名前
  • 漢風諡号:反正天皇(はんぜいてんのう, はんぜいてんわう)
  • 和風諡号:瑞齒別天皇【日本書紀】つはわ)瑞歯別天皇
  • 多遲比瑞齒別天皇【日本書紀】(たじひのみつはわけのすめらみこと, たぢつはわ)多遅比瑞歯別天皇
  • 瑞齒別皇子【日本書紀】つはわ)瑞歯別皇子
  • 蝮之水齒別命【古事記】(たじひのみずはわけのみこと, たぢづはわ)蝮之水歯別命
  • 水齒別命【古事記】(みずはわけのみこと, づはわ)水歯別命
  • 多治比瑞齒別命【新撰姓氏録抄】(たじひのみつはわけのみこと, たぢつはわ)多治比瑞歯別命
  • 瑞齒別尊【新撰姓氏録抄】つはわ)瑞歯別尊
  • 柴垣宮御宇天皇【先代旧事本紀】(しばかやにあしたしししす
生年月日
仁徳天皇39年
没年月日
反正天皇5年1月23日
  • 仁徳天皇にんとくてんのう【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
  • 磐之媛命いわのひめのみこと【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
先祖
  1. 仁徳天皇
    1. 応神天皇
      1. 仲哀天皇
      2. 神功皇后
    2. 仲姫命
      1. 品陀真若王
      2. 金田屋野姫命
  2. 磐之媛命
    1. 葛城襲津彦
      1. 建内宿禰
      2. 葛比売
    2. unknown
配偶者
  • 皇夫人:津野媛つのひめ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条】
  • 妃:弟媛おとひめ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条】
  • 皇女:香火姫皇女かいひめのひめみこ甲斐郎女かいのいらつめ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条, 古事記 下巻 反正天皇段】【母:津野媛つのひめ
  • 皇女:円皇女つぶらのひめみこ都夫良郎女つぶらのいらつめ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条, 古事記 下巻 反正天皇段】【母:津野媛つのひめ
  • 皇女:財皇女たからのひめみこ財王たからのみこ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条, 古事記 下巻 反正天皇段】【母:弟媛おとひめ
  • 皇子:高部皇子たかべのみこ【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条】【母:弟媛おとひめ
    • 皇女:多訶弁郎女たかべのいらつめ【古事記 下巻 反正天皇段】【母:弟比売おとひめ
子孫
  1. 香火姫皇女
  2. 円皇女
  3. 財皇女
  4. 高部皇子
称号・栄典とても広〜い意味です。
出来事
  • 仁徳天皇39年立太子記事の年齢から逆算。【先代旧事本紀 巻第八 神皇本紀 履中天皇即位前紀 応神天皇四十一年二月条】

    仁徳天皇の皇子として生まれる。母は磐之媛命

    天皇は淡路宮(あわじのみや)で生まれた。
    生まれながらに歯は一本の骨のようであり、容姿が美しかった。
    瑞井(みつのい)という井戸があり、その水を汲んで太子を洗った。
    時に多遅(たじ)の花が井戸の中にあったので太子の名とした。
    多遅の花は今の虎杖(いたどり)の花である。
    それで称えて多遅比瑞歯別天皇という。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条, 日本書紀 巻第十二 反正天皇即位前紀 履中天皇二年条】
    • 天皇の身長は九尺二寸半。
      歯の長さは一寸、広さ二分、上下均しく並び、珠を貫いたようであった。

      【古事記 下巻 反正天皇段】
    • 皇子瑞歯別尊が淡路宮で誕生した時、淡路の瑞井の水を御湯とした。
      この時に虎杖の花が散って御湯の盆の中に入った。
      色鳴宿禰は天神寿詞を称えて多治比瑞歯別命の名を奉った。
      すなわち丹治部(たじべ)を諸国に定めて皇子の湯沐邑(ゆあびのところ)とした。

      【新撰姓氏録抄 第二帙 第十五巻 右京神別下 天孫 丹比宿禰条】
  • 仁徳天皇水歯別命後の反正天皇御名代(みなしろ)として蝮部(たじひべ)を定める。

    【古事記 下巻 仁徳天皇段】
  • 仁徳天皇87年1月16日仁徳記では丁卯年八月十五日。

    仁徳天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇八十七年正月癸卯条】
  • 仁徳天皇87年1月(16日 ~ 30日)

    住吉仲皇子が太子大兄去来穂別皇子後の履中天皇に反旗を翻した。

    太子は難を逃れて石上振神宮(いそのかみのふるのかみのみや)に来ていた。
    瑞歯別皇子後の反正天皇。は太子が不在であることを知り、尋ねて追ってきた。
    しかし太子は弟王の心を疑って会わなかった。
    時に瑞歯別皇子が言うには「私に汚い心はございません。ただ太子がおいでにならぬのを心配して参ったのでございます」と。
    太子が弟王に伝えて言うには「自分は仲皇子の反逆を恐れて独りここに来ている。なぜお前を疑わないでいられよう。仲皇子がいることは我が病である。これを除きたい。お前に汚い心が無いのであれば、引き返して難波にいる仲皇子を殺しなさい。然る後に会おうではないか」と。
    瑞歯別皇子が太子に言うには「あなたはひどくご心配のようですが、いま仲皇子は無道であり、群臣及び百姓共々恨んでおります。またその配下の人もみな叛いて賊となっており、独り相談する相手もおりません。私はその逆らいを知っておりますが、太子の命を受けておりません。それで独り憤り嘆いているのですございます。いま命を受けて仲皇子を殺すことを憚ることなどございません。ただ恐れるのは、仲皇子を殺しても、猶も私が疑われることでございます。願わくは心の正しい者を遣わして頂き、私に欺く心が無いことを明らかにしたいと思います」と。
    太子は木菟宿禰を副えて遣わした。
    瑞歯別皇子が嘆いて言うには「太子と仲皇子は共に私の兄である。誰に従い、誰に背けばよいのだ。しかし無道を亡ぼし、有道に就けば、誰が私を疑うだろうか」と。

