- 名前
- 大物主神【日本書紀,古事記】(おおものぬしのかみ, おほものぬしのかみ)大物主神
- 大物主大神【日本書紀,古事記】(おおものぬしのおおかみ, おほものぬしのおほかみ)大物主大神
- 大物代主神【日本書紀】(おおものしろぬしのかみ, おほものしろぬしのかみ)大物代主神
- 大三輪神【日本書紀】(おおみわのかみ, おほみわのかみ)大三輪神
- 意富美和之大神【古事記】(おおみわのおおかみ, おほみわのおほかみ)意富美和之大神
- 大物主命【新撰姓氏録抄】(おおものぬしのみこと, おほものぬしのみこと)
- 大三輪大神【先代旧事本紀】(おおみわのおおかみ, おほみわのおほかみ)大三輪大神
- 性別
- 男神
- 配偶者
- 子
- 出来事
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大国主神は憂えて、「私一人でどうやってこの国を作れるだろうか。いずれの神と私で、この国を作れば良いのだろうか」と言った。
【古事記 上巻】
このとき海を照らしてやって来る神がいた。その神は「私をよく祭れば、私が共に作り成そう。そうでなければ、国は成り難いだろう」と言った。そこで大国主神は「どのようにお祭りすれば良いのでしょうか」と言うと、答えて「私を倭之青垣東山上 に斎き祭れ」と。
この者は御諸山 の上に鎮座する神である。-
大国主神。またの名は大物主神。またの名は国作大己貴命。また葦原醜男という。また八千戈神という。また大国玉神という。また顕国玉神という。その子は全てで百八十一神いる。
【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
大己貴命と少彦名命は、力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。また現世の人民と家畜の為に、病気治療の方法を定めた。また鳥獣・昆虫の災いを払うために、除去する方法を定めた。これによって人民は今に至るまで、その恵みを存分に受けている。
昔、大己貴命は少彦名命に「私達が造った国は、善く出来たと言えるだろうか」と言った。少彦名命は「あるいは出来たと言えます。あるいは出来ていないとも言えます」と答えた。この物語には、とても深いわけがあるのだろう。
その後、少彦名命は熊野の岬に行って、遂に常世郷 に去った。また淡島 に行って、粟茎 に登り、弾かれて常世郷に渡ったともいう。
この後、国の中でまだ出来上がっていない所を、大己貴神は一人でよく巡り造った。遂に出雲国にやって来た。そして「そもそも葦原中国 は、もとから荒れて広い所だ。岩石や草木に至るまで強暴だ。しかし私がくだき伏せて、順わないというものは無い」と言った。そして「今この国を治めるのは、私一人だけである。その私と共に天下を治める者はいるだろうか」と言った。
この時、神々しい光を海に照らして、忽然と浮かび来る者があった。そして言うには「もし私がいなかったら、お前はどのようにして、この国を治められようか。私がいることによって、お前は大きく造る手柄を立てられたのだ」と。
大己貴神が「ではお前は誰だ」と問うと、「私はお前の幸魂 ・奇魂 である」と答えた。大己貴神は「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂・奇魂です。今どこにお住みになりたいと思われますか」と言った。答えて「私は日本 国の三諸山 に住みたいと思う」と。それでその地に宮を造って住まわせた。これが大三輪神である。この神の子は、甘茂君 ら、大三輪君 ら、また姫蹈鞴五十鈴姫命である。 -
時に怪しい光が海を照らした。急に浪の末を踊り出て、
【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】素装束 で、天蕤槍 を持ち、浮かび来るものがあった。そして言うには、「もし私がいなければ、お前はどうしてこの国を平らげることができようか。もし私がいなければ、どうして造り堅めることができて、大いなる功績を建てられただろうか」と。
大己貴命は「貴方は誰ですか。名は何というのですか」と尋ねた。答えて「私はあなたの幸魂 ・奇魂 ・術魂の神である」と。
大己貴命は「いかにも。私はこれが私の幸魂・奇魂と知りました。今どこにお住みになりたいですか」と言った。答えて「日本国 の青垣 の三諸山 に住みたいと思う」と。大倭国 の城上郡 におられるのがこれである。
それで神の願いに従って青垣 の三諸山 に斎い奉った。
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神武天皇が大后とする美人を探し求める時、大久米命が「ここに
【古事記 中巻 神武天皇段】少女 がおります。これは神の御子といいます。その神の御子というわけは、三島湟咋の女の勢夜陀多良比売は容姿が美しく、美和の大物主神がそれを気に入り、その美人が大便をする時に丹塗 矢と化し、大便をする溝を流れ下って、その美人の陰部を突きました。美人は驚いて走り回り、慌てふためきました。そしてその矢を持って来て、床のそばに置くと、矢は麗しい壮夫となり、その美人を娶りました。そして生まれた子を富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比売多多良伊須気余理比売といいます(これは『ほと』という名を嫌って後に名を改めたのである)。それでこれを神の御子というのです」と言った。 -
崇神天皇7年2月15日
