- 名前
- 吉備津彥命【日本書紀】(きびつひこのみこと)吉備津彦命
- 吉備津彥【日本書紀】(きびつひこ)吉備津彦
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- 五十狹芹彥命【日本書紀】(いさせりひこのみこと)五十狭芹彦命
- 比古伊佐勢理毘古命【古事記】(ひこいさせりびこのみこと)
- 大吉備津日子命【古事記】(おおきびつひこのみこと, おほきびつひこのみこと)
- 吉備津彥五十狹芹命【新撰姓氏録抄】(きびつひこいさせりのみこと)吉備津彦五十狭芹命
- 吉備都命【先代旧事本紀】(きびつのみこと)吉備都命
- キーワード
吉備上道臣 之祖【古事記 中巻 孝霊天皇段】- 後裔は和泉国
椋椅部首 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 - 吉備臣等祖【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝霊天皇紀末段】
- 吉備臣同祖【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 国前国造条】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 崇神天皇10年7月24日)
- 没年月日
- (崇神天皇60年7月14日 ~ )
- 父
孝霊天皇 【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条】
- 母
倭国香媛 【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条】
- 先祖
- 子
三井根子命 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 葦分国造条】【母:不明】
- 称号・栄典
四道将軍 【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月甲午条】
- 出来事
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崇神天皇10年7月24日
崇神天皇が群卿に詔して「民を導く本は教化にある。神祇を祀ると災害は無くなった。しかし遠くの荒ぶる人々は、いまだに正朔を受けず、王化に習っていない。そこで郡卿を選んで四方に遣わし、朕の教化を知らしめよう」と。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年七月己酉条】 -
崇神天皇10年9月9日
崇神天皇は
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月甲午条】
大彦命を北陸 に遣わした。
武渟川別を東海 に遣わした。
吉備津彦を西道 に遣わした。
丹波道主命を丹波 に遣わした。
そして「もし教えを受けなければ討伐せよ」と詔して印綬を将軍に授けた。-
若建吉備津日子命と共に、
【古事記 中巻 孝霊天皇段】針間 の氷河之前 に忌瓮 をすえて、針間を道の入り口として吉備 国を平定した。
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崇神天皇10年9月27日
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崇神天皇10年10月1日
天皇が群臣に詔して「叛く者は悉く屈服した。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月乙卯朔条】畿内 は無事である。しかしその外は荒ぶる者がいて騒動は止まない。四道将軍は今すぐ出発せよ」と。 -
崇神天皇10年10月22日
将軍たちが出発する。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月丙子条】 -
崇神天皇11年4月28日
四道将軍が
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十一年四月己卯条】戎夷 平定を報告する。 -
(崇神天皇60年7月14日 ~ )
- 関連