって、お前は大きく造る手柄を立てられたのだ」と。
      大己貴神が「ではお前は誰だ」と問うと、「私はお前の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)である」と答えた。大己貴神は「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂・奇魂です。今どこにお住みになりたいと思われますか」と言った。答えて「私は日本(やまと)国の三諸山(みもろやま)に住みたいと思う」と。それでその地に宮を造って住まわせた。これが大三輪神である。この神の子は、甘茂君(かものきみ)ら、大三輪君(おおみわのきみ)ら、また姫蹈鞴五十鈴姫命である。

      または、事代主神八尋熊鰐(やひろわに)になって、三島溝樴姫(あるいは玉櫛姫という)の所へ通ったという。そして生まれた子は姫蹈鞴五十鈴姫命。これは神日本磐余彦火火出見天皇の后である。

      はじめ大己貴神が国を平定する時に、出雲国の五十狭狭(いささ)小汀(おはま)に行って、飲食をしようとした時、海の上に突然人の声がしたので、驚いて探したが、何も見えなかった。
      しばらくして一人の小男が、白蘞(やまかがみ)の皮で舟を作り、鷦鷯(さざき)の羽で衣を作り、潮流に従って浮かび来た。大己貴神はそれを掌の中に置いて、玩んでいると、跳ねてその頬を嚙んだ。それでその姿を怪しんで、天神に遣いを送って報告した。
      この時、高皇産霊尊はこれを聞いて「私が生んだ子は、全てで千五百柱いる。その中の一子がとても悪く、教えに順わなかった。指の間から漏れ落ちたのが、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」と言った。これが少彦名命である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
    • 大己貴神と少彦名神高皇産霊尊の子で、常世国に退いた)は共に力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。
      人民・家畜のために、療病の方法を定め、また鳥獣・昆虫の災いを払うために、禁厭の法を定めた。万民は今に至るまで、ことごとく恩頼を蒙る。皆効験があった。

      【古語拾遺 一巻】
    • はじめ大己貴命と少彦名命の二柱の神は葦原中国にいて、水母(くらげ)のように浮かび漂う時に、造り成して、名付けることは既に終わった。
      少彦名命が常世に渡った後、国中の未だ成らない所を、大己貴命は一人よく巡って造り成した。
      遂に出雲国の五十狭狭(いささ)の小汀に着いて言うには、「葦原中国は元々荒れ広がっていた。岩・石・草木に至るまで強く荒々しかった。しかし既に私がくだき伏せて、従わないものはない」と。そして「今この国を治めるのは、私ただ一人のみ。その私と共に天下を治める者はあるか」と言った。
      時に怪しい光が海を照らした。急に浪の末を踊り出て、素装束(しろきみそ)で、天蕤槍(あまのみほこ)を持ち、浮かび来るものがあった。そして言うには、「もし私がいなければ、お前はどうしてこの国を平らげることができようか。もし私がいなければ、どうして造り堅めることができて、大いなる功績を建てられただろうか」と。
      大己貴命は「貴方は誰ですか。名は何というのですか」と尋ねた。答えて「私はあなたの幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)術魂の神である」と。
      大己貴命は「いかにも。私はこれが私の幸魂・奇魂と知りました。今どこにお住みになりたいですか」と言った。答えて「日本国(やまとのくに)青垣(あおがき)三諸山(みもろやま)に住みたいと思う」と。大倭国(やまとのくに)城上郡(しきかみのこおり)におられるのがこれである。
      それで神の願いに従って青垣(あおがき)三諸山(みもろのやま)に斎い奉った。そして宮を営んで住まわせた。これが大三輪大神である。その神の子が、甘茂君(かものきみ)大三輪君(おおみわのきみ)らである。

