豊玉姫

名前
  • 豐玉姬【日本書紀】たま)豊玉姫
  • 豐玉姬命【日本書紀】たま)豊玉姫命
  • 豐玉毘賣【古事記】たま)豊玉毘売
  • 豐玉毘賣命【古事記】たま)豊玉毘売命
  • 海神わたつみ【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
先祖
  1. 海神
  2. unknown
配偶者
  • 彦火火出見尊ひこほほでみのみこと【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
子孫
  1. 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
    1. 五瀬命
    2. 稲飯命
      1. 稚草根命
    3. 三毛入野命
    4. 神武天皇
      1. 手研耳命
      2. 神八井耳命
      3. 綏靖天皇
出来事
  • 海神(わたつみ)の宮にやってきた彦火火出見尊に娶られる。

    その三年後、彦火火出見尊は故郷が恋しくなり、嘆くようになった。
    豊玉姫はその嘆きを聞いて父の海神に、「天孫はお悲しみになり、しばしばお嘆きになります。郷土を懐かしみ憂うのでしょう」と言った。

    彦火火出見尊が故郷に帰る際に、豊玉姫は「私はすでに孕んでいます。間もなく生まるでしょう。私は波風の速い日に海浜に出ますので、どうか私の為の産屋を作ってお待ち下さい」と言った。

    後に約束通り、妹の玉依姫を連れ、風波を冒して海辺にやって来た。
    出産するに至り、「私が産む時に、どうか御覧になりませんように」と頼んだが、天孫は耐えられず、密かに覗き見た。
    豊玉姫はまさに産むときに竜となった。そしてひどく恥じ、「もし私が辱めを受けなければ、海と陸は相通じ、永く隔てることは無かったでしょう。今は辱めを受けました。どうして睦まじく心を結ぶことが出来ましょう」と言って、(かや)で子を包んで海辺に棄てて、海路を閉じてすぐに去った。それで子を名付けて彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊という。

    【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
    • 侍者を沢山従えて、中から出てきた。そしてまさに玉壼で水を汲もうとした時、火火出見尊を仰ぎ見て驚き、帰ってその父神に言うには、「門の前の井戸の側の木の下に、一人の貴人がおります。骨格は常人ではありません。もし天から降られたのでしたら、天の汚れがあり、地から来たのであれば、地の汚れがあります。実にこれが妙な美しさなのです。虚空彦というのでしょうか」と。
      あるいは豊玉姫の侍者が玉瓶で水を汲もうとしたが、満たすことが出来なかった。井戸の中を見ると、逆さまに人の笑顔が映っていた。それで仰ぎ見ると、一柱の麗しい神がいて、杜の木に寄り立っていたので、帰ってその王に話したという。
      そこで豊玉彦は人を遣わして尋ねて「客人は誰であるか。なぜこの地にやって来られたのか」と。火火出見尊は答えて「私は天神の孫です」と。そしてやって来たわけを話した。海神は迎え拝んで中に入れて慇懃に仕えた。そして女の豊玉姫を妻合わせた。
      海宮(わたつみのみや)に留まり住んで、既に三年が経った。
      この後、火火出見尊は溜息を付くことが多かった。豊玉姫が「天孫は故郷にお帰りになりたいのではないですか」と尋ねると、「そうなのです」と答えた。豊玉姫は父神に「ここにおいでになる貴人は、上国(うわつくに)に帰りたいと仰っています」と言った。

      火火出見尊を大鰐に乗せられて、故郷へ送った。

      これより先、別れる時に、豊玉姫はゆっくり語って「私はすでに妊んでおります。風波が速い日に海辺に出ます。どうか私の為に産屋を造ってお待ち下さい」と。この後、豊玉姫は果たしてその言葉のようにやって来て、火火出見尊に「私は今夜産みます。どうか御覧にならないで下さい」と言った。火火出見尊は聞かずに、櫛に火を灯して見た。豊玉姫は八尋大熊鰐(やひろわに)となって、這い回っていた。見られて辱められたのを恨み、すぐに海に帰ってしまった。
      その妹の玉依姫を留めて、子を養わさせた。子の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊というのは、その海浜の産屋に、鸕鷀()の羽を用いた屋根が葺き合う前に子が生まれたので、名付けたのである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第一】
    • 手に玉鋺を持ってやって来て水を汲もうとした。人影が井戸の中にあったので仰ぎ見ると、驚いて鋺を落とした。鋺は砕けたのも顧みずに帰り入って、父母に言うには「私は井戸の側の木の上に一人の人がいるのを見ました。顔色はとても美しく、姿は雅で、常人ではありません」と。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第二】
    • 彦火火出見尊は詳しく事の本末を話した。そして留まり住んだ。海神は、子の豊玉姫を妻合わせた。仲睦まじく深く愛し合った。


