200年10月27日
新羅王波沙寐錦が、神功皇后に降伏した際に人質となる。
205年4月12日
新羅王が汙礼斯伐・毛麻利叱智・富羅母智らを遣わして朝貢した。 先の人質微叱許智伐旱を取り返したいと思っていた。 それで許智伐旱に指示して、欺かせて「使者の汙礼斯伐・毛麻利叱智らが私に告げて、『我が王は私が久しく帰らないので、妻子を没収して官奴とした』と言います。願わくは暫く本土に帰還して、虚実を知りたいと思います」と言わせた。 神功皇后はこれを許した。そして葛城襲津彦を副えて遣わした。
対馬に至り、鋤海(さひのうみ)の水門(みなと)に泊った。 時に新羅の使者毛麻利叱智らは、密かに船の水夫を手配して、微叱旱岐を乗せて新羅に逃した。