      大己貴神は天羽車大鷲(あまのはぐるまのおおわし)に乗って、妻を求めて茅渟県(ちぬのあがた)に降って行き、大陶祇の娘の活玉依姫を妻として娶った。人に知られずに密かに往来する間に女は身ごもった。父母は疑い怪しんで「誰か来ているのか」と問うた。娘は「神人がお見えになります。屋上から下り入って来られて、共に横になるだけです」と答えた。
      父母は急いで察かにしたいと思い、麻を紡いで(へそ)を作り、針を神人の裳裾にかけた。
      翌朝に糸をたどってみた。鍵穴を超え、茅渟山(ちぬのやま)を経て、吉野山(よしののやま)に入り、三諸山(みもろのやま)に留まった。まさに大神であることを知った。その綜の跡を見ると三つの輪があった。三輪山(みわやま)と名付けて、大山輪神社(おおみわのかみのやしろ)という。

      【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 天照大神の子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の女の栲幡千千姫を娶り、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生んだ。それで皇祖高皇産霊尊は特に可愛がって大事に育てた。

    遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国(あしはらのなかつくに)の主にしたいと思った。
    しかしその地には、蛍火のように輝く神や、騒がしくて従わない神が多くいた。また草木はよく物を言っておびやかした。
    それで高皇産霊尊は八十諸神を召し集めて、「私は葦原中国の邪鬼を払い平らげたいと思う。誰を遣わすのがよいだろうか。諸神は知っていることを隠してはならぬぞ」と尋ねた。皆は「天穂日命は神の中で傑出して御座います。お試しになるのがよいかと存じます」と言った。
    そこで皆の言葉に順って、天穂日命を送って平定させた。しかしこの神は、大己貴神におもねり媚びて、三年間復命しなかった。
    それでその子の大背飯三熊之大人、またの名は武三熊之大人を遣わしたが、これもまたその父に順って復命しなかった。
    それで高皇産霊尊はまた諸神を集めて誰を遣わすかを尋ねた。皆は「天国玉の子の天稚彦は壮士で御座います。お試しになるのがよいかと存じます」と言った。
    そこで高皇産霊尊天稚彦天鹿児弓(あまのかごゆみ)天羽羽矢(あまのははや)を賜って遣わした。この神もまた忠誠ではなかった。
    到着すると、顕国玉の女の下照姫(またの名は高姫。またの名は稚国玉)を娶り、留り住んで「私もまた葦原中国を治めたいと思う」と言った。遂に復命しなかった。
    この時高皇産霊尊は久しく復命しないことを怪しんで、名も無い雉を遣わして探らせた。その雉は飛び降りて、天稚彦の門前に立つ湯津杜木(ゆつかつら)の梢に止まった。天探女はこれを見て、天稚彦に「不思議な鳥が杜の梢に降りました」と言った。天稚彦高皇産霊尊から賜った天鹿児弓・天羽羽矢を取って、雉を射殺した。その矢は雉の胸を貫いて、高皇産霊尊の御前に届いた。高皇産霊尊はその矢を見て、「この矢は、昔私が天稚彦に賜った矢である。血が矢に付いている。おそらく国神と戦ったのだろう」と言った。そこで矢を取って投げ返して下した。その矢は落ち下って、天稚彦の胸に当たった。この時天稚彦は、新嘗をして休んで寝ていた時で、矢が当たって死んでしまった。これを世の人が、反矢可畏(かえしやいむべし)というもとである。
    天稚彦の妻の下照姫は泣き悲み、声は天にまで達した。この時天国玉はその泣き声を聞いて、天稚彦が死んだことを知った。それで疾風(はやち)を使い、屍を上げて天に戻した。そして喪屋を造って(もがり)をした。
    川鴈(かわかり)持傾頭者(きさりもち)及び持帚者(ははきもち)とした(あるいは(かけ)を持傾頭者とし、川鴈を持帚者としたという)。また雀を舂女(つきめ)(あるいは川鴈を持傾頭者とし、また持帚者とし、(そび)尸者(ものまさ)とし、雀を舂者とし、鷦鷯(さざき)哭者(なきめ)とし、(とび)造綿(わたつくり)とし、烏を宍人者(ししひと)としたという。すべて諸々の鳥に事を任せた)とした。そして八日八夜、泣き悲しんで偲んだ。

