名前
  • 倭姬命【日本書紀】(やま)倭姫命
  • 倭比賣命【古事記】(やま)倭比売命
生年月日
(垂仁天皇17年 ~ 垂仁天皇25年3月10日)
没年月日
(景行天皇40年10月7日 ~ )
  • 垂仁天皇すいにんてんのう【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
  • 日葉酢媛命ひばすひめのみこと【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
先祖
  1. 垂仁天皇
    1. 崇神天皇
      1. 開化天皇
      2. 伊香色謎命
    2. 御間城姫
      1. 大彦命
      2. unknown
  2. 日葉酢媛命
    1. 丹波道主王
      1. 彦坐王
      2. 息長水依比売
    2. 丹波之河上之摩須郎女
出来事
  • (垂仁天皇17年1月1日 ~ )兄である景行天皇誕生以後。

    垂仁天皇の皇女として生まれる。母は日葉酢媛命

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
  • 垂仁天皇25年3月10日

    垂仁天皇天照大神豊耜入姫命から離して倭姫命に託した。
    倭姫命は大神が鎮座する所を求めて、莵田(うだ)筱幡(ささはた)に行った。
    さらに引き返して近江国に入り、美濃を廻って伊勢国に至った。
    時に天照大神が倭姫命に教えて言うには「この神風の伊勢国は、しきりに浪が打ち寄せる国である。中心ではないが美しい国である。この国に居りたいと思う」と。
    それで大神の教えに従い、その祠を伊勢国に立てた。斎宮(いわいのみや)五十鈴川(いすずのかわ)のほとりに立てた。これを磯宮(いそのみや)という。即ち天照大神が初めて天降った所である。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年三月丙申条】
    • 天皇は倭姫命を御杖(みつえ)として天照大神に奉った。
      倭姫命は天照大神磯城(しき)の神木の本に祀った。
      然る後に、神の教えに従って丁巳年の冬十月の甲子の日垂仁天皇26年10月18日。甲子を甲午とする写本あり。に伊勢国の渡遇宮(わたらいのみや)に遷した。

      【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年三月丙申条 一云】
    • 伊勢の大神宮を祭る。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 熊襲(くまそ)討伐を命じられた倭建命に御衣と御裳を給わる。

    【古事記 中巻 景行天皇段】
  • 景行天皇40年10月7日

    東国征伐の命を受けた日本武尊が寄り道をして伊勢神宮を参拝した。
    そして倭姫命に言うには「天皇から命を承り、東に行って叛く者を討伐することとなりました。それでご挨拶に参りました」と。
    倭姫命は草薙剣(くさなぎのつるぎ)日本武尊に授けて「慎み、怠らぬように」と言った。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年十月戊午条】
    • 倭建命は伊勢の大御神の宮を参拝した。
      そしてその姨の倭比売命に言うには「天皇は私に死んで欲しいと思っているのでしょうか。なぜ西方の悪人共を討伐させ、復命から幾らも時が経たぬのに、兵士も賜らずに、今また東方十二国の悪人共を平らげるために遣わされるのでしょうか。やはり私に死んで欲しいと思っておられるのです」と。
      泣き悲しんでいる時に、倭比売命は草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を賜った。また御嚢を賜り、「もし急事があれば、この嚢の口を解きなさい」と言った。

      【古事記 中巻 景行天皇段】
  • (景行天皇40年10月7日 ~ 景行天皇41年)

    日本武尊が降伏した蝦夷(えみし)らを伊勢神宮に献上する。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年是歳条】
  • 神宮に献上された蝦夷らは、昼夜うるさぐ騒ぎ、出入りも無礼だった。
    時に倭姫命は「この蝦夷らは神宮に近づけてはならない」と言って朝廷に進上した。

    時期は不明。
    【日本書紀 巻第七 景行天皇五十一年八月壬子条】