      豊玉姫は天孫に「私は既に妊んでおります。天孫の御子をどうして海の中に産めましょうか。それで産みます時に、必ず我が君の所へ参ります。もし私の為に産屋を海辺に造ってお待ち下さい。これが望みです」と言った。それで彦火火出見尊は故郷に帰って、鸕鷀()の羽で葺いて産屋を造った。屋根が葺き合う前に、豊玉姫は大亀に乗って、妹の玉依姫を連れて、海を照らしてやって来た。臨月で、産む時が迫っていた。それで葺き合うのを待たずに、産屋に入った。そしてゆっくり天孫に「私の出産を、どうか御覧にならないで下さい」と言った。天孫はその言葉を怪しんで、密かに覗き見た。すると八尋大鰐(やひろわに)となっていて、天孫が覗き見たことを知って、深く恥じ恨んだ。子が生まれた後に、天孫に尋ねて「御子の名はいかがいたしましょうか」と。答えて「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と名付けるのが良いであろう」と。言い終わると海を渡って去ってしまった。この時彦火火出見尊は歌を詠んだ。

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      または彦火火出見尊は婦人を召して、乳母(ちおも)湯母(ゆおも)飯嚼(いいかみ)湯坐(ゆえびと)とした。全て諸々を備えて養育させた。時に仮に他の女の乳で皇子を養った。これが世の中に乳母を取って子を養育させるもとである。
      この後、豊玉姫はその子が端正であることを聞いて、心にひどく憐れみが募り、また帰って養育したいと思ったが、義に背くので、妹の玉依姫を遣わして養育させた。
      この時豊玉姫は玉依姫に寄せて、報歌(かえしうた)を贈った。

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      この贈答二首を名付けて挙歌(あげうた)という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第三】
    • 豊玉姫がやって来て、まさに産もうとする時、皇孫に請うて云々。

      皇孫が従わなかったので、豊玉姫は大いに恨んで言うには「私の言葉を聞き入れずに、私を辱めましたね。だから今後は、私の奴婢があなたの所へ行きましても、お返しなされるな。あなたの奴婢が私の所へ来ましても返しません」と。遂に真床覆衾(まとこおうふすま)(かや)で、その子を包んで渚に置いた。そして海に入って去った。海と陸が通じないのはこれがもとである。あるいは、子を渚に置いたのではなく、豊玉姫命が自ら抱いて去ったともいう。
      久しくして「天孫の御子を、この海の中に置くのは宜しくない」と言って、玉依姫に抱かせて送り出した。
      始め豊玉姫は別れて去る時に恨み言を言ったので、火折尊は再会は不可能と知って、歌を贈った直後に『已に上に見ゆ』とあり、同段一書第三の歌を指すと思われる。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第四】
    • 侍女が水を汲んだ玉器を持ってきた。

