名前
  • 彥火火出見尊【日本書紀】ほほで)彦火火出見尊
  • 火火出見尊【日本書紀】(ほほで
  • 火折尊【日本書紀】(ほおりのみこと, ほをり, ほのおりのみこと, ほをり
  • 火折彥火火出見尊【日本書紀】(ほおりひこほほでみのみこと, ほをりほほで, ほのおりひこほほでみのみこと, ほをりほほで)火折彦火火出見尊
  • 火夜織命【日本書紀】(ほ, ほおり, ほ, ほおり
  • 火遠理命【古事記】(ほおりのみこと, ほをり
  • 火折命【先代旧事本紀】(ほおりのみこと, ほをり, ほのおりのみこと, ほをり
  • 天津日高日子穗穗手見命【古事記】(あまつほほで, あまつたかほほで)天津日高日子穂穂手見命
  • 彥火尊【古語拾遺】)彦火尊
  • 山幸彥【日本書紀】(やまさち)山幸彦
  • 山佐知毘古【古事記】(やまさち
  • 山幸彥尊【先代旧事本紀】(やまさち)山幸彦尊
  • 虛空彥【日本書紀】らつ)虚空彦
  • 虛空津日高【古事記】らつ)虚空津日高
  • 鹿葦津姫かしつひめ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
先祖
  1. 天津彦彦火瓊瓊杵尊
    1. 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
      1. unknown
      2. 天照大神
    2. 栲幡千千姫
      1. 高皇産霊尊
  2. 鹿葦津姫
    1. unknown
    2. 大山祇神
      1. 伊邪那岐命
      2. 伊邪那美命
配偶者
  • 豊玉姫とよたまひめ【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
  • ・・・
    • 玉依姫命たまよりひめのみこと【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀】
  • 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊ひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと【日本書紀 巻第二 神代下第十段】【母:豊玉姫とよたまひめ
  • ・・・
    • 武位起命たけいこのみこと【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀】【母:玉依姫命たまよりひめのみこと
子孫
  1. 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
    1. 五瀬命
    2. 稲飯命
      1. 稚草根命
    3. 三毛入野命
    4. 神武天皇
      1. 手研耳命
      2. 神八井耳命
      3. 綏靖天皇
称号・栄典とても広〜い意味です。
出来事
  • 鹿葦津姫は皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊に召されて、一夜で妊娠した。
    皇孫は信じられずに、「天神といえども、どうして一夜の間に人を妊ませることができようか。お前が妊んだのは、我が子ではないはずだ」と言った。それで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸の無い室を作って、その中に入り、誓約(うけい)をして「私が身ごもったのが、天孫の御子でなければ、きっと焼け滅びるであろう。もし本当に天孫の御子であれば、火で損なわれることはない」と言った。そして火を放って室を焼いた。
    始めて起こる煙の末から生まれ出た子を名付けて火闌降命という。
    次に熱が避る時に生まれ出た子を名付けて彦火火出見尊という。
    次に生まれ出た子を名付けて火明命という。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
    • 神吾田鹿葦津姫が皇孫を見て言うには、「私は天孫の御子を妊みました。私事として生むことは出来ません」と。皇孫は「天神の子といえども、どうして一夜で人を妊ますことが出来ようか。私の子では無いのだろうか」と言った。木花開耶姫は恥じ恨むこと甚だしく、戸の無い室を作り、誓約(うけい)をして言うには、「私が妊んだのが、他の神の子であれば、きっと不幸が起きるであろう。本当に天孫の子であれば、きっと無事に生まれるであろう」と。そしてその室の中に入り、火で室を焼いた。
      炎が初めて起こる時に生まれた子を名付けて火酢芹命
      次に火の盛んな時に生まれた子を名付けて火明命という。
      次に生まれた子を名付けて彦火火出見尊という。またの名を火折尊という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
    • 初め炎が明るい時に生まれた子は火明命
      次に炎が盛んな時に生まれた子は火進命。また火酢芹命という。
      次に炎が避る時に生まれた子は火折彦火火出見尊。
      全てこの三子は、火で損なわれることは無く、母もまた損なわれることは少しも無かった。
      時に竹刀で、その子の臍の緒を切った。その棄てた竹刀は竹林になった。それでその地を名付けて竹屋(たかや)という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第三】
    • その火が初め明るくなった時に踏み出た子が自ら名乗って「私は天神の子。名を火明命という。我が父はどこにおられるのですか」と。
      次に火の盛んな時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を火進命という。我が父と兄はどこにおられるのですか」と。
      次に火が衰える時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を火折尊という。我が父と兄達はどこにおられるのですか」と。
      次に火の熱が避る時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を彦火火出見尊という。我が父と兄達はどこにおられるのですか」と。

