名前
  • 漢風諡号:綏靖天皇(すいぜいてんのう, すいぜいてんわう)
  • 和風諡号:神渟名川耳天皇【日本書紀】(かんぬなかわみみのみこと, かむぬなかは)神渟名川耳天皇
  • 神渟名川耳尊【日本書紀】(かんぬなかわみみのみこと, かむぬなかは)神渟名川耳尊
  • 神渟名川尊校異【日本書紀】(かんぬなかわのみこと, かむぬなかは)神渟名川尊
  • 神沼河耳命【古事記】(かんぬなかわみみのみこと, かむぬなかは)神沼河耳命
  • 建沼河耳命【古事記】(たけぬなかわみみのみこと, たぬなかは
  • 神渟名河耳天皇【先代旧事本紀】(かむぬなかわみみのすめらみこと, かむぬなかは)神渟名河耳天皇
  • 渟名川耳尊【日本書紀】(ぬなかわみみのみこと, ぬなかは
  • 神渟中川耳天皇校異【日本書紀】(かんぬなかかわみみのすめらみこと, かむぬなかかは)神渟中川耳天皇
  • 神渟中川耳尊校異【日本書紀】(かんぬなかかわみみのみこと, かむぬなかかは)神渟中川耳尊
  • 渟中川耳尊校異【日本書紀】(ぬなかかわみみのみこと, ぬなかかは
  • 葛城高丘宮御宇天皇【先代旧事本紀】(かずらきのたかおかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, かづらたかをかやにあしたしししす)葛城高丘宮御宇天皇
生年月日
神武天皇29年
没年月日
綏靖天皇33年5月10日
  • 神武天皇じんむてんのう【日本書紀 巻第三 神武天皇元年正月庚辰朔条】
  • 媛蹈鞴五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこと【日本書紀 巻第三 神武天皇元年正月庚辰朔条】
先祖
  1. 神武天皇
    1. 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
      1. 彦火火出見尊
      2. 豊玉姫
    2. 玉依姫
      1. 海神
      2. unknown
  2. 媛蹈鞴五十鈴媛命
    1. 事代主神
      1. 大国主神
      2. 神屋楯比売命
    2. 玉櫛媛
      1. 三島溝橛耳神
配偶者
  • 皇后:五十鈴依媛命いすずよりひめのみこと【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条】
    • 皇后:川派媛かわまたひめ河俣毘売かわまたびめ【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条 一書云, 古事記 中巻 綏靖天皇段】
    • 皇后:糸織媛いとおりひめ【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条 一書云】
  • 皇子:磯城津彦玉手看尊しきつひこたまてみのみこと安寧天皇あんねいてんのう【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条】【母:五十鈴依媛命いすずよりひめのみこと
子孫
  1. 安寧天皇
    1. 息石耳命
      1. 天豊津媛命
    2. 懿徳天皇
      1. 孝昭天皇
    3. 磯城津彦命
      1. 和知都美命
称号・栄典とても広〜い意味です。
出来事
  • 神武天皇29年日本書紀に出てくる年齢から判断。

    神武天皇の第二皇子として生まれる。母は媛蹈鞴五十鈴媛命

    姿が立派で、幼いときから気性が雄々しかった。
    壮年になって容貌優れ堂々としていた。
    武芸に優れ、志は高く厳かだった。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇即位前紀】
  • 神武天皇42年1月3日

    立太子。

    【日本書紀 巻第三 神武天皇四十二年正月甲寅条】
  • 神武天皇76年3月11日【日本書紀 巻第三 神武天皇七十六年三月甲辰条】

    神武天皇が崩じる。

    神渟名川耳尊は孝行の気持ちが大変深く、悲しみ慕う心がやまず、特に喪葬には心を配った。
    その庶兄の手研耳命は年長で、久しく朝政を経験した。それで事を委ねていた。しかしその王は、もとより心ばえが仁義に背いており、遂に服喪の期間に権力をほしいままにした。そして邪心を隠して、二人の弟を殺そうと図った。

    48歳のときとある。
    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇即位前紀】
  • 己卯年11月