    これより先、天稚彦が葦原中国にいる時、味耜高彦根神と仲がよかった。そこで味耜高彦根神は天に昇って喪を弔った。この神の容貌は、生前の天稚彦に実に似ていた。
    それで天稚彦の親族妻子は皆「我が君は死なずにおられたのだ」と言って、衣の帯によじかかって喜び、また泣き叫んだ。味耜高彦根神は怒りを露にして「朋友の道理として弔うのだから、穢れを憚らずに、遠くから参って哀しむのだ。なぜ私を死者と間違うのか」と言うと、その帯びている大葉刈(おおはがり)(またの名は神戸剣(かむどのつるぎ))を抜いて、喪屋を斬り伏せた。これが落ちて山となった。今、美濃国の藍見川(あいみがわ)のそばにある喪山がこれである。世の人が死人に間違われることを嫌うのは、これがそのもとである。

    この後、高皇産霊尊はまた諸神を集めて、葦原中国に遣わす者を選んだ。皆は「磐裂根裂神の子の磐筒男磐筒女が生んだ子の経津主神が良いでしょう」と言った。
    時に天石窟(あまのいわや)に住む神で、稜威雄走神の子の甕速日神甕速日神の子の熯速日神熯速日神の子の武甕槌神。この神が進み出て「どうして経津主神だけが丈夫(ますらお)で、私は丈夫ではないのですか」と言った。その語気が大変激しかったので、経津主神に副えて、葦原中国を平定させた。

