大田田根子

名前
  • 大田田根子【日本書紀】(おおたたねこ, おほたたね
  • 大田田根子命【日本書紀】(おおたたねこのみこと, おほたたね
  • 意富多多泥古命【古事記】(おおたたねこのみこと, おほたたね
  • 意富多多泥古【古事記】(おおたたねこ, おほたたね
  • 大田田禰古命【新撰姓氏録抄,先代旧事本紀】(おおたたねこのみこと, おほたたね
  • 意富太多根子命【新撰姓氏録抄】(おおたたねこのみこと, おほたたね
  • 大直禰古命【先代旧事本紀】(おおたたねこのみこと, おほたたね
キーワード
  • 三輪君(みわのきみ)等之始祖【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年十二月乙卯条】
  • 神君(みわのきみ)鴨君(かものきみ)之祖【古事記 中巻 崇神天皇段】
  • 後裔は摂津国神人(みわひと)・摂津国神直(みわのあたい)・大和国三歳祝(みとしのはふり)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 崇神天皇7年2月15日)
没年月日
(崇神天皇8年12月20日 ~ )
  • 大物主大神おおものぬしのおおかみ【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
    • 建甕槌命たけみかづちのみこと古事記では大物主神と活玉依媛は先祖にあたるが、父母ではない。【古事記 中巻 崇神天皇段】
    • 建飯賀田須命たけいいかたすのみこと【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 活玉依媛いくたまよりひめ古事記では先祖であるが、母ではない。【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
    • 鴨部美良姫かもべのみらひめ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
先祖
  1. 大物主大神
  2. 活玉依媛
    1. 陶津耳
配偶者
  • 美気姫みけひめ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 大御気持命おおみけもちのみこと【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】【母:美気姫みけひめ
出来事
  • 崇神天皇7年2月15日

    崇神天皇が詔して「昔、我が皇祖が大業を開いた。その後、聖業はいよいよ高く、王風は盛んであった。しかし今朕の世に当たり、しばしば災害がある。恐らく朝廷に善政が無く、神祇が咎を与えておられるのだろう。占いで災いのもとを探ろう」と。
    そこで天皇は神浅茅原(かんあさちはら)にて八十万神に占って尋ねた。
    このとき倭迹迹日百襲姫命に神憑り、「天皇はなぜ国の治まらないことを憂えているのか。もし私を敬い祭れば、必ず自ずと平らぐだろう」と言った。
    天皇は教える神を誰かと尋ねた。すると「私はこの倭国の域の内に居る神。名は大物主神である」と答えた。
    この時、神の言葉を得て、神の教えのままに祭祀した。しかし猶も験は無かった。
    天皇は斎戒沐浴して、殿内を清め、祈って言うには「神への礼が足らないのでしょうか。なぜ受け入れて頂けないのでしょうか。どうかまた夢で教えて頂きたく存じます」と。
    その夜、夢に一人の貴人が現れて殿戸に立つと、自ら大物主神と名乗り、「憂えなくてもよい。国が治まらないことは我が意である。もし我が子の大田田根子に吾を祭らせれば、たちどころに平らぐであろう。また海外の国も自ら帰伏するであろう」と言った。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年二月辛卯条】
    • 疫病が多く起り、人民は死に尽きようとしていた。

      崇神天皇が憂い嘆いて神牀(かんどこ)に坐した夜。大物主大神が夢に現れて言うには「これは私の御心だ。意富多多泥古に私を祭らせれば、神の祟りは起らず、国は安らかに平らぐ」と。
      そこで駅使(はゆまづかい)を四方に遣わし、意富多多泥古という人を求めると、河内の美努村(みののむら)にその人を見つけて貢進した。
      天皇が「お前は誰か」と問うと、答えて「私は、大物主大神陶津耳命(むすめ)活玉依毘売を娶って生まれた子、名は櫛御方命の子の飯肩巣見命の子の建甕槌命の子で、意富多多泥古と申します」と。
      天皇は大いに喜び、「天下は平らぎ、人民は栄えるであろう」と言った。

      【古事記 中巻 崇神天皇段】
  • 崇神天皇7年8月7日

    倭迹速神浅茅原目妙姫大水口宿禰伊勢麻績君の三人が、同じ夢を見て言うには「昨夜、夢で一人の貴人があり、『大田田根子命大物主大神の祭主とし、また市磯長尾市倭大国魂神の祭主とすれば、必ず天下太平となるであろう』と教えて頂きました」と。
    天皇は夢の言葉を得てますます喜び、天下に大田田根子を求めると、茅渟県(ちぬのあがた)陶邑(すえのむら)で見つけて連れてきた。
    天皇は神浅茅原(かんあさちはら)にやって来て、諸王卿及び八十諸部を集めて、大田田根子に「お前は誰の子であるか」と尋ねると、「父は大物主大神と申します。母は活玉依媛と申します。陶津耳(むすめ)です」と答えた。または母を「奇日方天日方武茅渟祇の女」と答えたという。
    天皇は「朕はまさに栄えるであろう」と言った。
    そして伊香色雄神班物者(かみのものあかつひと)にしようとして占うと吉と出た。また他の神を祭ろうとして占うと不吉と出た。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
  • 崇神天皇7年11月8日

    崇神天皇に命じられて、大物主大神の祭主となる。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年十一月己卯条】
  • 崇神天皇8年12月20日

    大神(おおみわ)大物主神を祭る。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年十二月乙卯条】
    • 崇神天皇は意富多多泥古命を神主として、御諸山(みもろやま)意富美和之大神を斎い祭らせた。

      この意富多多泥古という人を神の子と知ったわけは、活玉依毘売は容姿が端正だった。ここに姿形は威厳があって比類無い壮夫がいて、夜中に突然やって来た。そして相愛して共に住んだ。
      まだ時日も経たないのにその美人は身ごもった。父母はその妊娠を怪しんで(むすめ)に言うには「おまえは身ごもっているようだが、夫がいないのにどのようにして身ごもったのだ」と。答えて「麗美な壮夫がいました。その姓名は知りませんが、毎晩やって来て、共に住む間に自然と身ごもりました」と。
      父母はその人を知りたいと思い、女に「赤土を床の前に散らし、糸巻に巻いた麻糸を針に通して、その衣の裾に刺しなさい」と言った。教えの通りにして翌朝見ると、針をつけた麻糸は戸の鍵穴を通って出ていた。残る麻糸は三勾(みわ)三巻きのみだった。それで鍵穴から出たことを知り、糸をたどって尋ねて行った。
      美和山に至り、神の社で留まっていた。それでその神の子と知った。その麻が三勾残っていたため、その地を名付けて美和(みわ)という。

      【古事記 中巻 崇神天皇段】
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