大物主神

名前
  • 大物主神【日本書紀,古事記】(おおものぬしのかみ, おほぬし)大物主神
  • 大物主大神【日本書紀,古事記】(おおものぬしのおおかみ, おほぬしおほか)大物主大神
  • 大物代主神校異【日本書紀】(おおものしろぬしのかみ, おほもぬし)大物代主神
  • 大三輪神【日本書紀】(おおみわのかみ, おほ)大三輪神
  • 意富美和之大神【古事記】(おおみわのおおかみ, おほおほか)意富美和之大神
  • 大物主命【新撰姓氏録抄】(おおものぬしのみこと, おほもぬし
  • 大三輪大神【先代旧事本紀】(おおみわのおおかみ, おほおほか)大三輪大神
配偶者
  • 三穂津姫みほつひめ【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
  • 活玉依媛いくたまよりひめ【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
  • 倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月壬子条】
  • ・・・
  • 比売多多良伊須気余理比売ひめたたらいすけよりひめ【古事記 中巻 神武天皇段】【母:勢夜陀多良比売せやだたらひめ
  • 大田田根子おおたたねこ古事記では子孫にあたるが、子ではない。【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】【母:活玉依媛いくたまよりひめ
    • 櫛御方命くしみかたのみこと久斯比賀多命くしひかたのみこと【古事記 中巻 崇神天皇段, 新撰姓氏録抄 第二帙 第十三巻 左京神別下 地祇 石辺公条】【母:活玉依毘売いくたまよりびめ
子孫
  1. 媛蹈鞴五十鈴媛命
    1. 神八井耳命
    2. 綏靖天皇
      1. 安寧天皇
  2. 大田田根子
    1. 大御気持命
      1. 大鴨積命
      2. 大三輪大友主
      3. 田田彦命
出来事
  • 大国主神は憂えて、「私一人でどうやってこの国を作れるだろうか。いずれの神と私で、この国を作れば良いのだろうか」と言った。
    このとき海を照らしてやって来る神がいた。その神は「私をよく祭れば、私が共に作り成そう。そうでなければ、国は成り難いだろう」と言った。そこで大国主神は「どのようにお祭りすれば良いのでしょうか」と言うと、答えて「私を倭之青垣東山上(やまとのあおがきのひがしのやまのえ)に斎き祭れ」と。
    この者は御諸山(みもろやま)の上に鎮座する神である。

    【古事記 上巻】
    • 大国主神。またの名は大物主神。またの名は国作大己貴命。また葦原醜男という。また八千戈神という。また大国玉神という。また顕国玉神という。その子は全てで百八十一神いる。
      大己貴命少彦名命は、力を合わせ、心を一つにして天下を経営した。また現世の人民と家畜の為に、病気治療の方法を定めた。また鳥獣・昆虫の災いを払うために、除去する方法を定めた。これによって人民は今に至るまで、その恵みを存分に受けている。
      昔、大己貴命少彦名命に「私達が造った国は、善く出来たと言えるだろうか」と言った。少彦名命は「あるいは出来たと言えます。あるいは出来ていないとも言えます」と答えた。この物語には、とても深いわけがあるのだろう。
      その後、少彦名命は熊野の岬に行って、遂に常世郷(とこよのくに)に去った。また淡島(あわのしま)に行って、粟茎(あわがら)に登り、弾かれて常世郷に渡ったともいう。
      この後、国の中でまだ出来上がっていない所を、大己貴神は一人でよく巡り造った。遂に出雲国にやって来た。そして「そもそも葦原中国(あしはらのなかつくに)は、もとから荒れて広い所だ。岩石や草木に至るまで強暴だ。しかし私がくだき伏せて、順わないというものは無い」と言った。そして「今この国を治めるのは、私一人だけである。その私と共に天下を治める者はいるだろうか」と言った。
      この時、神々しい光を海に照らして、忽然と浮かび来る者があった。そして言うには「もし私がいなかったら、お前はどのようにして、この国を治められようか。私がいることによって、お前は大きく造る手柄を立てられたのだ」と。
      大己貴神が「ではお前は誰だ」と問うと、「私はお前の幸魂(さきみたま)幸魂。此云佐枳弥多摩。奇魂(くしみたま)奇魂。此云倶斯美拕磨。である」と答えた。大己貴神は「そうです。分かりました。あなたは私の幸魂・奇魂です。今どこにお住みになりたいと思われますか」と言った。答えて「私は日本(やまと)国の三諸山(みもろやま)に住みたいと思う」と。それでその地に宮を造って住まわせた。これが大三輪神である。この神の子は、甘茂君(かものきみ)ら、大三輪君(おおみわのきみ)ら、また姫蹈鞴五十鈴姫命である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
    • 時に怪しい光が海を照らした。急に浪の末を踊り出て、素装束(しろきみそ)で、天蕤槍(あめのみほこ)を持ち、浮かび来るものがあった。そして言うには、「もし私がいなければ、お前はどうしてこの国を平らげることができようか。もし私がいなければ、どうして造り堅めることができて、大いなる功績を建てられただろうか」と。
      大己貴命は「貴方は誰ですか。名は何というのですか」と尋ねた。答えて「私はあなたの幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)術魂「わざみたま」、「ばけみたま」などと読ませるが、正しくは不明。の神である」と。
      大己貴命は「いかにも。私はこれが私の幸魂・奇魂と知りました。今どこにお住みになりたいですか」と言った。答えて「日本国(やまとのくに)青垣(あおがき)三諸山(みもろやま)に住みたいと思う」と。大倭国(やまとのくに)城上郡(しきかみのこおり)におられるのがこれである。
      それで神の願いに従って青垣(あおがき)三諸山(みもろのやま)に斎い奉った。

