孝安天皇

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 漢風諡号:孝安天皇(こうあんてんのう, かうあんてんわう)
  • 和風諡号:日本足彥國押人天皇【日本書紀】(やまたらしくにおし)日本足彦国押人天皇
  • 日本足彥國押人尊【日本書紀】(やまたらしくにおし)日本足彦国押人尊
  • 大倭帶日子國押人命【古事記】(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと, おほやまたらしくにおし)大倭帯日子国押人命
  • 帶日子國忍人命【古事記】(たらしくにおし)帯日子国忍人命
  • 日本足彥國押人命【先代旧事本紀】(やまたらしくにおし)日本足彦国押人命
  • 秋津嶋宮御宇天皇【先代旧事本紀】(あつしまやにあしたしししす)秋津島宮御宇天皇
性別
男性
生年月日
孝昭天皇49年
没年月日
孝安天皇102年1月9日
  • 孝昭天皇こうしょうてんのう【日本書紀 巻第四 孝昭天皇二十九年正月丙午条】
  • 世襲足媛よそたらしひめ【日本書紀 巻第四 孝昭天皇二十九年正月丙午条】
先祖
  1. 孝昭天皇
    1. 懿徳天皇
      1. 安寧天皇
      2. 渟名底仲媛命
    2. 天豊津媛命
      1. 息石耳命
      2. unknown
  2. 世襲足媛
    1. 天忍男命
      1. 天村雲命
      2. 阿俾良依姫
    2. 賀奈良知姫
      1. 剣根命
配偶者
  • 皇后:押媛おしひめ【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条】
    • 皇后:長媛ながひめ【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条 一云】
    • 皇后:五十坂媛いさかひめ【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条 一云】
  • 皇子古事記では第一皇子だが、日本書紀には見えず。:大吉備諸進命おおきびのもろすすみのみこと【古事記 中巻 孝安天皇段】【母:忍鹿比売命おしかひめのみこと
  • 皇子古事記では第二皇子。:大日本根子彦太瓊尊おおやまとねこひこふとにのみこと孝霊天皇こうれいてんのう【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条】【母:押媛おしひめ忍鹿比売命おしかひめのみこと)】
称号・栄典とても広〜い意味です。
出来事
  • 孝昭天皇49年日本書紀の立太子の記事の年齢から判断。

    孝昭天皇の第二皇子として生まれる。母は世襲足媛

    古事記も同様の記述。
    【日本書紀 巻第四 孝安天皇即位前紀】
  • 孝昭天皇68年1月14日

    立太子。
    年二十。

    【日本書紀 巻第四 孝昭天皇六十八年正月庚子条】
  • 孝昭天皇83年8月5日

    孝昭天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第四 孝昭天皇八十三年八月辛酉条】
  • 孝安天皇元年1月7日写本によっては孝安天皇元年1月27日。

    即位して天皇となる。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇元年正月辛卯条】
  • 孝安天皇元年8月1日

    皇后先の皇后世襲足媛。を尊んで皇太后とする。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇元年八月辛巳朔条】
  • 孝安天皇2年10月

    (むろ)の地に遷都する。これを秋津島宮(あきつしまのみや)という。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇二年十月条】
    • 葛城室之秋津島宮(かずらきのむろのあきづしまのみや)にて天下を治めた。

      【古事記 中巻 孝安天皇段】
  • 孝安天皇3年8月

    宇摩志麻治命の裔孫の六見命三見命を共に足尼(すくね)とし、次に宿禰(すくね)とする。

    【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝安天皇三年八月条】
  • 孝安天皇26年2月14日

    姪の押媛を立てて皇后とする。
    后は大日本根子彦太瓊天皇を生んだ。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇二十六年二月壬寅条】
  • 孝安天皇38年8月14日

    観松彦香殖稲天皇孝昭天皇掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)に葬る。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇三十八年八月己丑条】
  • 孝安天皇76年1月5日

    大日本根子彦太瓊尊を立てて皇太子とする。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇七十六年正月癸酉条】
  • 孝安天皇102年1月9日

    崩じる。

    【日本書紀 巻第四 孝安天皇百二年正月丙午条】
    • 御年百二十三歳。

      【古事記 中巻 孝安天皇段】
  • 孝安天皇102年9月13日

    玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に葬られる。

    【日本書紀 巻第四 孝霊天皇即位前紀 孝安天皇百二年九月丙午条】
    • 御陵は玉手岡上(たまでのおかのえ)にある。

      【古事記 中巻 孝安天皇段】