玉櫛媛
- 名前
- 玉櫛媛【日本書紀】(たまくしひめ, たまぐしひめ)
- 玉櫛姬【日本書紀】(たまくしひめ)玉櫛姫
- 三嶋溝樴姬【日本書紀】(みしまのみぞくいひめ, みしまのみぞくひひめ)三島溝樴姫
- 勢夜陀多良比賣【古事記】(せやだたらひめ)勢夜陀多良比売
- 性別
- 女神
- 生年月日
- ( ~ 神武天皇元年1月1日)
- 親
三島溝橛耳神 【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 庚申年八月戊辰条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 出来事
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事代主神は
【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】八尋熊鰐 になって、三島溝樴姫(あるいは玉櫛姫という)の所へ通ったという。そして生まれた子は姫蹈鞴五十鈴姫命。これは神日本磐余彦火火出見天皇神武天皇の后である。 -
神武天皇が大后とする美人を探し求める時、大久米命が「ここに
【古事記 中巻 神武天皇段】少女 がおります。これは神の御子といいます。その神の御子というわけは、三島湟咋の女の勢夜陀多良比売は容姿が美しく、美和の大物主神がそれを気に入り、その美人が大便をする時に丹塗 矢と化し、大便をする溝を流れ下って、その美人の陰部を突きました。美人は驚いて走り回り、慌てふためきました。そしてその矢を持って来て、床のそばに置くと、矢は麗しい壮夫となり、その美人を娶りました。そして生まれた子を富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比売多多良伊須気余理比売といいます(これは『ほと女性の陰部』という名を嫌って後に名を改めたのである)。それでこれを神の御子というのです」と言った。
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神武天皇元年1月1日
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