- 名前
- 漢風諡号:孝元天皇(こうげんてんのう, かうぐゑんてんわう)
- 和風諡号:大日本根子彥國牽天皇【日本書紀】(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと, おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと)大日本根子彦国牽天皇
- 彥國牽尊【日本書紀】(ひこくにくるのみこと)彦国牽尊
- 大倭根子日子國玖琉命【古事記】(おおやまとねこひこくにくるのみこと, おほやまとねこひこくにくるのみこと)大倭根子日子国玖琉命
- 大日本根子彥牽天皇【日本書紀】(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと, おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと)大日本根子彦牽天皇
- 大倭根子彥國牽天皇【新撰姓氏録抄】(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと, おほやまとねこひこくにくるのすめらみこと)大倭根子彦国牽天皇
- 大日本根子彥國牽皇子命【先代旧事本紀】(おおやまとねこひこくにくるのみこのみこと, おほやまとねこひこくにくるのみこのみこと)大日本根子彦国牽皇子命
- 大日本根子彥國牽尊【先代旧事本紀】(おおやまとねこひこくにくるのみこと, おほやまとねこひこくにくるのみこと)大日本根子彦国牽尊
- 彥國牽皇子【先代旧事本紀】(ひこくにくるのみこ)彦国牽皇子
- 大日本根子彥國牽皇太子尊【先代旧事本紀】(おおやまとねこひこくにくるのひつぎのみこのみこと, おほやまとねこひこくにくるのひつぎのみこのみこと)大日本根子彦国牽皇太子尊
- 大日本根子國牽皇太子尊【先代旧事本紀】(おおやまとねこくにくるのひつぎのみこのみこと, おほやまとねこくにくるのひつぎのみこのみこと)大日本根子国牽皇太子尊
- 輕境原宮御宇天皇【先代旧事本紀】(かるのさかいはらのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, かるのさかひはらのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)軽境原宮御宇天皇
- キーワード
- 後裔は左京
布勢朝臣 ・左京阿閉臣 ・左京佐佐貴山公 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 後裔は左京
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 孝霊天皇18年
- 没年月日
- 孝元天皇57年9月2日
- 父
孝霊天皇 【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条】
- 母
細媛命 【日本書紀 巻第四 孝霊天皇二年二月丙寅条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 称号・栄典
- 出来事
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孝霊天皇18年
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孝霊天皇36年1月1日【日本書紀 巻第四 孝霊天皇三十六年正月己亥朔条】
立太子。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇即位前紀】
年十九。 -
孝霊天皇76年2月8日
孝霊天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第四 孝霊天皇七十六年二月癸丑条】 -
孝元天皇元年1月14日
即位して天皇となる。
皇后を尊んで皇太后とする。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇元年正月甲申条】-
孝元天皇8年2月
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝元天皇八年二月条】皇后を尊んで皇太后とする。
皇太后に太皇太后を追贈する。
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孝元天皇4年3月12日
【日本書紀 巻第四 孝元天皇四年三月甲午条】軽 の地に遷都する。これを境原宮 という。-
【古事記 中巻 孝元天皇段】軽之堺原宮 にて天下を治めた。
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孝元天皇6年9月6日
孝霊天皇を
【日本書紀 巻第四 孝元天皇六年九月癸卯条】片丘馬坂陵 に葬る。 -
孝元天皇7年2月2日
鬱色謎命を立てて皇后とする。
后は二男一女を生んだ。
第一を大彦命。
第二を稚日本根子彦大日日天皇。
第三を倭迹迹姫命。
あるいは稚日本根子彦大日日天皇の同母弟に少彦男心命という。兄の大彦命は
【日本書紀 巻第四 孝元天皇七年二月丁卯条】阿倍臣 ・膳臣 ・阿閇臣 ・狭狭城山君 ・筑紫国造・越国造・伊賀臣 。これら七族の始祖である。
彦太忍信命は武内宿禰の祖父である。-
穂積臣 らの祖内色許男命の妹の内色許売命を娶り、生まれた御子は
大毘古命。
次に少名日子建猪心命。
次に若倭根子日子大毘毘命の三柱。また内色許男命の女の伊賀迦色許売命を娶り、生まれた御子は比古布都押之信命。
また河内青玉の女の波邇夜須毘売を娶り、生まれた御子は建波邇夜須毘古命の一柱。
天皇の御子達は合わせて五柱。
若倭根子日子大毘毘命は天下を治めた。
その兄の大毘古命の子である建沼河別命は阿倍臣 らの祖である。
次に比古伊那許志別命は膳臣 の祖である。比古布都押之信命は
尾張連 らの祖意富那毘の妹の葛城之高千那毘売を娶り、生まれた子は味師内宿禰。この者は山代内臣 の祖である。
また木国造の祖宇豆比古の妹の山下影日売を娶り、生まれた子は建内宿禰。この建内宿禰の子は合わせて九人。男七人・女二人。
【古事記 中巻 孝元天皇段】
波多八代宿禰は波多臣 ・林臣 ・波美臣 ・星川臣 ・淡海臣 ・長谷部君 の祖である。
次に許勢小柄宿禰は許勢臣 ・雀部臣 ・軽部臣 の祖である。
次に蘇賀石河宿禰は蘇我臣 ・川辺臣 ・田中臣 ・高向臣 ・小治田臣 ・桜井臣 ・岸田臣 らの祖である。
次に平群都久宿禰は平群臣 ・佐和良臣 ・馬御樴連 らの祖である。
次に木角宿禰は木臣 ・都奴臣 ・坂本臣 の祖である。
次に久米能摩伊刀比売。
次に怒能伊呂比売。
次に葛城長江曽都毘古は玉手臣 ・的臣 ・生江臣 ・阿芸那臣 らの祖である。
また若子宿禰は江野財臣 の祖である。 -
四男一女が誕生した。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝元天皇紀末段】
子の大彦命。阿倍臣 ・高橋臣 らの祖。
次に稚日本根子彦大日日尊。
次に彦太忍信命。紀臣 らの祖。
次に武埴安彦命。岡屋臣 らの祖。
次に倭迹迹姫命。伊勢を斎い祠った。
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孝元天皇8年1月
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孝元天皇22年1月14日
稚日本根子彦大日日尊を立てて皇太子とする。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇二十二年正月壬午条】
年十六。 -
孝元天皇57年9月2日
崩じる。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇五十七年九月癸酉条】-
御年五十七歳。
【古事記 中巻 孝元天皇段】
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開化天皇5年2月6日
【日本書紀 巻第四 開化天皇五年二月壬子条】剣池島上陵 に葬られる。-
御陵は
【古事記 中巻 孝元天皇段】剣池之中岡上 にある。 -
開化天皇6年
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 孝元天皇後帝六年条】剣池島上陵 に葬られる。
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