      【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 天照大神高皇産靈神から、「八十万(やそよろず)の神を率いて、永く皇孫の為に護り奉りなさい」という勅を受ける。

    【古語拾遺 神代段】
  • 神武天皇が大后とする美人を探し求める時、大久米命が「ここに少女(おとめ)がおります。これは神の御子といいます。その神の御子というわけは、三島湟咋の女の勢夜陀多良比売は容姿が美しく、美和の大物主神がそれを気に入り、その美人が大便をする時に丹塗(にぬり)矢と化し、大便をする溝を流れ下って、その美人の陰部を突きました。美人は驚いて走り回り、慌てふためきました。そしてその矢を持って来て、床のそばに置くと、矢は麗しい壮夫となり、その美人を娶りました。そして生まれた子を富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比売多多良伊須気余理比売といいます(これは『ほと女性の陰部』という名を嫌って後に名を改めたのである)。それでこれを神の御子というのです」と言った。

    【古事記 中巻 神武天皇段】
  • 崇神天皇7年2月15日

    崇神天皇が詔して「昔、我が皇祖が大業を開いた。その後、聖業はいよいよ高く、王風は盛んであった。しかし今朕の世に当たり、しばしば災害がある。恐らく朝廷に善政が無く、神祇が咎を与えておられるのだろう。占いで災いのもとを探ろう」と。
    そこで天皇は神浅茅原(かんあさちはら)にて八十万神に占って尋ねた。
    このとき倭迹迹日百襲姫命に神憑り、「天皇はなぜ国の治まらないことを憂えているのか。もし私を敬い祭れば、必ず自ずと平らぐだろう」と言った。
    天皇は教える神を誰かと尋ねた。すると「私はこの倭国の域の内に居る神。名は大物主神である」と答えた。
    この時、神の言葉を得て、神の教えのままに祭祀した。しかし猶も験は無かった。
    天皇は斎戒沐浴して、殿内を清め、祈って言うには「神への礼が足らないのでしょうか。なぜ受け入れて頂けないのでしょうか。どうかまた夢で教えて頂きたく存じます」と。
    その夜、夢に一人の貴人が現れて殿戸に立つと、自ら大物主神と名乗り、「憂えなくてもよい。国が治まらないことは我が意である。もし我が子の大田田根子に吾を祭らせれば、たちどころに平らぐであろう。また海外の国も自ら帰伏するであろう」と言った。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年二月辛卯条】
    • この天皇の御世に疫病が多く起り、人民は死に尽きようとしていた。

      天皇が憂い嘆いて神牀(かんどこ)に坐した夜。大物主大神が夢に現れて言うには「これは私の御心だ。意富多多泥古に私を祭らせれば、神の祟りは起らず、国は安らかに平らぐ」と。

