少名毘古那神
- 名前
- 少名毘古那神【古事記】(すくなびこなのかみ)少名毘古那神
- 少彥名命【日本書紀】(すくなひこなのかみ)少彦名命
- 少彥名神【古語拾遺】(すくなびこなのかみ)少彦名神
- 性別
- 男神
- 親
- 先祖
- 出来事
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大国主神が
【古事記 上巻】出雲 の御大 の岬にいたとき、波頭から天之羅摩船 に乗り、鵝の皮を丸剥ぎに剥いで衣服にして、やって来る神がいた。そこで、その名を尋ねてみたが、答えは無かった。また付き従う諸神にも尋ねたが、皆「知りません」と言った。
すると蟾蜍 ヒキガエル。が「この者はきっと久延毘古が知っている」と言ったので、すぐに久延毘古を呼んで尋ねると、「この者は神産巣日神の御子で少名毘古那神でございます」と答えた。
それでこのことを神産巣日御祖命に尋ねると、答えて、「これは本当に私の子です。子の中で、私の手の股から漏れた子です。だからお前は、葦原色許男命大国主神の別名。と兄弟となって、その国を作り固めなさい」と言った。
それで大穴牟遅大国主神の別名。と少名毘古那の二柱の神は共に並んで、この国を作り固めた。
その後に、その少名毘古那神は常世国 に渡った。-
大己貴命と少彦名命は、力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。また現世の人民と家畜の為に、病気治療の方法を定めた。また鳥獣・昆虫の災いを払うために、除去する方法を定めた。これによって人民は今に至るまで、その恵みを存分に受けている。
昔、大己貴命は少彦名命に「私達が造った国は、善く出来たと言えるだろうか」と言った。少彦名命は「あるいは出来たと言えます。あるいは出来ていないとも言えます」と答えた。この物語には、とても深いわけがあるのだろう。
その後、少彦名命は熊野の岬に行って、遂に常世郷 に去った。また淡島 に行って、粟茎 に登り、弾かれて常世郷に渡ったともいう。はじめ大己貴神が国を平定する時に、出雲国の
【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】五十狭狭 の小汀 に行って、飲食をしようとした時、海の上に突然人の声がしたので、驚いて探したが、何も見えなかった。
しばらくして一人の小男が、白蘞 の皮で舟を作り、鷦鷯 ミソサザイの古名。鷦鷯。此云娑娑岐。の羽で衣を作り、潮流に従って浮かび来た。大己貴神はそれを掌の中に置いて、玩んでいると、跳ねてその頬を嚙んだ。それでその姿を怪しんで、天神に遣いを送って報告した。
この時、高皇産霊尊はこれを聞いて「私が生んだ子は、全てで千五百柱いる。その中の一子がとても悪く、教えに順わなかった。指の間から漏れ落ちたのが、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ」と言った。これが少彦名命である。
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