名前
  • 少名毘古那神【古事記】(すくな)少名毘古那神
  • 少彥名命【日本書紀】(すくな)少彦名命
  • 少彥名神【古語拾遺】(すくな)少彦名神
  • 神産巣日神かみむすひのかみ【古事記 上巻】
    • 高皇産霊尊たかみむすひのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
先祖
  1. 神産巣日神
出来事
  • 大国主神出雲(いずも)御大(みほ)の岬にいたとき、波頭から天之羅摩船(あめのかかみぶね)に乗り、鵝の皮を丸剥ぎに剥いで衣服にして、やって来る神がいた。そこで、その名を尋ねてみたが、答えは無かった。また付き従う諸神にも尋ねたが、皆「知りません」と言った。
    すると蟾蜍(たにぐく)ヒキガエル。が「この者はきっと久延毘古が知っている」と言ったので、すぐに久延毘古を呼んで尋ねると、「この者は神産巣日神の御子で少名毘古那神でございます」と答えた。
    それでこのことを神産巣日御祖命に尋ねると、答えて、「これは本当に私の子です。子の中で、私の手の股から漏れた子です。だからお前は、葦原色許男命大国主神の別名。と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と言った。
    それで大穴牟遅大国主神の別名。と少名毘古那の二柱の神は共に並んで、この国を作り固めた。
    その後に、その少名毘古那神は常世国(とこよのくに)に渡った。

    【古事記 上巻】
    • 大己貴命と少彦名命は、力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。また現世の人民と家畜の為に、病気治療の方法を定めた。また鳥獣・昆虫の災いを払うために、除去する方法を定めた。これによって人民は今に至るまで、その恵みを存分に受けている。
      昔、大己貴命は少彦名命に「私達が造った国は、善く出来たと言えるだろうか」と言った。少彦名命は「あるいは出来たと言えます。あるいは出来ていないとも言えます」と答えた。この物語には、とても深いわけがあるのだろう。
      その後、少彦名命は熊野の岬に行って、遂に常世郷(とこよのくに)に去った。また淡島(あわのしま)に行って、粟茎(あわがら)に登り、弾かれて常世郷に渡ったともいう。

      はじめ大己貴神が国を平定する時に、出雲国の五十狭狭(いささ)小汀(おはま)に行って、飲食をしようとした時、海の上に突然人の声がしたので、驚いて探したが、何も見えなかった。
      しばらくして一人の小男が、白蘞(やまかがみ)の皮で舟を作り、鷦鷯(さざき)ミソサザイの古名。鷦鷯。此云娑娑岐。の羽で衣を作り、潮流に従って浮かび来た。大己貴神はそれを掌の中に置いて、玩んでいると、跳ねてその頬を嚙んだ。それでその姿を怪しんで、天神に遣いを送って報告した。
      この時、高皇産霊尊はこれを聞いて「私が生んだ子は、全てで千五百柱いる。その中の一子がとても悪く、教えに順わなかった。指の間から漏れ落ちたのが、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」と言った。これが少彦名命である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
    • 大己貴神と少彦名神(高皇産霊尊の子で、常世国に退いた)は共に力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。
      人民・家畜のために、療病の方法を定め、また鳥獣・昆虫の災いを払うために、禁厭の法を定めた。万民は今に至るまで、ことごとく恩頼を蒙る。皆効験があった。

      【古語拾遺 神代段】