      豊玉毘売命は玉器に玉が入っているのを見て、侍女に「もしや門の外に人がおるのですか」と尋ねると、「人がいらっしゃいます。泉のほとりの桂の木の上に、たいそう立派な男性がいらっしゃいます。我が王よりもとても貴いお方です。そしてその人は水をお求めになるので、水を奉りましたが、水をお飲みにならずに、この玉をお入れになったのですが、離そうとしても離れません。それで入ったまま持ってきて献上するのです」と答えた。
      豊玉毘売命は不思議に思い、出て見てみると、一目惚れして互いに目を合わせた。そしてその父に「我が家の門に立派な人がおります」と言うと、海神は自ら出て見て、「この方は天津日高(あまつひこ)の御子の虚空津日高だよ」と言って、すぐに宮中に入れて、美智(みち)アシカの皮を畳に八重に敷き、また絹畳をその上に八重に敷いて、その上に坐らせて、机に沢山の品々をそろえて御饗をして、その(むすめ)の豊玉毘売を結婚させた。
      その国に住んで三年が過ぎた。
      火遠理命その始まりの事釣り針云々。を思い出して大きな溜め息をついた。そして豊玉毘売命はその溜め息を聞いて、その父に「三年お住みになっても、溜め息などありませんでしたが、今夜は大きな溜め息をおつきになりました。もしや何かあるのでしょうか」と言った。父の大神はその婿に「今朝、我が女が話すのを聞いたですが、『三年お住みになっても、溜め息などありませんでしたが、今夜は大きな溜め息をおつきになりました。』と言っていました。何かわけがあるのでしょうか。またここにおいでになったのは、どういうわけでしょうか」と尋ねた。
      そこでその大神に、その兄の釣り針を失い、責められたことを詳しく語った。
      海神は大小の魚を悉く海に集めて、「もしやこの釣り針を取った魚はいるか」と言った。それで魚たちが言うには、「この頃、赤い鯛が、喉に魚の骨が刺さって、物を食べることが出来ないと悩んで訴えております。きっとこれが取ったのでしょう」と。そこで赤鯛の喉を探ってみると、釣り針があった。すぐに取り出し、洗い清めて、火遠理命に差し出したとき、その綿津見大神が教えて言うには、「この釣り針を、その兄君にお与えになるときに、『この鉤は、淤煩鉤(おぼち)須須鉤(すすち)貧鉤(まじち)宇流鉤(うるち)この釣り針は、心塞ぐ針、心猛り狂う針、貧しい針、愚かな針。』と呪い、手を後ろにしてお与え下さい。そしてその兄君が高い所に田を作ったら、あなた様は低い所に田をお作りなさい。その兄君が低い所に田を作ったら、あなた様は高い所に田をお作りなさい。そうなされば、私は水を掌っておりますので、三年の間は必ずやその兄君は貧しさに窮することでしょう。もしそうなることを恨んで、攻め挑んできたら、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせ、もし許しを請えば、塩乾珠(しおふるたま)を出して助け、このように悩ませ苦しめなさいませ」と。そして塩盈珠と塩乾珠、合わせて二つを授け、すぐに全ての和邇(わに)ワニ、サメの説があるが、ここでは断定しない。を集めて、「今、天津日高の御子の虚空津日高は、上の国においでになろうとしておられる。誰が幾日で送り奉り、復命するか」と言った。
      それでそれぞれ身長の長さに従い、日を限って申す中、一尋和邇(ひとひろわに)が「私は一日で送れ、すぐに帰ってきます」と言った。それでその一尋和邇に「であれば、お前が送り奉りなさい。もし海の中を渡るときに、お恐れになることがあってはならぬぞ」と言った。そしてその和邇の頸に乗せて送り出すと、約束どおり一日の内に送り届けた。その和邇が帰る時、佩いていた紐小刀(ひもかたな)を解いて、その頸につけて帰した。それでその一尋和邇は、今も佐比持神という。

      こうして海神の教えの通りに、その釣り針を渡した。するとこの後、次第に貧しくなり、さらに心が荒れて攻めてきた時に、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせた。助けを求めて来たので、塩乾珠(しおふるたま)を出して救った。このように悩み苦しめられる時に、首を下げて「私は今後、あなた様の昼夜の守護人として仕え奉ります」と言った。
      それで今に至るまで、その溺れた時の様々な仕草を演じ、仕えているのである。

      海神の女の豊玉毘売命が自らやって来て、「私はすでに妊娠しておりまして、今が産む時期です。天神の御子を海原に生むのはよろしくないと思い、それで参ったのです」と言った。そしてすぐに海辺の渚に鵜の羽で葺いて、産屋を造った。しかしその産屋がまだ葺き合わないうちに、急な陣痛で耐えられなくなって産屋に入った。そしてまさに産む時、その夫に言うには「全て異郷の人は、産む時になると、本国の姿になって産みます。それで私も今、元の体で産みます。どうか私を御覧にならないで下さい」と。
      その言葉を不思議に思って、密かにその出産を覗くと、八尋和邇(やひろわに)になって、うねりくねっていた。これを見ると驚き恐れて逃げ去った。
      豊玉毘売命は、覗き見られてことを知って恥じ、その御子を生み置いて、「私はいつも海の道を通って、往来しようと思っておりました。しかし私の姿を覗き見られたことは、とても恥ずかしい」と言うと、すぐに海との境を塞いで帰ってしまった。
      こうして産まれた御子は天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命という。
      しかしこの後、覗かれたことを恨めしく思っていたが、恋しい心に耐えられなかった。それでその御子を養育するという理由で、妹の玉依毘売を託して歌を献上した。その歌は、

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      そこで夫は答えて歌を詠んだ。

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      【古事記 上巻】