    二神は出雲国の五十田狭(いたさ)小汀(おはま)に降り、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、逆さまに地に突き立てて、その剣先にしゃがんで、大己貴神に問うには、「高皇産霊尊は皇孫をお降しになって、この地に君臨させるおつもりである。それで先に我々二神が遣わされて平らげるのである。お前の考えはどうだ。去るのか否か」と。大己貴神は「我が子に聞いて、その後に報告したいと思います」と答えた。
    この時その子の事代主神は出かけて、出雲国の三穂(みほ)の崎で釣りを楽しんでいた。あるいは、鳥射ちを楽しんでいたともいう。そこで熊野諸手船(くまののもろたふね)、またの名は天鴿船(あまのはとぶね)稲背脛を乗せて遣わした。そして高皇産霊尊の勅を事代主神に伝えて、返答の言葉を尋ねた。事代主神は使者に「天神が仰せになるのです。父はお去りになるのが宜しいでしょう。私もまた違えることはしません」と言った。そして海中に八重蒼柴籬(やえのあおふしかき)を造り、船の側板を渡って去った。使者は還って復命した。それで大己貴神は子の言葉を、二神に報告して「私が頼みとした子は、既に去りました。私もまた去りたいと思います。もし私が戦い防ぐことがあれば、国内の諸神は必ず一緒に戦うでしょう。今私が去れば、あえて従わないという者は誰もいないでしょう」と言った。
    そして国を平らげる時に用いた広矛(ひろほこ)を二神に渡して言うには、「私はこの矛を使って事を成し遂げました。天孫がもしこの矛をお使いになって国をお治めになれば、必ずや平安となるでしょう。私は今まさに幽界に去りたいと思います」と。言い終わると遂に去っていった。
    二神は従わない諸神を誅して復命した。
    あるいは、二神は遂に邪神及び草・木・岩の類を誅して、全て平らげた。従わない者は、星神の香香背男のみとなった。そこで倭文神建葉槌命を遣わして服従させた。そして二神は天に登ったという。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
    • 武甕槌神経津主神は出雲に降り、大己貴神に「お前はこの国を天神に奉るのか否か」と問うと、「我が子の事代主が鳥射ちを楽しんで、三津の崎におります。今すぐ尋ねてご返事致します」と答えた。そして使いを遣わして答えるには、「天神のお求めになる所を、どうして奉らぬことが出来ましょう」と。それで大己貴神は、その子の言葉を二神に報告した。二神は天に昇って、「葦原中国は全て平らげました」と報告した。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
    • 経津主神武甕槌神は出雲の五十田狭(いたさ)小汀(おはま)に着いた。そして大己貴神に「お間はこの国を、天神に奉るのか否か」と問うと、「疑います。あなた方二神が私の所へいらっしゃったのではありませんか。許せません」と答えた。そこで経津主神は還り昇って報告した。
      この時高皇産霊尊は、また二神を遣わし、大己貴神に勅して「今お前が言うことを聞くと、深く理に適っている。そこで詳しく条件を勅そう。お前が治める現世の事は、私の孫が治めるべきである。お前は神事を治めるのがよいだろう。またお前が住むべき天日隅宮(あまのひすみのみや)は、今まさに造るが、千尋の栲縄で、しっかり結ぼう。その宮を造るきまりは、柱は高く太く、板は広く厚くしよう。また田を作って与えよう。またお前が海に通って海ぶために、高橋・浮橋・天鳥船を造ろう。また天安河(あまのやすのかわ)に打橋を造ろう。また供しっかりと縫った白楯を造ろう。またお前の祭祀を司るのは天穂日命である」と。そこで大己貴神は「天神のお教えは慇懃で御座います。あえて御下命に従わないことがありましょうか。私が治める現世の事は、皇孫がお治めになるべきです。私は退いて幽事を治めましょう」と言って、岐神を二神に薦めて言うには、「この神が私の代わりとしてお仕え奉ります。私はここから去りましょう」と。そして体に八坂瓊(やさかに)の瑞をつけて、長く隠れた。
      それで経津主神岐神を先導とし、巡り歩いて平定した。逆らう者がいれば斬り殺した。帰順する者には褒美を与えた。
      この時帰順した首長は、大物主神事代主神である。そして八十万神(やそよろずのかみ)天高市(あまのたけち)に集め、率いて天に昇り、誠の心を述べた。
      高皇産霊尊大物主神に「お前がもし国神を妻とするなら、私はお前が親しい心ではないと思う。そこで私の(むすめ)三穂津姫をお前の妻にしよう。八十万神を率いて、永く皇孫の為に護り奉れ」と勅して、還り降らせた。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
    • 高御産巣日神天照大御神は、天安河(あまのやすのかわ)の河原に八百万神を集めて、思金神に「この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が御子が治める国として委任した国である。しかしこの国には道速振(ちはやぶ)荒振(あらぶ)る国神達が多くいる。どの神を遣わして、説伏させれば良いだろうか」と言った。思金神と八百万神が相談して言うには、「天菩比神を遣わすのが良いでしょう」と。それで天菩比神を遣わしたが、大国主神に媚び従ってしまい、三年経っても復命しなかった。

      高御産巣日神天照大御神は、また諸神に「葦原中国に遣わした天菩比神は久しく復命しない。また何れの神を遣わせば良いだろうか」と尋ねた。そこで思金神は「天津国玉神の子の天若日子を遣わすのが良いでしょう」と答えた。それで天之麻迦古弓(あまのまかこゆみ)天之波波矢(あまのははや)天若日子に賜って遣わした。
      天若日子はその国に降り立つと、すぐに大国主神の女の下照比売を娶り、またその国を我が物とするために思慮して、八年復命しなかった。
      それで天照大御神高御産巣日神は、また諸神に「天若日子は久しく復命しない。また何れの神を遣わして、天若日子が久しく留まっている理由を問えば良いか」と尋ねた。諸神と思金神は「(きぎし)の、名は鳴女(なきめ)を遣わすのが良いでしょう」と答えた。
      詔して、「お前が天若日子に『お前を葦原中国に遣わしたのは、その国の荒振る神たちを服従させるためである。なぜ八年も復命しないのか』と問い質せ」と。

