懿徳天皇
- 名前
- 漢風諡号:懿徳天皇(いとくてんのう, いとくてんわう)
- 和風諡号:大日本彥耜友天皇【日本書紀】(おおやまとひこすきとものすめらみこと, おほやまとひこすきとものすめらみこと)大日本彦耜友天皇
- 大日本彥耜友尊【日本書紀】(おおやまとひこすきとものみこと, おほやまとひこすきとものみこと)大日本彦耜友尊
- 大倭日子鉏友命【古事記】(おおやまとひこすきとものみこと, おほやまとひこすきとものみこと)
- 大日本根子彥耜友天皇【先代旧事本紀】(おおやまとねこひこすきとものすめらみこと, おほやまとねこひこすきとものすめらみこと)大日本根子彦耜友天皇
- 日本彥耜友皇子【先代旧事本紀】(わひこすきとものみこ)日本彦耜友皇子
- 日本彥耜友尊【先代旧事本紀】(やまとひこすきとものみこと)日本彦耜友尊
- 輕地曲峽宮御宇天皇【先代旧事本紀】(かるのところのまがりおのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, かるのところのまがりをのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)軽地曲峡宮御宇天皇
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 綏靖天皇29年
- 没年月日
- 懿徳天皇34年9月8日
- 父
安寧天皇 【日本書紀 巻第四 安寧天皇三年正月壬午条】
- 母
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
- 出来事
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綏靖天皇29年日本書紀の立太子の記事の年齢から判断。
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安寧天皇11年1月1日
立太子。
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇即位前紀 安寧天皇十一年正月壬戌朔条】
年十六。 -
安寧天皇38年12月6日
安寧天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第四 安寧天皇三十八年十二月乙卯条】 -
懿徳天皇元年2月4日
即位して天皇となる。
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇元年二月壬子条】 -
懿徳天皇元年8月1日
磯城津彦玉手看天皇安寧天皇を
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇元年八月丙午朔条】畝傍山南御陰井上陵 に葬る。 -
懿徳天皇元年9月丙子朔乙丑条だが、これでは50日になってしまうのでありえない。丙子朔は暦的に問題ない。校異に乙巳(30日)がある。仮に己丑の誤りとすれば14日になる。とりあえず月まで。【日本書紀 巻第四 懿徳天皇元年九月乙丑条】
皇后先の皇后渟名底仲媛命。を尊んで皇太后とする。
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇元年九月乙丑条】 -
懿徳天皇2年1月5日
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇二年正月戊寅条】軽 の地に遷都する。これを曲峡宮 という。-
【古事記 中巻 懿徳天皇段】軽之境岡宮 にて天下を治めた。
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懿徳天皇2年2月11日
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師木県主 の祖賦登麻和訶比売命。またの名は飯日比売命を娶り、生まれた御子は
御真津日子訶恵志泥命。
次に多芸志比古命の二柱。御真津日子訶恵志泥命は天下を治めた。
【古事記 中巻 懿徳天皇段】
次に当芸志比古命は血沼之別 ・多遅麻之竹別 ・葦井之稲置 の祖である。
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懿徳天皇2年3月
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懿徳天皇22年2月12日
観松彦香殖稲尊を立てて皇太子とする。
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇二十二年二月戊午条】 -
懿徳天皇34年9月8日
崩じる。
【日本書紀 巻第四 懿徳天皇三十四年九月辛未条】-
御年四十五歳。
【古事記 中巻 懿徳天皇段】
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乙丑年10月13日
【日本書紀 巻第四 孝昭天皇即位前紀 懿徳天皇三十四年明年十月庚午条】畝傍山南纎沙谿上陵 に葬られる。-
御陵は
【古事記 中巻 懿徳天皇段】畝火山之真名子谷上 にある。
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