    難波に至り、仲皇子の消息を伺った。
    仲皇子は太子がすでに逃亡したと思って、備えをしていなかった。
    時に近習に隼人があった。刺領巾という。
    瑞歯別皇子は密かに刺領巾を呼び、誘って「私の為に皇子を殺してくれ。私は必ずお前に厚く報いよう」と言うと、錦の衣・(はかま)を脱いで与えた。
    刺領巾はその言葉を恃んで、独り矛をとり、仲皇子が厠に入るのを伺って刺し殺した。そして瑞歯別皇子に従った。
    木菟宿禰が瑞歯別皇子に言うには「刺領巾は人の為に自分の君を殺しました。それは我々の為には大功ではありますが、自分の君には慈悲が無いこと甚だしい。どうして生かしておけましょう」と。
    そして刺領巾を殺した。

    その日に(やまと)に向った。
    夜中に石上に着いて復命した。
    そこで弟王を呼んで厚くもてなし、村合屯倉(むらわせのみやけ)を賜った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
    • 同母弟の水歯別命が面会を申し入れた。
      天皇は「もしやあなたも墨江中王と同じ心ではないかと疑っているので、語り合うことはありません」と詔すると、「私に汚い心はございません。また墨江中王と同じではございません」と答えた。
      また詔して「それならば、引き返して墨江中王を殺して戻ってきなさい。その時に必ず語り合おうではないか」と。

      それで難波に引き返して、墨江中王の近習の隼人、名は曽婆加理を欺いて「もしお前が私の言葉に従えば、私は天皇になり、お前を大臣として天下を治めようと思うがどうか」と言った。
      曽婆訶理は「命に従います」と答えた。
      そこで多くの品物を隼人に与えて「それならばお前の主君を殺せ」と言った。
      曽婆訶理は密かに自分の主君が厠に入るのを伺い、矛で刺し殺した。

      それで曽婆訶理を連れて倭に上る時、大坂の山の口に至り、「曽婆訶理は私のために大功を立てたが、自分の主君を殺すことは不義である。しかしその功に報いないのは信義に反する。功に報いれば逆にその心が恐ろしい。それで功に報いたといえども本人は亡きものにしよう」と考えた。
      そこで曽婆訶理に「今日はここに留まり、先に大臣の位を授けて、明日に上ろう」と言った。
      その山の口に留まって仮宮を造った。
      にわかに酒宴を開いて、その隼人に大臣の位を授けた。
      百官に拝礼させると隼人は喜んで「願いがかなった」と思い込んだ。
      そしてその隼人に「今日は大臣と同じ盃の酒を飲もう」と言った。
      共に飲もうとする時に、顔を覆うほどの大きな鋺にその勧める酒を盛った。
      そして王子が先に飲み、隼人が後に飲んだ。それで隼人が飲む時に大鋺が顔を覆った。
      そこで敷物の下に置いていた剣を取り出して、その隼人の首を斬った。そして翌日に上った。
      それでその地を名付けて近飛鳥(ちかつあすか)というのである。

      倭に着くと、「今日はここに留まり、禊払いをしてから明日参上して神宮を拝礼しよう」と詔した。
      それでその地を名付けて遠飛鳥(とおつあすか)というのである。

      そして石上神宮に参上して、天皇に「御命令は既に平らげまして参上致しました」と報告した。
      そこで呼び入れて共に語り合った。

      【古事記 下巻 履中天皇段】
  • 履中天皇2年1月4日

    立太子。
    時に年五十一。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇二年正月己酉条, 先代旧事本紀 巻第八 神皇本紀 反正天皇即位前紀 履中天皇二年条】
  • 履中天皇6年3月15日履中記では壬申年正月三日。

    履中天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇六年三月丙申条】
  • 反正天皇元年1月2日

    即位して天皇となる。

    【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年正月戊寅条】
  • 反正天皇元年8月6日

    大宅臣(おおやけのおみ)の祖木事の女の津野媛を立てて皇夫人とした。生まれたのは
    香火姫皇女
    円皇女

    また夫人の妹の弟媛を召し入れ、生まれたのは
    財皇女
    高部皇子

    【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年八月己酉条】
  • 反正天皇元年10月

    河内の丹比(たじひ)に都をつくる。これを柴籬宮(しばかきのみや)という。

    この時にあたり、風雨は時に従い、五穀は成熟し、人民は富み賑い、天下太平であった。

    【日本書紀 巻第十二 反正天皇元年十月条】
    • 多治比之柴垣宮(たじひのしばがきのみや)にて天下を治めた。

      【古事記 下巻 反正天皇段】
  • 反正天皇5年1月23日

    正寝で崩じる。

    【日本書紀 巻第十二 反正天皇五年正月丙午条】
    • 御年六十歳。
      丁丑年七月崩に崩じた。

      【古事記 下巻 反正天皇段】
  • 允恭天皇5年11月11日

    耳原陵(みみはらのみささぎ)に葬られる。

    【日本書紀 巻第十三 允恭天皇五年十一月甲申条】
    • 御陵は毛受野(もずの)にある。

      【古事記 下巻 反正天皇段】