      ホオリとヒコホホデミを同一神ではなく兄弟神としている。
      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第五】
    • 火酢芹命が生まれた。
      次に火折尊が生まれた。またの名は彦火火出見尊。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第六】
    • 天杵瀬命吾田津姫を娶り、生まれた子は火明命。次に火夜織命。次に彦火火出見尊。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第七 一云】
    • 天照国照彦火明命木花開耶姫命を娶って妃とし、生まれた子を名付けて火酢芹命という。次に彦火火出見尊。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第八】
    • その火が盛んに燃えるときに生まれた子の名は火照命
      次に生まれた子の名は火須勢理命
      次に生まれた子の御名は火遠理命。またの名は天津日高日子穂穂手見命の三柱。

      【古事記 上巻】
    • その火が初めて明るくなった時に、踏み出た子が自ら「私は天神の子。名は火明命。我が父は何処におられますか」と言った。
      次に火が盛んな時に、踏み出た子が自らまた「私は天神の子。名は火進命。我が父と兄は何処におられますか」と言った。
      次に火が衰える時に、踏み出た子が自らまた「私は天神の子。名は火折尊。我が父と兄は何処におられますか」と言った。
      次に火の熱が避る時に、踏み出た子が自らまた「私は天神の子。名は彦火火出見尊。我が父と兄は何処におられますか」と言った。

      【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀】
  • 兄の火闌降命は海幸があった。弟の彦火火出見尊は山幸があった。
    始め兄弟二人が共に語って「試しに幸を取り換えてみよう」と。そして互いに取り換えてみたが、どちらも幸は得られなかった。兄は悔いて弟の弓矢を返し、自分の釣針を求めた。
    時に弟は兄の針を失っており、探す術もなかった。それで別に新たな針を作って兄に渡したが、兄は受けとらず、元の針を求めた。
    弟は憂えて、その横刀(たち)で新たな針を鍛え作って、箕一杯に盛って渡した。兄は「私の元の針で無ければ、多くても受け取らない」と言って怒り、益々責め立てた。それで彦火火出見尊は憂え苦しむこと甚だしく、海のほとりを彷徨った。
    時に塩土老翁に出会った。老翁は「何をここで憂えているのかな」と尋ねた。答えて事の本末を伝えた。老翁は「そんなに憂えなさるな。私があなたの為に一計を案じよう」と言った。そして無目籠(まなしかたま)を作って、彦火火出見尊を籠の中に入れて海に沈めた。すると自然に美しい小浜に着いた。
    そこで籠を棄てて歩いて行くと、忽ちに海神(わたつみ)の宮に着いた。その宮は立派な垣が備わり、高殿は光り輝いていた。門の前には一つの井戸があり、井戸のそばには一本の湯津杜(ゆつかつら)の木があった。枝葉は繁茂していた。
    時に彦火火出見尊はその木の下をよろよろと歩き彷徨った。しばらくして一人の美人が戸を押し開いて出てきて、玉鋺に水を汲もうとした。それで注目していると、驚いて帰って行き、その父母に「一人の珍しい客人が門の前の木の下におります」と言った。海神は畳を重ねて敷いて導き入れた。坐につくと、そのやって来たわけを聞いた。彦火火出見尊は実情を詳しく話した。
    海神は大小の魚を集めて問い質した。皆が言うには「知りません。ただ赤女(あかめ)赤女とは鯛の名、とある。がこの頃、口の病があって参ってはおりません」と。呼び寄せてその口を探すと、果たして失くした針を得た。

    さて彦火火出見尊は海神の娘の豊玉姫を娶って、海宮(わたつみのみや)に留まり住んで既に三年が経った。
    そこは安らかで楽しいといえども、なお故郷を思う心は無くならなかった。それでひどく嘆いた。豊玉姫はこれを聞いて、その父に「天孫はお悲しみになり、しばしばお嘆きになります。郷土を懐かしみ憂うのでしょう」と言った。
    海神は彦火火出見尊を中に案内して、静かに語って言うには「天孫がもし故郷に帰りたいとお思いでしたら、私がお送り奉りましょう」と。
    そして手に入れた釣針を授けて、教えて言うには「この針を兄にお与えになる時、密かにこの針に『貧鉤(まじち)』と仰ってお与えなさい」と。
    また潮満瓊(しおみちのたま)潮涸瓊(しおひのたま)を授けて、教えて言うには「潮満瓊を水につけると、潮はたちまちに満ちます。これであなたの兄は溺れさせ、もし兄が悔いて助けを求めれば、反対に潮涸瓊を水につけて、潮は自ずと引くので、これでお救いなさい。こう責め悩ませれば、あなたの兄は自ずと従うでしょう」と。
    まさに帰ろうとする時に、豊玉姫は天孫に「私はすでに妊んでおります。間もなく生まれるでしょう。私は必ず波風の速い日に海浜に出ますので、どうか私の為の産屋を作ってお待ち下さい」と言った。
    彦火火出見尊は宮に帰り、海神の教え通りに従った。
    時に兄の火闌降命は災厄を被って困り悩み、自ら降伏して言うには「今後は、私はあなたの俳優(わざおき)の民となりましょう。どうかお救い下さい」と。そこでその願いに応じて遂に許した。その火闌降命は、吾田君小橋(あたのきみおばし)らの本祖である。
    後に豊玉姫は、果たして先の約束の如く、その妹の玉依姫を連れ、風波を冒して海辺にやって来た。
    出産するに至り、「私が産む時に、どうか御覧になりませんように」と請うたが、天孫は耐えられず、密かに覗き見た。
    豊玉姫はまさに産む時に竜となった。そしてひどく恥じ、「もし私が辱めを受けなければ、海と陸は相通じ、永く隔てることは無かったでしょう。今は辱めを受けました。どうして睦まじく心を結ぶことが出来ましょう」と言って、(かや)で子を包んで海辺に棄てて、海路を閉じてすぐに去った。それで子を名付けて彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊という。
    後に久しくして彦火火出見尊は崩じ、日向高屋山上陵(ひむかのたかやのやまのうえのみささぎ)に葬った。

    【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
    • 兄の火酢芹命は海幸をよく得た。弟の彦火火出見尊は山幸をよく得た。時に兄弟は互いにその幸を交換したいと思った。それで兄は弟の幸弓(さちゆみ)を持ち、山に入って獣を求めたが、獣の足跡さえも見つけられなかった。弟は兄の幸鉤(さちち)を持ち、海に行って魚を釣ったが、少しも得ることが出来ず、遂にはその釣針を失ってしまった。この時兄は弟の弓矢を返して、自分の針を求めた。弟は憂えて、帯びている横刀(たち)で針を作って、箕一杯に盛って兄に渡した。兄は受けとらずに、「私の幸鉤が欲しいのだ」と言った。
      彦火火出見尊は探す術も無く、ただ憂え彷徨うだけだった。それで海辺に行き着き、たたずみ嘆いた。
      時に一人の老人が忽然と現れて、塩土老翁と名乗った。そして尋ねて言うには「君は誰かな。どうしてここで憂えておるのかな」と。彦火火出見尊は詳しく事を話した。老翁は袋の中から櫛を取り出し、地面に投げると、沢山の竹林になった。そしてその竹を取って、大目麁籠(おおまあらこ)を作って、火火出見尊を籠の中に入れて海に流した。
      あるいは無目堅間(まなしかたま)で水に浮かべる木を作って、細縄を火火出見尊に縛り付けて沈めたという。所謂堅間は、今の竹の籠である。
      海底には美しい小浜があった。それで浜伝いに進むと、たちまち海神豊玉彦の宮に着いた。その宮は城門を高く飾って壮麗だった。門の外には井戸があり、井戸の側には杜の木があった。そこでその木の下に立っていると、しばらくして一人の美人が現れた。容貌は世に勝れ、侍者を沢山従えて、中から出てきた。そしてまさに玉壼で水を汲もうとした時、火火出見尊を仰ぎ見て驚き、帰ってその父神に言うには、「門の前の井戸の側の木の下に、一人の貴人がおります。骨格は常人ではありません。もし天から降られたのでしたら、天の汚れがあり、地から来たのであれば、地の汚れがあります。実にこれが妙な美しさなのです。虚空彦というのでしょうか」と。
      あるいは豊玉姫の侍者が玉瓶で水を汲もうとしたが、満たすことが出来なかった。井戸の中を見ると、逆さまに人の笑顔が映っていた。それで仰ぎ見ると、一柱の麗しい神がいて、杜の木に寄り立っていたので、帰ってその王に話したという。
      そこで豊玉彦は人を遣わして尋ねて「客人は誰であるか。なぜこの地にやって来られたのか」と。火火出見尊は答えて「私は天神の孫です」と。そしてやって来たわけを話した。海神は迎え拝んで中に入れて、慇懃に仕えた。そして娘の豊玉姫を妻合わせた。
      海宮(わたつみのみや)に留まり住んで、既に三年が経った。
      この後、火火出見尊は溜息を付くことが多かった。豊玉姫が「天孫は故郷にお帰りになりたいのではないですか」と尋ねると、「そうなのです」と答えた。豊玉姫は父神に「ここにおいでになる貴人は、上国(うわつくに)に帰りたいと仰っています」と言った。海神は海の魚を全て集めて、その針を探させた。一匹の魚が言うには「赤女(あるいは赤鯛という)が長らく口の病を患っています。これが飲み込んだのではないでしょうか」と。それで赤女を呼んで、その口の中を見ると、口の中に針があった。これを取って彦火火出見尊に渡した。そして教えて言うには。「針をあなたの兄君にお与えになる時、『貧窮之本(まじのもと)飢饉之始(うえのはじめ)困苦之根(くるしみのもと)原文ママ。』と呪った後にお与えなさい。またあなたの兄君が海を渡ろうとする時に、私は必ず速い風波を起こして、溺れ苦しめましょう」と。
      そして火火出見尊を大鰐に乗せて、故郷へ送った。

      これより先、別れる時に、豊玉姫はゆっくり語って「私はすでに妊んでおります。風波が速い日に海辺に出ます。どうか私の為に産屋を造ってお待ち下さい」と。この後、豊玉姫は果たしてその言葉のようにやって来て、火火出見尊に「私は今夜産みます。どうか御覧にならないで下さい」と言った。火火出見尊は聞かずに、櫛に火を灯して見た。豊玉姫八尋大熊鰐(やひろわに)となって、這い回っていた。見られて辱められたのを恨み、すぐに海に帰ってしまった。
      その妹の玉依姫を留めて、子を養わさせた。子の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊というのは、その海浜の産屋に、鸕鷀()の羽を用いた屋根が葺き合う前に子が生まれたので、名付けたのである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第一】
    • 門の前に一つの井戸があった。井戸の上に枝の茂った杜の木があった。彦火火出見尊はその木に跳び登って立っていた。この時海神の娘の豊玉姫が、手に玉鋺を持ってやって来て、まさに水を汲もうとした。人影が井戸の中にあったので仰ぎ見ると、驚いて鋺を落とした。鋺は砕けたのも顧みずに帰り入って、父母に言うには「私は井戸の側の木の上に一人の人がいるのを見ました。顔色はとても美しく、姿は雅で、常人ではありません」と。父神は聞いて不思議に思い、幾重にも席を敷いて迎え入れた。坐すと、やって来たわけを尋ねた。詳しく事を話した。海神は憐れみの心を起こして、全ての大小の魚を呼んで尋ねた。皆が言うには「知りません。ただ赤女(あかめ)の口に病があって、来ておりません」と。または口女(くちめ)鯔(イナ)の古名。の口に病があったともいう。
      そこで急いで呼んで、その口を探すと、失った針を得ることが出来た。そして海神は「口女は今後、餌を飲み込んではならない。また不得預天孫の御膳に進めてはならない」と言った。口女の魚を御膳に進めないのは、これがそのもとである。
      彦火火出見尊が帰ろうとする時、海神が言うには、「今、天神の孫がかたじけなくも私の所へおいで下さった。心の中の喜びは、いつになっても忘れません」と。そして思いのままに潮溢之瓊(しおみちのたま)潮涸之瓊(しおひのたま)を、その針にそえて奉って言うには、「皇孫よ。幾重もの境で隔てていても、どうか時にまた思い出して、忘れないで下さい」と。そして教えて言うには、「この針をあなたの兄君にお与えになる時に、『貧鉤(まじち)滅鉤(ほろびち)落薄鉤(おとろえち)原文ママ。』と呪った後に、後ろ手に投げ棄ててお与えなさい。向かって与えてはなりません。もし兄が怒りを起こして、害をする心があれば、潮溢瓊を出して溺れさせなさい。もし救いを求めれば、潮涸瓊を出してお救いなさい。このように悩ませれば、自ら臣として伏すでしょう」と。
      彦火火出見尊はその瓊と針を受け取って、もとの宮に帰った。
      海神の教えに従って、まずその針を兄に与えたが、兄は怒って受け取らなかった。そこで弟は潮溢瓊を出した。すると潮は大いに満ちて、兄を溺れさせた。それで助けを求めて、「私はあなたの為の(やっこ)となります。どうかお救い下さい」と言った。弟は潮涸瓊を出した。すると潮は自ずと引いた。兄は元に戻った。
      後に兄は前言を改めて、「私はお前の兄だ。どうして兄が弟に仕えることが出来ようか」と言った。
      弟は潮溢瓊を出した。兄はこれを見て高山に逃げ登った。潮は山を呑み込んだ。兄は高い木に登った。潮は木を呑み込んだ。兄は窮して、逃げる所も無かった。そして罪に伏して「私は過ちを犯しました。今後、我が子孫は永く恒にあなたの為の俳人(わざひと)となりましょう」と言った。あるいは「狗人(こまひと)となりましょう。どうか哀れんで下さい」と言ったという。弟は涸瓊を出した。すると潮は自ずと引いた。
      兄は弟に神徳があるのを知って、遂にその弟に伏した。この火酢芹命の苗裔、諸々の隼人(はやと)らである。今に至るまで、天皇の宮垣の側を離れずに、代々吠える狗として仕えているのである。
      世の人が失くした針を責めないのは、これがそのもとである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第二】
    • 兄の火酢芹命は海幸をよく得ていた。それで名付けて海幸彦という。弟の彦火火出見尊は山幸をよく得ていた。それで名付けて山幸彦という。
      兄は風が吹き雨が降る毎に、その幸を失った。弟は風が吹き雨が降っても、その幸は違わなかった。
      時に兄は弟に「私はお前と幸を交換したいと思う」と言った。弟は許諾して交換した。
      兄は弟の弓矢を持って、山に入って獣を狩った。弟は兄の釣針を持って、海に入って魚を釣った。しかし収穫は無く、空手(むなで)で帰って来た。
      兄は弟の弓矢を返して、自分の釣針を求めた。時に弟は既に針を海中に失っており、探し求める術は無かった。それで別に新たな針を数千作って渡した。兄は怒って受け取らず、もとの針を求め責めた。云々。
      弟は海浜に行って、うなだれて憂い彷徨った。時に川雁がいて、罠にかかって困っていた。それで憐れみの心を起こして、解放してあげた。
      しばらくして塩土老翁がやって来た。そして無目堅間(まなしかたま)の小船を作り、火火出見尊を乗せて、海の中に放った。すると自然に沈んでいった。たちまち美しい路が見えたので、その路に従って進んだ。すると自ずと海神の宮に着いた。海神は自ら迎え入れた。そして海驢(みち)海驢。此云美知。今のアシカか。の皮を幾重に敷いて、その上に坐らせた。また沢山の物を並べた机を設けて、主人としての礼を尽くした。そしてゆっくり尋ねて「天神の孫が、どうしてかたじけなくもおいで下さったのですか」と。
      あるいは、「この頃我が子がやって来て『天孫が海浜で憂えておいでになる』と言っていましたが、真実は分かりませんでしたが、この事でしたか」と言ったという。
      彦火火出見尊は詳しく事の本末を話した。そして留まり住んだ。海神は、子の豊玉姫を妻合わせた。仲睦まじく深く愛し合った。
      既に三年が経った。
      まさに帰ろうとする時、海神は鯛女を呼んで、その口を探した。すると針を得た。そこでこの針を彦火火出見尊に渡して、教えて言うには、「これをあなたの兄君にお与えになる時に、『大鉤(おおち)踉䠙鉤(すすのみぢ)踉䠙鉤。此云須須能美膩。貧鉤(まじち)痴騃鉤(うるけぢ)痴騃鉤。此云于楼該膩。』と仰った後に、後ろ手にお投げなさい」と。そして鰐魚(わに)を呼び集めて尋ねるには「天神の孫が今まさにお帰りになる。お前達は幾日の内に送り奉りなさい」と。この時諸々の鰐魚は、それぞれのばらばらの日数を述べた。中に一尋鰐(ひとひろわに)がいて、「一日の内にお送り致しましょう」と言った。そこで一尋鰐魚を遣わして送った。また潮満瓊(しおみつのたま)潮涸瓊(しおひのたま)の二種の宝物を進上して、瓊を用いる方法を教えた。また教えて「兄君が高田を作れば、あなたは窪田を作りなさい。兄君が窪田を作れば、あなたは高田を作りなさい」と。このように海神が誠を尽くして助けた。
      彦火火出見尊は帰って来て、神の教えに従って実行した。
      その後、火酢芹命は日々にやつれ、憂えて「私は貧しい」と言った。そして弟に従った。弟は潮満瓊を出して、兄は手を挙げて溺れさせ、潮涸瓊を出して、元に戻すことを繰り返したのである。
      これより先、豊玉姫は天孫に「私は既に妊んでおります。天孫の御子をどうして海の中に産めましょうか。それで産みます時に、必ず我が君の所へ参ります。もし私の為に産屋を海辺に造ってお待ち下さい。これが望みです」と言った。それで彦火火出見尊は故郷に帰って、鸕鷀()の羽で葺いて産屋を造った。屋根が葺き合う前に、豊玉姫は大亀に乗って、妹の玉依姫を連れて、海を照らしてやって来た。臨月で、産む時が迫っていた。それで葺き合うのを待たずに、産屋に入った。そしてゆっくり天孫に「私の出産を、どうか御覧にならないで下さい」と言った。天孫はその言葉を怪しんで、密かに覗き見た。すると八尋大鰐(やひろわに)となっていて、天孫が覗き見たことを知って、深く恥じ恨んだ。子が生まれた後に、天孫に尋ねて「御子の名はいかがいたしましょうか」と。答えて「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と名付けるのが良いであろう」と。言い終わると海を渡って去ってしまった。この時彦火火出見尊は歌を詠んだ。

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      または彦火火出見尊は婦人を召して、乳母(ちおも)湯母(ゆおも)飯嚼(いいかみ)湯坐(ゆえびと)とした。全て諸々を備えて養育させた。時に仮に他の女の乳で皇子を養った。これが世の中に乳母を取って子を養育させるもとである。
      この後、豊玉姫はその子が端正であることを聞いて、心にひどく憐れみが募り、また帰って養育したいと思ったが、義に背くので、妹の玉依姫を遣わして養育させた。
      この時豊玉姫玉依姫に寄せて、報歌(かえしうた)を贈った。

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      この贈答二首を名付けて挙歌(あげうた)という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第三】
    • 兄の火酢芹命は山幸を得た。弟の火折尊は海幸を得た。云々。
      弟は憂え彷徨って海浜にいた。時に塩筒老翁に出会った。老翁は「何を憂えておるのかな」と尋ねた。火折尊は答えて、云々。

      老翁は「もう憂えてはなりません。私が一計を案じましょう」と言った。そして謀って言うには「海神の乗る駿馬は、八尋鰐(やひろわに)です。これはその背鰭を立てて、橘の小戸にいます。私が彼と共に策を練りましょう」と。そして火折尊を連れて、共に行って会った。この時、鰐魚が謀って言うには「私は八日の後に、天孫を海宮(わたつみのみや)にお送り致します。ただ我が王の駿馬である一尋鰐魚は、一日の内に必ずお送り致します。そこで今私が帰って、彼を呼んで来ますので、彼に乗って海にお入りなるのが宜しいでしょう。海にお入りになる時には、海の中に自ずと美しい小浜が現れます。その浜伝いに進めば、必ず我が王の宮に着くでしょう。宮の門の井戸の側には、湯津杜(ゆつかつら)の木があります。その木の上に乗っていらっしゃい」と。言い終わるとすぐに海に入った。天孫は鰐の言葉に従って待った。相つこと八日、しばらくして一尋鰐がやって来たので、それに乗って海に入った。事々に先の鰐の教えに従った。
      時に豊玉姫の侍者がいて、玉鋺を持って井戸の水を汲もうとした。見ると人影が水底にあるって、汲むことが出来ず、仰いで天孫を見た。すると中に戻って、その王に言うには「私は、我が王だけが優れた麗しいお方だと思っておりました。今一人の客人を見ると、さらに勝れておりました」と。海神はこれを聞いて「試しに見てみよう」と言うと、三つの床を設けて招き入れた。天孫は手前の床で両足を拭き、中の床で両手を合わせ、内の床では真床覆衾(まとこおうふすま)の上にあぐらをかいてゆっくり坐った。海神はこれを見て、天神の孫であることを知っり、益々崇め敬った。云々。

      海神赤女(あかめ)口女(くちめ)を呼んで尋ねた。時に口女は口から釣針を出して差し出した。赤女は赤鯛である。口女は鯔である。時に海神は彦火火出見尊に釣針を渡し、教えて言うには「兄君に針をお返しになる時、天孫は『あなたが生む末代までの子孫は、貧鉤(まじち)狭狭貧鉤(ささまじち)原文ママ。』と仰り、その後に、三度唾を吐いてお与えなさい。また兄君が海で釣りをする時に、天孫は海浜で風招(かざおき)をなさいませ。風招とは、(うそぶ)口をすぼめて息を吹き出すこと。ことです。このようになされば、私が瀛風(おきつかぜ)辺風(へつかぜ)を起こして、速い波で溺れ悩ませましょう」と。
      火折尊は帰って来て、神の教えに従い、兄が釣りをする日に、弟は浜で嘯いた。この時速風が急に起こって、兄は溺れ苦しんだ。助かる術もなかった。それで弟に救いを求めて「お前は久しく海原にいたから、きっとよい術があるのだろう。どうか救ってくれ。もし私が助かれば、私の子は末代まで、お前の側を離れずに、俳優(わざおき)の民となろう」と言った。そこで弟は嘯きをやめると、風は止んだ。それで兄は弟の徳を知って、自ら従おうとしたが、弟は怒ったまま話をしなかった。そこで兄は褌をつけて、赤土を掌に塗り、顔に塗った。そして弟に「私はこのように体を汚しました。永くあなたの為の俳優となります」と言って、足を挙げて踏みならし、その溺れ苦しむ様を真似した。
      始め潮が浸かる時に足占(あしうら)爪先立ちをしたということか。をし、膝が浸かると時に足を挙げ、(もも)に至る時には走り廻り、腰に至る時には腰を撫で、腋に至る時には手を胸に置き、頸に至る時には手を挙げて、ひらひらと振った。それから今に至るまで、子々孫々やむことはない。
      これより先、豊玉姫がやって来て、まさに産もうとする時、皇孫に請うて云々。

