名前
  • 長髓彥【日本書紀】(ながすね)長髄彦
  • 登美能那賀須泥毘古【古事記】ながすね
  • 登美毘古【古事記】
生年月日
( ~ 戊午年4月9日)
没年月日
戊午年12月4日
出来事
  • 戊午年4月9日

    神武天皇の軍が胆駒山(いこまやま)を越えて国に入ろうとしているのを聞くと、「天神の子達が来るのは、きっと我が国を奪うためである」と言って兵を起こし、孔舎衛坂(くさえのさか)で交戦した。
    その後、相手の軍は退却するが、これをあえて追わなかった。

    【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年四月甲辰条】
    • 青雲(あおくも)白肩津(しらかたのつ)で交戦する。
      この時、登美毘古が放った矢が五瀬命の手に当たる。

      【古事記 中巻 神武天皇段】
  • 戊午年12月4日

    皇軍は遂に長髄彦を討つこととなった。しきりに戦ったが勝つことが出来なかった。
    時に忽ちにして曇ると氷雨が降った。また金色の不思議な鵄が飛んできて皇弓の先に止まった。その鵄は光り輝き、そのさまは雷光のようであった。
    これにより長髄彦の軍は戸惑い、力を出して戦うことが出来なかった。
    長髄というのは、もとは邑の名である。それでまた人名とした。
    皇軍が鵄の瑞兆を得たことから、時の人は鵄邑(とびのむら)と名付けた。今、鳥見(とみ)というのは訛ったものである。

    時に長髄彦は人を遣わして天皇に尋ねるには「昔、天神の御子が天磐船(あめのいわふね)に乗って天降りました。名付けて櫛玉饒速日命といいます。我が妹の三炊屋媛。またの名は長髄媛。またの名は鳥見屋媛を娶って御子が生まれました。名を可美真手命といいます。それで私は饒速日命を君としてお仕えしています。天神の御子は二柱もおられるのでしょうか。なぜ天神の御子と名乗って人の地を奪うのですか。私が推測しますが、それは偽りでしょう」と。
    天皇は「天神の御子は多くいる。お前が君とする者が本当に天神の御子であれば、必ずそれを示す物がある。それを示してみなさい」と言った。
    長髄彦は饒速日命天羽羽矢(あめのははや)歩靭(かちゆき)を取って天皇に示した。
    天皇はそれを見て「偽りではない」と言うと、自分の天羽羽矢と歩靭を示した。
    長髄彦はそれを見て益々恐れ畏まった。しかし武器を構え、その勢いを途中で止めることは出来ず、誤った謀をを守り、また改心の気持ちも無かった。
    饒速日命は、もとより天神が心配しているのは天孫のみということを知っていた。また長髄彦の性質がねじけているところがあり、天人の違いを教えても理解しないのをみて殺した。そして部下を率いて帰順した。

    【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年十二月丙申条】
    • 戊午年12月4日

      時に長髄彦は人を遣わして天皇に尋ねるには「昔、天神の御子が天磐船(あめのいわふね)に乗って天降りました。名付けて櫛玉饒速日尊といいます。我が妹の御炊屋媛を娶って御子が生まれました。名を宇摩志麻治命といいます。それで私は饒速日尊を、次に宇摩志麻治命を君としてお仕えしています。天神の御子と仰る方が二柱もおられるのでしょうか。なぜ天神の御子と名乗って人の地を奪うのですか。私は他を知りません。また私が推測しますが、それは偽りでしょう」と。
      天皇は「天神の御子は多くいる。お前が君とする者が本当に天神の御子であれば、必ずそれを示す物がある。それを示してみなさい」と言った。
      長髄彦は饒速日尊天羽羽矢(あめのははや)歩靭(かちゆき)を取って天皇に示した。
      天皇はそれを見て「偽りではない」と言うと、自分の天羽羽矢と歩靭を示した。
      長髄彦はそれを見て益々恐れ畏まった。しかし武器を構え、その勢いを途中で止めることは出来ず、誤った謀をを守り、また改心の気持ちも無かった。
      宇摩志麻治命は、もとより天神が心配しているのは天孫のみということを知っていた。また長髄彦の性質がねじけているところがあり、天人の違いを教えても理解しないのをみて伯父を殺した。そして部下を率いて帰順した。

      【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀 磐余彦尊段 戊午年十二月丙申条】
関連
  • 三炊屋媛みかしきやひめ妹。【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年十二月丙申条】