      それで鳴女は天降って、天若日子の家の門の湯津楓(ゆつかつら)の上に止まり、詳しく天神の言葉を伝えた。天佐具売はこの鳥の言葉を聞いて、天若日子に「この鳥の鳴き声は、とても不吉です。だから射殺してしまいなさい」と言った。天若日子は、すぐに天神から賜った天之波士弓と天之加久矢を持って、その雉を射殺した。しかしその矢は雉の胸を貫いて、逆さまに射上げられて、天安河の河原にいる天照大御神高木神の所に達した。高木神とは高御産巣日神の別名である。それで高木神はその矢を取って見ると、その矢羽に血がついていた。そこで高木神は「この矢は天若日子に賜った矢である」と言って、諸神に示すと、「もし天若日子が命を誤らずに、悪い神を射た矢であれば、天若日子には当たるな。もし邪心が天若日子にあれば、この矢で死ね」と言って、その矢を取り、その矢の開けた穴から下に突き返すと、寝ていた天若日子の胸に当たって死んだ。これが還矢(かえしや)のもとである。またその雉が帰ることはなかった。今の諺で、「(きぎし)頓使(ひたづかい)」というのはこれである。

      それで天若日子の妻の下照比売の泣き声は響いて、風と共に天に至った。天にいる天若日子の父の天津国玉神は、その妻子の声を聞き、天降って泣き悲しんだ。そしてそこに喪屋を建てた。河雁をきさり持とし、鷺を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉を哭女(なきめ)とした。このように定めて、八日八夜の間、歌舞をした。
      このとき、阿遅志貴高日子根神がやって来て、天若日子を弔うとき、天降った天若日子の父、またその妻が皆泣いて、「我が子は死なずに生きていたのだ。我が夫は死なずに生きておられたのだ」と言って、手足を取って泣き悲しんだ。間違えたわけは、この二柱の神の容姿がとてもよく似ていたからである。それでこのように間違えたのである。
      阿遅志貴高日子根神は激怒して、「私は親しい友を弔うためにやって来たのだ。なぜ私を穢れた死人と比べるのだ」と言うと、佩いていた十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばした。これが美濃国(みののくに)藍見河(あいみがわ)の河上にある喪山(もやま)である。その持って切った大刀(たち)の名は大量(おおはかり)という。またの名を神度剣(かむどのつるぎ)という。
      それで阿治志貴高日子根神は怒って飛び去るとき、その同母妹の高比売命に、その名を明らかにしようと思って歌を詠んだ。

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      この歌は夷振(ひなぶり)である。

      そこで天照大御神は「また何れの神を遣わせば良いだろうか」と言った。思金神と諸神が言うには、「天安河(あまのやすのかわ)の河上の天石屋(あまのいわや)におられる、名は伊都之尾羽張神。これを遣わすのが良いでしょう。もしこの神でなければ、その神の子の建御雷之男神を遣わすのが良いでしょう。またその天尾羽張神は、天安河の水を逆に塞き上げ、道を塞いでおりますので、他の神は道を行かれないでしょう。そこで別に天迦久神を遣わして尋ねるのが良いでしょう」と。それで天迦久神を遣わして天尾羽張神に尋ねると、「畏まりました。お仕え致します。しかしこの道には我が子の建御雷神を遣わすのが良いでしょう」と答えた。そこで天鳥船神建御雷神に副えて遣わした。
      この二神は出雲国(いずものくに)伊那佐(いなさ)の小浜に降り着くと、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、逆さまに波頭に刺し立てて、趺坐その剣の先にあぐらをかいて、その大国主神に「天照大御神高木神の仰せによって、そなたを尋ねるためにお遣わしになった。『お前が治める葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が御子が治めるべき国である』との仰せである。そなたの心は如何であるか」と尋ねると、「私には分かりません。我が子の八重言代主神であればお答えが出来るでしょう。しかし鳥狩りや魚を取るために、御大(みほ)の岬に行って、まだ帰って来ておりません」と答えた。
      それで天鳥船神を遣わして、八重事代主神を呼び寄せて尋ねると、その父の大神に「畏まりました。この国は天神の御子に奉りましょう」と言って、その船を踏み傾け、天の逆手を打って青柴垣に変えて隠れた。

