沙至比跪
- 名前
- 沙至比跪【日本書紀】(さちひこ)
- 比跪【日本書紀】(ひこ)
- 出来事
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壬午年に新羅が貴国に朝貢しなかった。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政六十二年条 百済記云】
貴国は沙至比跪を遣わして討たせた。
新羅人は美女二人を飾って、港に迎え欺いた。
沙至比跪はその美女を受け入れ、反対に加羅国を討った。
加羅国王己本旱岐、及び児百久至≪校異:児百久氐≫・阿首至・国沙利・伊羅麻酒・爾汶至らは人民を率いて百済に逃げた。百済は厚遇した。
加羅国王の妹の既殿至は大倭 にやってきて、「天皇は沙至比跪を遣わして、新羅を討たせました。しかし新羅の美女を受け入れて、討つことはしませんでした。反対に我が国を滅ぼしました。兄弟・人民は皆流浪しました。それで憂う思いに堪えられず、参上して申し上げるのです」と言った。
天皇は激怒して、木羅斤資を遣わした。
軍勢を率いて加羅に集まり、その国を回復させた。-
沙至比跪は天皇の怒りを知ると、国には帰らずに自ら身を隠した。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政六十二年条 百済記云 一云】
その妹は皇宮に仕えていた。
比跪は密かに使者を遣わして、天皇の怒りが解けたかどうか探らせた。
妹は夢に託して「今日の夢に沙至比跪を見ました」と言った。
天皇は激怒して「比跪はなぜ来たのだ」と言った。
妹は天皇の言葉を報告した。
比跪は許されないことを知って、岩穴に入って死んだ。
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- 関連
葛城襲津彦 同一人物の可能性大。