- 名前
- 漢風諡号:孝靈天皇(こうれいてんのう, かうれいてんわう)孝霊天皇
- 和風諡号:大日本根子彥太瓊天皇【日本書紀】(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと, おほやまとねこひこふとにのすめらみこと)大日本根子彦太瓊天皇
- 大日本根子彥太瓊尊【日本書紀】(おおやまとねこひこふとにのみこと, おほやまとねこひこふとにのみこと)大日本根子彦太瓊尊
- 大倭根子日子賦斗邇命【古事記】(おおやまとねこひこふとにのみこと, おほやまとねこひこふとにのみこと)
- 大日本根子彥大瓊天皇【新撰姓氏録抄】(おおやまとねこひこおおにのすめらみこと, おほやまとねこひこおほにのすめらみこと)大日本根子彦大瓊天皇
- 大日本根子彥太瓊命【先代旧事本紀】(おおやまとねこひこふとにのみこと, おほやまとねこひこふとにのみこと)大日本根子彦太瓊命
- 大日本根子太瓊天皇【先代旧事本紀】(おおやまとねこふとにのすめらみこと, おほやまとねこふとにのすめらみこと)
- 廬戶宮御宇天皇【先代旧事本紀】(いおとのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, いほとのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)廬戸宮御宇天皇
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 孝安天皇51年
- 没年月日
- 孝霊天皇76年2月8日
- 父
孝安天皇 【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条】
- 母
押媛 (忍鹿比売命 )【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条, 古事記 中巻 孝安天皇段】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 皇子:
彦国牽尊 (孝元天皇 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇】【母:細媛命 】 - 皇女:
千千速比売命 【古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:春日之千千速真若比売 】 - 皇女:
倭迹迹日百襲姫命 (夜麻登登母母曽毘売命 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:倭国香媛 】 - 皇子:
日子刺肩別命 【古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:意富夜麻登玖邇阿礼比売命 】 - 皇子:
吉備津彦命 (彦五十狭芹彦命 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:倭国香媛 】 - 皇女:
倭迹迹稚屋姫命 (倭飛羽矢若屋比売 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:倭国香媛 】 - 皇子:
彦狭島命 (日子寤間命 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:絙某弟 】 - 皇子:
稚武彦命 (若日子建吉備津日子命 )【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条, 古事記 中巻 孝霊天皇段】【母:絙某弟 】
- 皇子:
- 称号・栄典
- 出来事
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孝安天皇51年
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孝安天皇76年1月5日
立太子。
【日本書紀 巻第四 孝安天皇七十六年正月癸酉条】
年二十六。 -
孝安天皇102年1月9日
孝安天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第四 孝安天皇百二年正月丙午条】 -
孝安天皇102年9月13日
日本足彦国押人天皇を
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇即位前紀 孝安天皇百二年九月丙午条】玉手丘上陵 に葬る。 -
孝安天皇102年12月4日
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇即位前紀 孝安天皇百二年十二月丙寅条】黒田 に遷都する。これを廬戸宮 という。-
【古事記 中巻 孝霊天皇段】黒田廬戸宮 にて天下を治めた。
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孝霊天皇元年1月12日
即位して天皇となる。
皇后を尊んで皇太后とする。
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇元年正月癸卯条】 -
孝霊天皇2年2月11日
細媛命を立てて皇后とする。
后は大日本根子彦国牽天皇を生んだ。妃の倭国香媛、またの名は絙某姉が生んだのは、
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条】
倭迹迹日百襲姫命。
彦五十狭芹彦命。またの名は吉備津彦命。
倭迹迹稚屋姫命。-
春日千乳早山香媛を皇后とする。
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条 一云】 -
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条 一云】十市県主 らの祖の女の真舌媛を皇后とする。 -
十市県主 の祖大目の女の細比売命を娶り、生まれた御子は
大倭根子日子国玖琉命の一柱。また春日之千千速真若比売を娶り、生まれた御子は
千千速比売命の一柱。また意富夜麻登玖邇阿礼比売命を娶り、生まれた御子は
夜麻登登母母曽毘売命。
次に日子刺肩別命。
次に比古伊佐勢理毘古命。またの名は大吉備津日子命。
次に倭飛羽矢若屋比売の四柱。またその阿礼比売命の妹の蠅伊呂杼を娶り、生まれた御子は
日子寤間命。
次に若日子建吉備津日子命の二柱。天皇の御子達は合わせて八柱。男王五・女王三である。
大倭根子日子国玖琉命は天下を治めた。
大吉備津日子命と若建吉備津日子命の二人は、針間 の氷河之前 に忌瓮 をすえて、針間を道の入り口として吉備 国を平定した。大吉備津日子命は
【古事記 中巻 孝霊天皇段】吉備上道臣 の祖である。
次に若日子建吉備津日子命は吉備下道臣 ・笠臣 の祖である。
次に日子寤間命は針間牛鹿臣 の祖である。
次に日子刺肩別命は高志之利波臣 ・豊国之国前臣 ・五百原君 ・角鹿海直 の祖である。
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孝霊天皇3年1月
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孝霊天皇36年1月1日
彦国牽尊を立てて皇太子とする。
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇三十六年正月己亥朔条】 -
孝霊天皇76年2月8日
崩じる。
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇七十六年二月癸丑条】-
御年百六歳。
【古事記 中巻 孝霊天皇段】
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孝元天皇6年9月6日
【日本書紀 巻第四 孝元天皇六年九月癸卯条】片丘馬坂陵 に葬られる。-
御陵は
【古事記 中巻 孝霊天皇段】片岡馬坂上 にある。 -
孝元天皇4年
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝霊天皇後帝四年条】片岡馬坂陵 に葬られる。
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