倭大国魂神
- 名前
- 倭大國魂神【日本書紀】(やまとのおおくにたまのかみ, やまとのおほくにたまのかみ)倭大国魂神
- 和大國魂神校異【日本書紀】(やまとのおおくにたまのかみ, やまとのおほくにたまのかみ)和大国魂神
- 日本大國魂神【日本書紀】(やまとのおおくにたまのかみ, やまとのおほくにたまのかみ)日本大国魂神
- 倭大國魂【日本書紀】(やまとのおおくにたま, やまとのおほくにたま)倭大国魂
- 和大國魂校異【日本書紀】(やまとのおおくにたま, やまとのおほくにたま)和大国魂
- 和國魂神校異【日本書紀】(やまとのくにたまのかみ)和国魂神
- 倭大神【日本書紀】(やまとのおおかみ, やまとのおほかみ)倭大神
- 大倭大神【日本書紀】(おおやまとのおおかみ, おほやまとのおほかみ)大倭大神
- 出来事
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( ~ 崇神天皇6年12月29日)崇神天皇6年以前か。
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崇神天皇7年11月8日
市磯長尾市が倭大国魂神の祭主となる。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇七年十一月己卯条】 - ・・・
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垂仁天皇は倭姫命を
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年三月丙申条 一云】御杖 として天照大神に奉った。
倭姫命は天照大神を磯城 の神木の本に祀った。
然る後に、神の教えに従って丁巳年の冬十月の甲子の日垂仁天皇26年10月18日。甲子を甲午とする写本あり。に伊勢国の渡遇宮 に遷した。
この時に、倭大神が大水口宿禰に神憑り、教えて言うには「初めの時に約束して『天照大神は全ての天原を治めた。皇孫は葦原中国 の八十魂神 を治めた。私は大地官 を治めよう』と言った。先皇御間城天皇崇神天皇は神祇の祭祀を行ったが、詳しくその根源を探られずに、疎かに枝葉に留まっていた。それでその天皇は命が短かった。今あなた様は先皇の及ばなかったところを悔い、慎しんでお祭れすれば、あなた様の寿命は長く、また天下は太平であろう」と。
天皇はこの言葉を聞いて、探湯主に命じて占わせた。誰を以って大倭大神を祭らせるかと。
すると渟名城稚姫命が占いに出た。
よって渟名城稚姫命に命じて、神地 を穴礒邑 に定め、大市 の長岡岬 に祀った。
しかしこの渟名城稚姫命は既に身体が痩せ細り、祭ることができなかった。それで長尾市宿禰に命じて祭らせた。
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- 関連
大国御魂神 同一神か?