      【古事記 中巻 崇神天皇段】
  • 崇神天皇7年8月7日

    倭迹速神浅茅原目妙姫大水口宿禰伊勢麻績君の三人が、同じ夢を見て言うには「昨夜、夢で一人の貴人があり、『大田田根子命を大物主大神の祭主とし、また市磯長尾市倭大国魂神の祭主とすれば、必ず天下太平となるであろう』と教えて頂きました」と。
    天皇は夢の言葉を得てますます喜び、天下に大田田根子を求めると、茅渟県(ちぬのあがた)陶邑(すえのむら)で見つけて連れてきた。
    天皇は神浅茅原(かんあさちはら)にやって来て、諸王卿及び八十諸部を集めて、大田田根子に「お前は誰の子であるか」と尋ねると、「父は大物主大神と申します。母は活玉依媛と申します。陶津耳(むすめ)です」と答えた。または母を「奇日方天日方武茅渟祇の女」と答えたという。
    天皇は「朕はまさに栄えるであろう」と言った。
    そして伊香色雄神班物者(かみのものあかつひと)にしようとして占うと吉と出た。また他の神を祭ろうとして占うと不吉と出た。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年八月己酉条】
    • 駅使(はゆまづかい)を四方に遣わし、意富多多泥古という人を求めると、河内の美努村(みののむら)にその人を見つけて貢進した。
      天皇が「お前は誰か」と問うと、答えて「私は、大物主大神が陶津耳命(むすめ)活玉依毘売を娶って生まれた子、名は櫛御方命の子の飯肩巣見命の子の建甕槌命の子で、意富多多泥古と申します」と。
      天皇は大いに喜び、「天下は平らぎ、人民は栄えるであろう」と言った。

      【古事記 中巻 崇神天皇段】
  • 崇神天皇7年11月8日

    大田田根子が大物主大神の祭主となる。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年十一月己卯条】
  • 崇神天皇8年4月16日

    高橋邑(たかはしのむら)活日大神(おおみわ)大物主神掌酒(さかひと)掌酒。此云佐介弭苔。となる。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年四月乙卯条】
  • 崇神天皇8年12月20日

    天皇は大田田根子に命じて大神(おおみわ)大物主神を祭らせた。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇八年十二月乙卯条】
    • 意富多多泥古命を神主として、御諸山(みもろやま)に意富美和之大神を斎い祭らせた。

      この意富多多泥古という人を神の子と知ったわけは、活玉依毘売は容姿が端正だった。ここに姿形は威厳があって比類無い壮夫がいて、夜中に突然やって来た。そして相愛して共に住んだ。
      まだ時日も経たないのにその美人は身ごもった。父母はその妊娠を怪しんで(むすめ)に言うには「おまえは身ごもっているようだが、夫がいないのにどのようにして身ごもったのだ」と。答えて「麗美な壮夫がいました。その姓名は知りませんが、毎晩やって来て、共に住む間に自然と身ごもりました」と。
      父母はその人を知りたいと思い、女に「赤土を床の前に散らし、糸巻に巻いた麻糸を針に通して、その衣の裾に刺しなさい」と言った。教えの通りにして翌朝見ると、針をつけた麻糸は戸の鍵穴を通って出ていた。残る麻糸は三勾(みわ)三巻きのみだった。それで鍵穴から出たことを知り、糸をたどって尋ねて行った。
      美和山に至り、神の社で留まっていた。それでその神の子と知った。その麻が三勾残っていたため、その地を名付けて美和(みわ)という。

      【古事記 中巻 崇神天皇段】
  • (崇神天皇10年9月27日 ~ )

    倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となった。しかしその神は昼には姿を見せず、夜だけやって来た。
    倭迹迹姫命は夫に語って「あなた様はいつも昼はおいでにならず、その御尊顔を拝見できません。どうかしばらく留まって下さい。日が明けて麗しいお姿を拝見したいです」と。大神は答えて「もっともなことだ。翌朝にはお前の櫛箱に入っているが、私の形に驚かないでくれ」と。
    倭迹迹姫命は密かに怪しみ、日が明けるのを待って櫛箱を見た。すると美しく麗わしい小蛇がいた。その長さ太さは衣紐(したひも)のようであった。それで驚いて叫んだ。
    大神は恥じて人の形になった。そして妻に「お前は我慢できずに私に恥をかかせた。お前にも恥をかかせてやろう」と言うと、大空を踏んで御諸山(みもろやま)に登った。

    【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月壬子条】
  • 雄略天皇14年3月

    雄略天皇衣縫(きぬぬい)兄媛を大三輪神に奉る。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年三月条】
関連
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  • 五世孫:意富太多根子命おおたたねこのみこと日本書紀では子。【新撰姓氏録抄 第三帙 第三十巻 未定雑姓 大和国 三歳祝条】