    兄の神八井耳命と共に、手研耳命の陰謀を密かに知ると、これをよく防いだ。

    先帝の山陵(みささぎ)を造り終えると、弓部稚彦に弓を造らせ、倭鍛部天津真浦に鏃を造らせ、矢部には箭を造らせた。弓矢が完成すると、神渟名川耳尊手研耳命を射殺そうと思った。
    たまたま手研耳命が片丘の大室でひとり床に寝ていた。
    渟名川耳尊が神八井耳命に言うには「今が好機です。言は密を貴び、事は慎しみます。私の計画を知る者はいません。今日の事は私とあなたで行いましょう。私がまず室の戸を開きます。そしてあなたが射るのです」と。
    そして二人で進入すると、神渟名川耳尊は戸を突き開いた。神八井耳命は手足が戦慄いて矢が放つことが出来なかった。
    神渟名川耳尊は兄の持つ弓矢を引き取り、手研耳命を射ると、一発で胸に当った。二発目は背に当り、遂に殺した。
    神八井耳命は恥じて自ら従い、神渟名川耳尊に譲って言いうには「私はお前の兄だが、拙く弱く良い結果を出せない。お前は武勇にすぐれ、自ら悪を誅する。お前が天位に臨んで、皇祖の業を受け継ぎなさい。私はお前を補佐して、神祇を司り祀ろう」と。これが即ち多臣(おおのおみ)の始祖である。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇即位前紀 己卯年十一月条】
    • 天皇が崩じた後、庶兄当芸志美美命は、嫡后(おおきさき)伊須気余理比売を娶り、三人の弟を殺そうと謀った。その母親である伊須気余理比売は憂い苦しみ、歌でその子達に知らせた。

      ()()()()() ()()()()()()() ()()()()() ()()()()()()() ()()()()()()()

      また歌った。

      ()()()()() ()()()()()()() ()()()()() ()()()()()()() ()()()()()()()

      その御子達はこれを聞くと、陰謀を知って驚いた。
      そしてまさに当芸志美美を殺そうとしたとき、神沼河耳命は、兄の神八井耳命に「兄上。武器を持って入り、当芸志美美を殺しなさい」と言った。
      それで武器を持って入り、まさに殺そうとしたとき、手足が戦慄いて殺すことが出来なかった。それで弟の神沼河耳命が兄の持つ武器をもらい受けて入り、当芸志美美を殺した。それでまたその御名を称えて建沼河耳命という。
      神八井耳命は弟の建沼河耳命に譲って言うには「私は仇を殺せず、あなたは仇を殺せた。私は兄だが、上に立つべきではない。あなたが上に立って天下を治めなさい。私はあなたを助け、忌人(いわいびと)となってお仕えします」と。
      その日子八井命茨田連(まんだのむらじ)手島連(てじまのむらじ)の祖である。
      神八井耳命意富臣(おおのおみ)小子部連(ちいさこべのむらじ)坂合部連(さかいべのむらじ)火君(ひのきみ)大分君(おおきたのきみ)阿蘇君(あそのきみ)筑紫三家連(つくしのみやけのむらじ)雀部臣(さざきべのおおみ)雀部造(さざきべのみやつこ)小長谷造(おはつせのみやつこ)都祁直(つけのあたい)伊余国造科野国造道奥石城国造常道仲国造長狭国造伊勢船木直(いせのふなきのあたい)尾張丹羽臣(おわりのにわのおみ)島田臣(しまだのおみ)らの祖である。
      神沼河耳命は天下を治めた。

      【古事記 中巻 神武天皇段】
  • 綏靖天皇元年1月8日

    即位して天皇となる。
    葛城(かずらき)に都を造る。これを高丘宮(たかおかのみや)という。
    皇后先の皇后媛蹈鞴五十鈴媛命。を尊んで皇太后とする。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇元年正月己卯条】
    • 葛城高岡宮(かずらきのたかおかのみや)にて天下を治めた。

      【古事記 中巻 綏靖天皇段】
  • 綏靖天皇2年1月

    母の姨の五十鈴依媛を立てて皇后とする。后は磯城津彦玉手看天皇を生んだ。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条】
    • 磯城県主(しきのあがたぬし)の娘の川派媛を皇后とする。

      【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条 一書云】
    • 春日県主大日諸の娘の糸織媛を皇后とする。

      【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条 一書云】
    • 師木県主(しきのあがたぬし)の祖河俣毘売を娶り、生まれた御子は師木津日子玉手見命の一柱。

      【古事記 中巻 綏靖天皇段】
  • 安寧天皇元年10月11日

    宇摩志麻治命の子の彦湯支命申食国政大夫とする。

    【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 綏靖天皇三年正月条】
  • 綏靖天皇4年4月

    神八井耳命が薨じる。
    畝傍山北(うねびやまのきた)に葬る。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇四年四月条】
  • 綏靖天皇25年1月7日

    皇子磯城津彦玉手看尊を立てて皇太子とする。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二十五年正月戊子条】
  • 綏靖天皇33年5月(1日 ~ 10日)

    病気になる。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇三十三年五月条】
  • 綏靖天皇33年5月10日

    崩じる。
    時に年八十四。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇三十三年五月癸酉条】
    • 御年四十五歳。

      【古事記 中巻 綏靖天皇段】
  • 安寧天皇元年10月11日

    倭桃花鳥田丘上陵(やまとのつきたのおかのえのみささぎ)に葬られる。

    【日本書紀 巻第四 安寧天皇元年十月丙申条】
    • 御陵は衝田岡(つきだのおか)にある。

      【古事記 中巻 綏靖天皇段】