- 名前
- 丹波道主王【日本書紀】(たにわのみちぬしのみこ, たにはのみちぬしのみこ)
- 丹波道主命【日本書紀】(たにわのみちぬしのみこと, たにはのみちぬしのみこと)
- 丹波比古多多須美知能宇斯王【古事記】(たにわのひこたたすみちのうしのみこ, たにはのひこたたすみちのうしのみこ)
- 美知能宇志王【古事記】(みちのうしのみこ)
- 旦波比古多多須美知宇斯王【古事記】(たにわのひこたたすみちのうしのみこ, たにはのひこたたすみちのうしのみこ)
- 旦波比古多多須美智宇斯王【古事記】(たにわのひこたたすみちのうしのみこ, たにはのひこたたすみちのうしのみこ)
- 美知能宇斯王【古事記】(みちのうしのみこ)
- 道主王【日本書紀】(みちぬしのみこ)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 崇神天皇10年7月24日)
- 没年月日
- (崇神天皇11年4月28日 ~ )
- 父
- 母
息長水依比売 【古事記 中巻 開化天皇段】
- 先祖
- 配偶者
丹波之河上之摩須郎女 【古事記 中巻 開化天皇段】
- 子
日葉酢媛命 (比婆須比売命 )【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条, 古事記 中巻 開化天皇段】【母:丹波之河上之摩須郎女 】渟葉田瓊入媛 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】【母:不明】真砥野媛 (真砥野比売命 )【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条, 古事記 中巻 開化天皇段】【母:丹波之河上之摩須郎女 】薊瓊入媛 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】【母:不明】竹野媛 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】【母:不明】弟比売命 【古事記 中巻 開化天皇段】【母:丹波之河上之摩須郎女 】朝廷別王 【古事記 中巻 開化天皇段】【母:丹波之河上之摩須郎女 】歌凝比売命 【古事記 中巻 垂仁天皇段】【母:不明】
- 称号・栄典
四道将軍 【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月甲午条】
- 出来事
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彦坐王の子として生まれる。
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】-
彦湯産隅王の子として生まれる。
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条 一云】
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崇神天皇10年7月24日
崇神天皇が群卿に詔して「民を導く本は教化にある。神祇を祀ると災害は無くなった。しかし遠くの荒ぶる人々は、いまだに正朔を受けず、王化に習っていない。そこで郡卿を選んで四方に遣わし、朕の教化を知らしめよう」と。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年七月己酉条】 -
崇神天皇10年9月9日
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崇神天皇10年10月1日
天皇が群臣に詔して「叛く者は悉く屈服した。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月乙卯朔条】畿内 は無事である。しかしその外は荒ぶる者がいて騒動は止まない。四道将軍は今すぐ出発せよ」と。 -
崇神天皇10年10月22日
将軍たちが出発する。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月丙子条】 -
崇神天皇11年4月28日
四道将軍が
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十一年四月己卯条】戎夷 平定を報告する。 -
垂仁天皇15年2月10日
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垂仁天皇15年8月1日
娘の日葉酢媛命が垂仁天皇の皇后となった。
渟葉田瓊入媛・真砥野媛・薊瓊入媛は妃となった。竹野媛は不器量を理由に故郷に返されたが、これを恥じて、
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】葛野 で自ら輿から落ちて命を断った。
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- 関連
- 同一人物?:
彦多都彦命 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 稲葉国造条】
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