崇神天皇が詔して「昔、我が皇祖が大業を開いた。その後、聖業はいよいよ高く、王風は盛んであった。しかし今朕の世に当たり、しばしば災害がある。恐らく朝廷に善政が無く、神祇が咎を与えておられるのだろう。占いで災いのもとを探ろう」と。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年二月辛卯条】
そこで天皇は神浅茅原 にて八十万神に占って尋ねた。
このとき倭迹迹日百襲姫命に神憑り、「天皇はなぜ国の治まらないことを憂えているのか。もし私を敬い祭れば、必ず自ずと平らぐだろう」と言った。
天皇は教える神を誰かと尋ねた。すると「私はこの倭国の域の内に居る神。名は大物主神である」と答えた。
この時、神の言葉を得て、神の教えのままに祭祀した。しかし猶も験は無かった。
天皇は斎戒沐浴して、殿内を清め、祈って言うには「神への礼が足らないのでしょうか。なぜ受け入れて頂けないのでしょうか。どうかまた夢で教えて頂きたく存じます」と。
その夜、夢に一人の貴人が現れて殿戸に立つと、自ら大物主神と名乗り、「憂えなくてもよい。国が治まらないことは我が意である。もし我が子の大田田根子に吾を祭らせれば、たちどころに平らぐであろう。また海外の国も自ら帰伏するであろう」と言った。-
この天皇の御世に疫病が多く起り、人民は死に尽きようとしていた。
天皇が憂い嘆いて
【古事記 中巻 崇神天皇段】神牀 に坐した夜。大物主大神が夢に現れて言うには「これは私の御心だ。意富多多泥古に私を祭らせれば、神の祟りは起らず、国は安らかに平らぐ」と。
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崇神天皇7年8月7日
倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰・伊勢麻績君の三人が、同じ夢を見て言うには「昨夜、夢で一人の貴人があり、『大田田根子命を大物主大神の祭主とし、また市磯長尾市を倭大国魂神の祭主とすれば、必ず天下太平となるであろう』と教えて頂きました」と。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
天皇は夢の言葉を得てますます喜び、天下に大田田根子を求めると、茅渟県 の陶邑 で見つけて連れてきた。
天皇は神浅茅原 にやって来て、諸王卿及び八十諸部を集めて、大田田根子に「お前は誰の子であるか」と尋ねると、「父は大物主大神と申します。母は活玉依媛と申します。陶津耳の女 です」と答えた。または母を「奇日方天日方武茅渟祇の女」と答えたという。
天皇は「朕はまさに栄えるであろう」と言った。
そして伊香色雄を神班物者 にしようとして占うと吉と出た。また他の神を祭ろうとして占うと不吉と出た。 -
崇神天皇7年11月8日
大田田根子が大物主大神の祭主となる。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年十一月己卯条】 -
崇神天皇8年4月16日
【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年四月乙卯条】高橋邑 の活日を大神 の掌酒 となる。 -
崇神天皇8年12月20日
天皇は大田田根子に命じて
【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年十二月乙卯条】大神 を祭らせた。-
意富多多泥古命を神主として、
御諸山 に意富美和之大神を斎い祭らせた。この意富多多泥古という人を神の子と知ったわけは、活玉依毘売は容姿が端正だった。ここに姿形は威厳があって比類無い壮夫がいて、夜中に突然やって来た。そして相愛して共に住んだ。
【古事記 中巻 崇神天皇段】
まだ時日も経たないのにその美人は身ごもった。父母はその妊娠を怪しんで女 に言うには「おまえは身ごもっているようだが、夫がいないのにどのようにして身ごもったのだ」と。答えて「麗美な壮夫がいました。その姓名は知りませんが、毎晩やって来て、共に住む間に自然と身ごもりました」と。
父母はその人を知りたいと思い、女に「赤土を床の前に散らし、糸巻に巻いた麻糸を針に通して、その衣の裾に刺しなさい」と言った。教えの通りにして翌朝見ると、針をつけた麻糸は戸の鍵穴を通って出ていた。残る麻糸は三勾 のみだった。それで鍵穴から出たことを知り、糸をたどって尋ねて行った。
美和山に至り、神の社で留まっていた。それでその神の子と知った。その麻が三勾残っていたため、その地を名付けて美和 という。
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(崇神天皇10年9月27日 ~ )
倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となった。しかしその神は昼には姿を見せず、夜だけやって来た。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月壬子条】
倭迹迹姫命は夫に語って「あなた様はいつも昼はおいでにならず、その御尊顔を拝見できません。どうかしばらく留まって下さい。日が明けて麗しいお姿を拝見したいです」と。大神は答えて「もっともなことだ。翌朝にはお前の櫛箱に入っているが、私の形に驚かないでくれ」と。
倭迹迹姫命は密かに怪しみ、日が明けるのを待って櫛箱を見た。すると美しく麗わしい小蛇がいた。その長さ太さは衣紐 のようであった。それで驚いて叫んだ。
大神は恥じて人の形になった。そして妻に「お前は我慢できずに私に恥をかかせた。お前にも恥をかかせてやろう」と言うと、大空を踏んで御諸山 に登った。 -
雄略天皇14年3月
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