平群木菟宿禰
- 名前
- 平群木菟宿禰【日本書紀】(へぐりのつくのすくね)
- 木菟宿禰【日本書紀】(つくのすくね)
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- 平群木兎宿禰【新撰姓氏録抄】(へぐりのつくのすくね)
- キーワード
平群臣 之始祖【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇元年正月己卯条】- 平群臣・
佐和良臣 ・馬御樴連 等祖【古事記 中巻 孝元天皇段】 - 後裔は右京
平群朝臣 ・右京平群文室朝臣 ・右京都保朝臣 ・大和国馬工連 ・河内国早良臣 ・河内国額田首 「父の氏を継がず、母の氏を負って額田首(ぬかたのおびと)とした」とある。・摂津国韓海部首 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 - 平群朝臣・馬工連等祖【紀氏家牒逸文】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 応神天皇3年12月30日)
- 没年月日
- (履中天皇2年10月1日 ~ )
- 父
建内宿禰 【古事記 中巻 孝元天皇段】
- 先祖
- 出来事
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仁徳天皇が生まれる日、
【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇元年正月己卯条】木菟 ミミズクが産殿に飛び込んできた。
翌朝誉田天皇が大臣武内宿禰を呼んで「これは何のしるしだろうか」と言った。
大臣は「吉祥でございます。昨日私の妻が出産するときに鷦鷯 ミソサザイが産屋に飛び込んできました。これもまた不思議なことでございます」と答えた。
天皇は「朕の子と大臣の子は同日に産まれた。共にしるしがあったが、これは天からのしるしである。そこで共にその鳥の名を取って、それぞれの子に名付けて後の世のしるしとする」と言った。
そして鷦鷯の名を取って太子に名付けた。大鷦鷯皇子という。
木菟の名を取って大臣の子に名付けた。木菟宿禰という。 -
応神天皇3年
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応神天皇16年8月
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仁徳天皇87年1月
住吉仲皇子は太子大兄去來穗別尊を殺そうとして密かに兵を興して太子の宮を囲んだ。
時に平群木菟宿禰・物部大前宿禰・阿知使主の三人が太子に申し上げることがあったが太子は聞かなかった。あるいは太子が酔って起きられなかったという。
それで三人は太子を助けて馬に乗せて逃げた。あるいは大前宿禰が太子を抱いて馬に乗せたという。難波に至り、仲皇子の消息を伺った。
【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
仲皇子は太子がすでに逃亡したと思って、備えをしていなかった。
時に近習に隼人があった。刺領巾という。
瑞歯別皇子は密かに刺領巾を呼び、誘って「私の為に皇子を殺してくれ。私は必ずお前に厚く報いよう」と言うと、錦の衣・褌 を脱いで与えた。
刺領巾はその言葉を恃んで、独り矛をとり、仲皇子が厠に入るのを伺って刺し殺した。そして瑞歯別皇子に従った。
木菟宿禰が瑞歯別皇子に言うには「刺領巾は人の為に自分の君を殺しました。それは我々の為には大功ではありますが、自分の君には慈悲が無いこと甚だしい。どうして生かしておけましょう」と。
そして刺領巾を殺した。 -
履中天皇2年10月
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