- 名前
- 氏(ウジ):葛城【日本書紀】(かずらき, かづらき)葛城
- 名:襲津彥【日本書紀】(そつひこ)襲津彦
- 葛城長江曾都毘古【古事記】(かずらきのながえのそつびこ, かづらきのなが𛀁のそつびこ)葛城長江曽都毘古
- 葛城之曾都毘古【古事記】(かずらきのそつびこ, かづらきのそつびこ)葛城之曽都毘古
- 葛城襲津彥命【新撰姓氏録抄,先代旧事本紀】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛城襲津彦命
- 葛木曾頭日古命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛木曽頭日古命
- 葛城曾豆比古命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛城曽豆比古命
- 葛木襲津彥命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛木襲津彦命
- 葛城曾都比古命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛城曽都比古命
- 葛木曾都比古命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛木曽都比古命
- 葛木襲津彥命【新撰姓氏録抄】(かずらきのそつひこのみこと, かづらきのそつひこのみこと)葛木襲津彦命
- 襲津彥宿禰【紀氏家牒逸文】(そつひこのすくね)襲津彦宿禰
- 葛城長柄襲津彦宿禰【紀氏家牒逸文】(かずらきのながえのそつひこのすくね, かづらきのなが𛀁のそつひこのすくね)
- キーワード
玉手臣 ・的臣 ・生江臣 ・阿芸那臣 等之祖【古事記 中巻 孝元天皇段】- 生江臣祖【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 穂国造条】
- 後裔は左京
葛城朝臣 ・右京玉手朝臣 ・山城国的臣 ・摂津国阿支奈臣 ・摂津国布敷首 ・河内国的臣・河内国塩屋連 ・河内国小家連 ・河内国原井連 ・和泉国的臣・和泉国布師臣 【新撰姓氏録抄 第一帙 第三巻 左京皇別下 葛城朝臣条】 - 葛城朝臣・的臣等之祖【紀氏家牒逸文】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 神功皇后摂政5年3月7日)
- 没年月日
- (仁徳天皇41年3月1日 ~ )
- 父
建内宿禰 【古事記 中巻 孝元天皇段, 紀氏家牒逸文】
- 母
葛比売 【紀氏家牒逸文】
- 先祖
- 子
- 出来事
-
家は
【紀氏家牒逸文】大倭国 の葛城県 の長柄里 にあった。それで名を葛城長柄襲津彦宿禰という。
葛城朝臣 ・的臣 らの祖である。 -
神功皇后摂政5年3月7日
新羅王が汙礼斯伐・毛麻利叱智・富羅母智らを遣わして朝貢した。
先の人質微叱許智伐旱を取り返したいと思っていた。
それで許智伐旱に指示して、欺かせて「使者の汙礼斯伐・毛麻利叱智らが私に告げて、『我が王は私が久しく帰らないので、妻子を没収して官奴とした』と言います。願わくは暫く本土に帰還して、虚実を知りたいと思います」と言わせた。
神功皇后はこれを許した。そして葛城襲津彦を副えて遣わした。共に対馬に至り、
鋤海 の水門 に泊った。
時に新羅の使者毛麻利叱智らは、密かに船の水夫を手配して、微叱旱岐を乗せて新羅に逃した。
そして人形を作って、微叱智の床に置いて偽り、病にかかったようにして、襲津彦に「微叱智が急に病にかかり、死んでしまいました」と言った。
襲津彦は人を遣わして病人を調べさせた。
欺かれたことを知ると、新羅の使者三人を捕らえて、檻の中に入れて火で焼き殺した。新羅に至り、
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五年三月己酉条】蹈鞴津 に陣して、草羅城 を攻め落として帰還した。
この時の捕虜たちが、今の桑原 ・佐糜 ・高宮 ・忍海 、凡て四邑の漢人 らの始祖である。 -
神功皇后摂政62年
神功皇后の命令で新羅を討伐する。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政六十二年条】 -
応神天皇14年
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応神天皇16年8月
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仁徳天皇2年3月8日
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仁徳天皇41年3月
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