- 名前
- 可美眞手命【日本書紀】(うましまでのみこと, うましまてのみこと)可美真手命
- 宇摩志麻遲命【古事記】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)宇摩志麻遅命
- 宇摩志麻治命【先代旧事本紀】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)
- 味間見命【先代旧事本紀】(うましまみのみこと)
- 宇摩志摩治命【新撰姓氏録抄】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)
- 味眞治命【新撰姓氏録抄】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)味真治命
- 宇麻志摩遲命【新撰姓氏録抄】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)宇麻志摩遅命
- 于摩志摩治命【新撰姓氏録抄】(うましまじのみこと, うましまぢのみこと)
- 味嶋乳命【新撰姓氏録抄】(うましまちのみこと)味島乳命
- キーワード
物部連 ・穂積臣 ・婇臣 祖【古事記 中巻 神武天皇段】物部連公 遠祖【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 開化天皇八年二月条】- 後裔は山城国
筑紫連 ・大和国県使首 ・河内国積組造 ・河内国栗栖連 ・河内国物部首 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 戊午年12月4日)
- 没年月日
- (神武天皇2年2月2日 ~ )
- 父
饒速日命 【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年十二月丙申条】
- 母
三炊屋媛 【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年十二月丙申条】
- 先祖
-
- 饒速日命
- 正哉吾勝勝速日天押穂耳尊
- unknown
- 天照大神
- 万幡豊秋津師姫栲幡千千姫命
- 正哉吾勝勝速日天押穂耳尊
- 三炊屋媛
- 饒速日命
- 配偶者
師長姫 【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
- 子
- 称号・栄典
申食国政大夫 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇元年十一月庚寅条】
- 出来事
-
( ~ 戊午年12月4日)
- ・・・
-
戊午年12月4日
時に長髄彦が人を遣わして神武天皇に尋ねるには「昔、天神の御子が
【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀 磐余彦尊段 戊午年十二月丙申条】天磐船 に乗って天降りました。名付けて櫛玉饒速日尊といいます。我が妹の御炊屋媛を娶って御子が生まれました。名を宇摩志麻治命といいます。それで私は饒速日尊を、次に宇摩志麻治命を君としてお仕えしています。天神の御子は二柱もいるのでしょうか。なぜ天神の御子と名乗って人の地を奪うのですか。私は他を知りません。また私が推測しますが、それは偽りでしょう」と。
天皇は「天神の御子は多くいる。お前が君とする者が本当に天神の御子であれば、必ずそれを示す物がある。それを示してみなさい」と言った。
長髄彦は饒速日尊の天羽羽矢 と歩靭 を取って天皇に示した。
天皇はそれを見て「偽りではない」と言うと、自分の天羽羽矢と歩靭を示した。
長髄彦はそれを見て益々恐れ畏まった。しかし武器を構え、その勢いを途中で止めることは出来ず、誤った謀をを守り、また改心の気持ちも無かった。
宇摩志麻治命は、もとより天神が心配しているのは天孫のみということを知っていた。また長髄彦の性質がねじけているところがあり、天人の違いを教えても理解しないのをみて舅 を殺した。そして部下を率いて帰順した。
-
-
己未年2月27日
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇即位前紀 己未年二月戊午条】天物部 を率いて逆賊を征伐した。
また軍兵を率いて国内を平定した様子を報告した。 -
神武天皇元年1月1日
宇摩志麻治命は
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇元年正月庚辰朔条】天瑞 を奉献し、神楯を立てて斎い祀った。
また今木 を立てた。
また五十櫛 を布都主剣 に刺し巡らせて、大神を殿内に崇め斎った。
十宝 を蔵めて近侍した。それで名付けて足尼 という。その足尼の名は、これより始まった。 -
神武天皇元年11月15日
宇摩志麻治命は殿内に
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇元年十一月庚寅条】天璽瑞宝 を奉斎した。帝・后の為に御魂を崇め鎮めて、寿祚を祈った。所謂御鎮魂祭 はこれより始まった。
凡てその天瑞 とは、宇摩志麻治命の親の饒速日尊が天より授かって持って来た天璽瑞宝十種 がこれである。
所謂瀛都鏡 一つ。
辺都鏡 一つ。
八握剣 一つ。
生玉 一つ。
死反玉 一つ。
足玉 一つ。
道反玉 一つ。
蛇比礼 一つ。
蜂比礼 一つ。
品物比礼 一つである。
天神が教え導びくには、「もし痛むところがあれば、この十宝謂『一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。ふるべ、ゆらゆらとふるべ』と言いなさい。このようにすれば、死人は生き返ります」と。
即ちこれが布瑠之言 のもとである。
所謂御鎮魂祭とは、これがそのもとである。
その鎮魂祭の日には、猿女君 らが百歌女 を率いて、その言の本を挙げて神楽を歌い舞うのは、尤もこれがそのもとである。 -
神武天皇2年2月2日
宇摩志麻治命に詔して「お前の勲功は、思えば大功である。公は思えば忠節である。よって先ず神霊の剣を授けて、不世の勲に酬いよう。今、股肱の職に配えて、永く二心の無い美を伝えて、今後、子々孫々連綿と必ずこの職を継ぎ、永く大いなる鑑としよう」と。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇二年二月乙巳条】
宇摩志麻治命・天日方奇日方命は共に拝命して、申食国政大夫となった。
その申食国政大夫とは、今の大連である。または大臣という。-
己未年1月3日
天皇は詔して「天孫饒速日尊の御子宇摩志麻治命は、伯父の長髓・・・
【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀 磐余彦尊段 己未年正月甲子条】
-
- 関連
- 十六世孫:
物部連公麻侶 【新撰姓氏録抄 第二帙 第十一巻 左京神別上 天神 石上朝臣条】
- 十六世孫: