火闌降命

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名前
  • 火闌降命【日本書紀】火闌降。此云襃能須素里。
  • 火酢芹命【日本書紀】(ほすせり
  • 火進命【日本書紀】(ほすす
  • 火須勢理命【古事記】(ほすせり
  • 火闌命【先代旧事本紀】
  • 海幸彥【日本書紀】(うさち)海幸彦
  • 海幸彥命【先代旧事本紀】(うさち)海幸彦命
  • 富乃須佐利乃命【新撰姓氏録抄】(ほすさり
  • 富須洗利命【新撰姓氏録抄】(ほすせり
キーワード
  • 隼人等始祖【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
  • 吾田君小橋(あたのきみおはし)等之本祖【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
  • 後裔は山城国阿多隼人(あたのはやひと)・大和国二見首(ふたみのおびと)・大和国大角隼人(おおすみのはやひと)・摂津国日下部(くさかべ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男神
  • 鹿葦津姫かしつひめ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
先祖
  1. 天津彦彦火瓊瓊杵尊
    1. 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
      1. unknown
      2. 天照大神
    2. 栲幡千千姫
      1. 高皇産霊尊
  2. 鹿葦津姫
    1. unknown
    2. 大山祇神
      1. 伊邪那岐命
      2. 伊邪那美命
出来事
  • 鹿葦津姫は皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊に召されて、一夜で妊娠した。
    皇孫は信じられずに、「天神といえども、どうして一夜の間に人を妊ませることができようか。お前が妊んだのは、我が子ではないはずだ」と言った。それで鹿葦津姫は怒り恨んで、戸の無い室を作って、その中に入り、誓約(うけい)をして「私が身ごもったのが、天孫の御子でなければ、きっと焼け滅びるであろう。もし本当に天孫の御子であれば、火で損なわれることはない」と言った。そして火を放って室を焼いた。
    始めて起こる煙の末から生まれ出た子を名付けて火闌降命という。
    次に熱が避る時に生まれ出た子を名付けて彦火火出見尊という。
    次に生まれ出た子を名付けて火明命という。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
    • 神吾田鹿葦津姫が皇孫を見て言うには、「私は天孫の御子を妊みました。私事として生むことは出来ません」と。皇孫は「天神の子といえども、どうして一夜で人を妊ますことが出来ようか。私の子では無いのだろうか」と言った。木花開耶姫は恥じ恨むこと甚だしく、戸の無い室を作り、誓約(うけい)をして言うには、「私が妊んだのが、他の神の子であれば、きっと不幸が起きるであろう。本当に天孫の子であれば、きっと無事に生まれるであろう」と。そしてその室の中に入り、火で室を焼いた。
      炎が初めて起こる時に生まれた子を名付けて火酢芹命。
      次に火の盛んな時に生まれた子を名付けて火明命という。
      次に生まれた子を名付けて彦火火出見尊という。またの名を火折尊という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
    • 初め炎が明るい時に生まれた子は火明命
      次に炎が盛んな時に生まれた子は火進命。また火酢芹命という。
      次に炎が避る時に生まれた子は火折彦火火出見尊
      全てこの三子は、火で損なわれることは無く、母もまた損なわれることは少しも無かった。
      時に竹刀で、その子の臍の緒を切った。その棄てた竹刀は竹林になった。それでその地を名付けて竹屋(たかや)という。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第三】
    • その火が初め明るくなった時に踏み出た子が自ら名乗って「私は天神の子。名を火明命という。我が父はどこにおられるのですか」と。
      次に火の盛んな時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を火進命という。我が父と兄はどこにおられるのですか」と。
      次に火が衰える時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を火折尊という。我が父と兄達はどこにおられるのですか」と。
      次に火の熱が避る時に踏み出た子がまた名乗って「私は天神の子。名を彦火火出見尊という。我が父と兄達はどこにおられるのですか」と。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第五】
    • 火酢芹命が生まれた。
      次に火折尊が生まれた。またの名は彦火火出見尊

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第六】
    • 生まれた子を名付けて火酢芹命という。
      次に彦火火出見尊

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第八】
    • その火が盛んに燃えるときに生まれた子の名は火照命
      次に生まれた子の名は火須勢理命。
      次に生まれた子の御名は火遠理命。またの名は天津日高日子穂穂手見命の三柱。

      【古事記 上巻】
  • 兄の火闌降命は海幸があった。弟の彦火火出見尊は山幸があった。
    始め兄弟二人が共に語って「試しに幸を取り換えてみよう」と。そして互いに取り換えてみたが、どちらも幸は得られなかった。兄は悔いて弟の弓矢を返し、自分の釣針を求めた。
    時に弟は兄の針を失っており、探す術もなかった。それで別に新たな針を作って兄に渡したが、兄は受けとらず、元の針を求めた。
    弟は憂えて、その横刀(たち)で新たな針を鍛え作って、箕一杯に盛って渡した。兄は「私の元の針で無ければ、多くても受け取らない」と言って怒り、益々責め立てた。それで彦火火出見尊は憂え苦しむこと甚だしく、海のほとりを彷徨った。
    時に塩土老翁に出会った。老翁は「何をここで憂えているのかな」と尋ねた。答えて事の本末を伝えた。老翁は「そんなに憂えなさるな。私があなたの為に一計を案じよう」と言った。そして無目籠(まなしかたま)を作って、彦火火出見尊を籠の中に入れて海に沈めた。すると自然に美しい小浜に着いた。
    そこで籠を棄てて歩いて行くと、忽ちに海神(わたつみ)の宮に着いた。

    三年ぶりに彦火火出見尊は宮に帰り、海神の教え通りに従った。
    時に兄の火闌降命は災厄を被って困り悩み、自ら降伏して言うには「今後は、私はあなたの俳優(わざおき)の民となりましょう。どうかお救い下さい」と。そこでその願いに応じて遂に許した。

    【日本書紀 巻第二 神代下第十段】
    • 兄の火酢芹命は海幸をよく得た。弟の彦火火出見尊は山幸をよく得た。時に兄弟は互いにその幸を交換したいと思った。それで兄は弟の幸弓(さちゆみ)を持ち、山に入って獣を求めたが、獣の足跡さえも見つけられなかった。弟は兄の幸鉤(さちち)を持ち、海に行って魚を釣ったが、少しも得ることが出来ず、遂にはその釣針を失ってしまった。この時兄は弟の弓矢を返して、自分の針を求めた。弟は憂えて、帯びている横刀(たち)で針を作って、箕一杯に盛って兄に渡した。兄は受けとらずに、「私の幸鉤が欲しいのだ」と言った。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第一】
    • 弟の彦火火出見尊は、まずその針を兄に与えたが、兄は怒って受け取らなかった。そこで弟は潮溢之瓊(しおみちのたま)を出した。すると潮は大いに満ちて、兄を溺れさせた。それで助けを求めて、「私はあなたの為の(やっこ)となります。どうかお救い下さい」と言った。弟は潮涸之瓊(しおひのたま)を出した。すると潮は自ずと引いた。兄は元に戻った。
      後に兄は前言を改めて、「私はお前の兄だ。どうして兄が弟に仕えることが出来ようか」と言った。
      弟は潮溢瓊を出した。兄はこれを見て高山に逃げ登った。潮は山を呑み込んだ。兄は高い木に登った。潮は木を呑み込んだ。兄は窮して、逃げる所も無かった。そして罪に伏して「私は過ちを犯しました。今後、我が子孫は永く恒にあなたの為の俳人(わざひと)となりましょう」と言った。あるいは「狗人(こまひと)となりましょう。どうか哀れんで下さい」と言ったという。弟は涸瓊を出した。すると潮は自ずと引いた。
      兄は弟に神徳があるのを知って、遂にその弟に伏した。この火酢芹命の苗裔、諸々の隼人(はやと)らである。今に至るまで、天皇の宮垣の側を離れずに、代々吠える狗として仕えているのである。
      世の人が失くした針を責めないのは、これがそのもとである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第二】
    • 兄の火酢芹命は海幸をよく得ていた。それで名付けて海幸彦という。弟の彦火火出見尊は山幸をよく得ていた。それで名付けて山幸彦という。
      兄は風が吹き雨が降る毎に、その幸を失った。弟は風が吹き雨が降っても、その幸は違わなかった。
      時に兄は弟に「私はお前と幸を交換したいと思う」と言った。弟は許諾して交換した。
      兄は弟の弓矢を持って、山に入って獣を狩った。弟は兄の釣針を持って、海に入って魚を釣った。しかし収穫は無く、空手(むなで)で帰って来た。
      兄は弟の弓矢を返して、自分の釣針を求めた。時に弟は既に針を海中に失っており、探し求める術は無かった。それで別に新たな針を数千作って渡した。兄は怒って受け取らず、もとの針を求め責めた。云々。


      その後、火酢芹命は日々にやつれ、憂えて「私は貧しい」と言った。そして弟に従った。弟は潮満瓊を出して、兄は手を挙げて溺れさせ、潮涸瓊を出して、元に戻すことを繰り返したのである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第三】
    • 兄が釣りをする日に、弟は浜で(うそぶ)いた口をすぼめて息を吹き出すこと。。この時速風が急に起こって、兄は溺れ苦しんだ。助かる術もなかった。それで弟に救いを求めて「お前は久しく海原にいたから、きっとよい術があるのだろう。どうか救ってくれ。もし私が助かれば、私の子は末代まで、お前の側を離れずに、俳優(わざおき)の民となろう」と言った。そこで弟は嘯きをやめると、風は止んだ。それで兄は弟の徳を知って、自ら従おうとしたが、弟は怒ったまま話をしなかった。そこで兄は褌をつけて、赤土を掌に塗り、顔に塗った。そして弟に「私はこのように体を汚しました。永くあなたの為の俳優となります」と言って、足を挙げて踏みならし、その溺れ苦しむ様を真似した。
      始め潮が浸かる時に足占(あしうら)爪先立ちをしたということか。をし、膝が浸かると時に足を挙げ、(もも)に至る時には走り廻り、腰に至る時には腰を撫で、腋に至る時には手を胸に置き、頸に至る時には手を挙げて、ひらひらと振った。それから今に至るまで、子々孫々やむことはない。

      【日本書紀 巻第二 神代下第十段 一書第四】
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