      それでその大国主神に「今、そなたの子の事代主神がこのように申した。他に意見する子はあるか」と尋ねると、「他に我が子の建御名方神がおります。これ以外にはおりません」と答えた。
      このように言う間に、その建御名方神千引石(ちびきのいわ)を手の先にささげてやって来て言うには、「誰だ。我が国に来て、こそこそと物を言うのは。それでは力競べをしようでははないか。まず私が先にそのお手を取ろう」と。それですぐさまその手を取ったが、氷柱に変化し、また剣の刃に変化してしまい、それで怖じて退いた。今度はその建御名方神の手を取ろうと反対に所望して、若い葦を掴むように握りつぶして投げ捨てると、すぐに逃げ去った。
      それで追いかけて、科野国(しなののくに)州羽海(すわのうみ)まで追い詰めて、まさに殺そうとしたとき、建御名方神は「恐れ入りました。私を殺さないでください。この地を離れては、他所には行きません。また我が父大国主神の命令を違えません。八重事代主神の言葉も違えません。この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、天神の御子のお言葉に従って献上致します」と言った。
      それでまた帰って来て、その大国主神に「お前の子の事代主神建御名方神の二神は、天神の御子のお言葉に従って違えないと申した。それでお前の心はどうなのか」と尋ねると、「我が子ら二神の言葉の通りに、私も違えません。この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、お言葉に従って献上致します。ただ私の住む所は、天神の御子が皇位をお継ぎになる立派な宮殿のように、地底の盤石に宮柱を太く立てて、高天原に届くほどに千木を高くしてお治め賜れば、私は遠い遠い片隅の国に隠遁致しましょう。また我が子ら百八十の神は、八重事代主神が率先してお仕え奉れば、違える神はいないでしょう」と答えた。
      こうして出雲国(いずものくに)多芸志(たぎし)の小浜に宮殿を造った。水戸神の孫の櫛八玉神膳夫(かしわで)となって御饗を献上するとき、櫛八玉神は祈って鵜になると海の底に入った。そして底の泥を咥えて出てきて天八十毘良迦(あまのやそびらか)を作り、海布()の茎を刈り取って燧臼(ひきりうす)を作り、海蓴(こも)の茎で燧杵(ひきりぎね)を作り、火を()り出して言うには、「この私が鑚り出した火は、高天原では神産巣日御祖命の立派な宮殿に(すす)が長々と垂れるまで焚きあげ、地の下は地底の盤石まで焚き固まらせて、栲縄(たくなわ)を打ち延ばした千尋縄(ちひろなわ)を、海人が釣った口の大きい尾鰭の張った鱸を、さわさわと引き寄せ上げて、簀が撓むほどに魚料理を献ります」と。
      それで建御雷神は帰り上って、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したことを報告した。

      【古事記 上巻】
    • 天照大神高皇産霊神は、天津彦尊豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)の主として降らせたいと思い、経津主神武甕槌神を遣わして、平定させた。
      大己貴神及びその子である事代主神は、共に譲り渡し、国を平らげた矛を二神に授け、「私はこの矛で、遂に事を成すことができた。天孫がもしこの矛を用いて国を治めれば、必ずや平安となるでしょう。今、私は冥界にこもりましょう」と言った。言い終わると遂に去っていった。

      【古語拾遺 一巻】
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