      皇孫が従わなかったので、豊玉姫は大いに恨んで言うには「私の言葉を聞き入れずに、私を辱めましたね。だから今後は、私の奴婢があなたの所へ行きましても、お返しなされるな。あなたの奴婢が私の所へ来ましても返しません」と。遂に真床覆衾(まとこおうふすま)(かや)で、その子を包んで渚に置いた。そして海に入って去った。海と陸が通じないのはこれがもとである。あるいは、子を渚に置いたのではなく、豊玉姫命が自ら抱いて去ったともいう。
      久しくして「天孫の御子を、この海の中に置くのは宜しくない」と言って、玉依姫に抱かせて送り出した。
      始め豊玉姫は別れて去る時に恨み言を言ったので、火折尊は再会は不可能と知って、歌を贈った直後に『已に上に見ゆ』とあり、同段一書第三の歌を指すと思われる。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第四】
    • 火照命海佐知毘古として海の大小の魚を取り、火遠理命は山佐知毘古として様々の獣を取った。
      火遠理命は、その兄の火照命に「お互いの幸を取り替えてみましょう」と言って、三度頼んでみたが許されなかった。しかし遂にわずかの間、取り替えることを許された。そこで火遠理命は釣り針で魚を釣ってみたが、全く魚は得られなかった。またその釣り針を海に失ってしまった。
      兄の火照命は、その釣り針を求めて、「山の幸も、海の幸も、それぞれの幸であるから、今はその幸を互いに返そう」と言った。弟の火遠理命は「あなたの釣り針で、魚を釣ってみましたが、一匹の魚も得られませんで、とうとう海に失ってしまいました」と答えた。しかしその兄は強く求めて責めた。それでその弟は、佩いていた十拳剣(とつかのつるぎ)で、五百の釣り針を作って償おうとしたが、受け取らなかった。また千の釣り針を作って償おうとしたが受け取らず、「やはり元の釣り針が欲しい」と言った。
      こうしてその弟は、泣き憂えて海辺にいたとき、塩椎神がやって来て、「なぜ虚空津日高は泣き憂えているのかな」と尋ねたので、「私と兄と釣り針を取り替えて、その釣り針を失ってしまったのです。そして釣り針を求められたので、多くの釣り針で償いましたが受け取っては頂けず、『やはり元の釣り針が欲しい』と仰るので、泣き憂えているのです」と答えた。
      そこで塩椎神は「私があなた様の為に、善い工夫をして差し上げましょう」と言うと、隙間の無い竹籠の小船を作って、その船に乗せて教えるには、「私がこの船を押し流しましたら、しばらく進みなさい。よい潮路がありましょう。そしてその道に乗って行くと、魚の鱗で造ったような宮があります。それは綿津見神の宮です。その神の御門に着きましたら、そばにある泉のほとりに神聖な桂の木がありますので、その木の上にいらっしゃれば、その海神の娘がお姿を見て、取りはからってくれましょう」と。
      それで教えに従って少し行くと、その言葉のとおりだった。そして桂の木に登って待った。すると海神の娘の豊玉毘売の侍女がやって来て、玉器を持って水を汲もうとしたとき、泉に光が射した。仰ぎ見ると、立派な男性がいたので、とても不思議に思った。そこで火遠理命はその侍女を見て、水を求めた。侍女は水を汲んで玉器に入れて差し出した。しかし水は飲まずに、首飾りの玉の緒を解くと、口に含んで玉器に入れた。するとその玉は玉器にくっついて、侍女が離そうとしても離れなかった。それで玉がついたまま、豊玉毘売命に進上した。
      そこでその玉を見て、侍女に「もしや門の外に人がおるのですか」と尋ねると、「人がいらっしゃいます。泉のほとりの桂の木の上に、たいそう立派な男性がいらっしゃいます。我が王よりもとても貴いお方です。そしてその人は水をお求めになるので、水を奉りましたが、水をお飲みにならずに、この玉をお入れになったのですが、離そうとしても離れません。それで入ったまま持ってきて献上するのです」と答えた。
      豊玉毘売命は不思議に思い、出て見てみると、一目惚れして互いに目を合わせた。そしてその父に「我が家の門に立派な人がおります」と言うと、海神は自ら出て見て、「この方は天津日高(あまつひこ)の御子の虚空津日高だよ」と言って、すぐに宮中に入れて、美智(みち)アシカの皮を畳に八重に敷き、また絹畳をその上に八重に敷いて、その上に坐らせて、机に沢山の品々をそろえて御饗をして、その娘の豊玉毘売を結婚させた。
      その国に住んで三年が過ぎた。
      火遠理命はその始まりの事釣り針云々。を思い出して大きな溜め息をついた。そして豊玉毘売命はその溜め息を聞いて、その父に「三年お住みになっても、溜め息などありませんでしたが、今夜は大きな溜め息をおつきになりました。もしや何かあるのでしょうか」と言った。父の大神はその婿に「今朝、我が娘が話すのを聞いたですが、『三年お住みになっても、溜め息などありませんでしたが、今夜は大きな溜め息をおつきになりました。』と言っていました。何かわけがあるのでしょうか。またここにおいでになったのは、どういうわけでしょうか」と尋ねた。
      そこでその大神に、その兄の釣り針を失い、責められたことを詳しく語った。
      海神は大小の魚を悉く海に集めて、「もしやこの釣り針を取った魚はいるか」と言った。それで魚たちが言うには、「この頃、赤い鯛が、喉に魚の骨が刺さって、物を食べることが出来ないと悩んで訴えております。きっとこれが取ったのでしょう」と。そこで赤鯛の喉を探ってみると、釣り針があった。すぐに取り出し、洗い清めて、火遠理命に差し出したとき、その綿津見大神が教えて言うには、「この釣り針を、その兄君にお与えになるときに、『この鉤は、淤煩鉤(おぼち)須須鉤(すすち)貧鉤(まじち)宇流鉤(うるち)この釣り針は、心塞ぐ針、心猛り狂う針、貧しい針、愚かな針。』と呪い、手を後ろにしてお与え下さい。そしてその兄君が高い所に田を作ったら、あなた様は低い所に田をお作りなさい。その兄君が低い所に田を作ったら、あなた様は高い所に田をお作りなさい。そうなされば、私は水を掌っておりますので、三年の間は必ずやその兄君は貧しさに窮することでしょう。もしそうなることを恨んで、攻め挑んできたら、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせ、もし許しを請えば、塩乾珠(しおふるたま)を出して助け、このように悩ませ苦しめなさいませ」と。そして塩盈珠と塩乾珠、合わせて二つを授け、すぐに全ての和邇(わに)ワニ、サメの説があるが、ここでは断定しない。を集めて、「今、天津日高の御子の虚空津日高は、上の国においでになろうとしておられる。誰が幾日で送り奉り、復命するか」と言った。
      それでそれぞれ身長の長さに従い、日を限って申す中、一尋和邇(ひとひろわに)が「私は一日で送れ、すぐに帰ってきます」と言った。それでその一尋和邇に「であれば、お前が送り奉りなさい。もし海の中を渡るときに、お恐れになることがあってはならぬぞ」と言った。そしてその和邇の頸に乗せて送り出すと、約束どおり一日の内に送り届けた。その和邇が帰る時、佩いていた紐小刀(ひもかたな)を解いて、その頸につけて帰した。それでその一尋和邇は、今も佐比持神という。

      こうして海神の教えの通りに、その釣り針を渡した。するとこの後、次第に貧しくなり、さらに心が荒れて攻めてきた時に、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせた。助けを求めて来たので、塩乾珠(しおふるたま)を出して救った。このように悩み苦しめられる時に、首を下げて「私は今後、あなた様の昼夜の守護人として仕え奉ります」と言った。
      それで今に至るまで、その溺れた時の様々な仕草を演じ、仕えているのである。

      海神の娘の豊玉毘売命が自らやって来て、「私はすでに妊娠しておりまして、今が産む時期です。天神の御子を海原に生むのはよろしくないと思い、それで参ったのです」と言った。そしてすぐに海辺の渚に鵜の羽で葺いて、産屋を造った。しかしその産屋がまだ葺き合わないうちに、急な陣痛で耐えられなくなって産屋に入った。そしてまさに産む時、その夫に言うには「全て異郷の人は、産む時になると、本国の姿になって産みます。それで私も今、元の体で産みます。どうか私を御覧にならないで下さい」と。
      その言葉を不思議に思って、密かにその出産を覗くと、八尋和邇(やひろわに)になって、うねりくねっていた。これを見ると驚き恐れて逃げ去った。
      豊玉毘売命は、覗き見られてことを知って恥じ、その御子を生み置いて、「私はいつも海の道を通って、往来しようと思っておりました。しかし私の姿を覗き見られたことは、とても恥ずかしい」と言うと、すぐに海との境を塞いで帰ってしまった。
      こうして産まれた御子は天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命という。
      しかしこの後、覗かれたことを恨めしく思っていたが、恋しい心に耐えられなかった。それでその御子を養育するという理由で、妹の玉依毘売を託して歌を献上した。その歌は、

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      そこで夫は答えて歌を詠んだ。

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      【古事記 上巻】
    • 天祖彦火尊は海神の娘の豊玉姫命を娶り、彦瀲尊が生まれた。誕生した日、海浜に室を建てた。
      この時、掃守連(かにもりのむらじ)の遠祖天忍人命は供に仕えて、箒を作り、蟹を掃った。そして鋪設を掌り、ついに職とした。名付けて蟹守(かにもり)という。今の世にいう借守(かりもり)とは、その言葉の転訛である。

      【古語拾遺 神代段】
  • 日子穂穂手見命は、高千穂宮(たかちほのみや)に五百八十年住んだ。
    御陵は高千穂山之西(たかちほのやまのにしのかた)にある。

    【古事記 上巻】