毛麻利叱智

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名前
  • 毛麻利叱智【日本書紀】(もまりしち)
生年月日
( ~ 205年4月12日)
没年月日
(205年4月12日 ~ )
出来事
  • 205年4月12日

    新羅王が汙礼斯伐・毛麻利叱智・富羅母智らを遣わして朝貢した。
    先の人質微叱許智伐旱を取り返したいと思っていた。
    それで許智伐旱に指示して、欺かせて「使者の汙礼斯伐・毛麻利叱智らが私に告げて、『我が王は私が久しく帰らないので、妻子を没収して官奴とした』と言います。願わくは暫く本土に帰還して、虚実を知りたいと思います」と言わせた。
    神功皇后はこれを許した。そして葛城襲津彦を副えて遣わした。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五年三月己酉条】
  • 対馬に至り、鋤海(さひのうみ)水門(みなと)に泊った。
    時に新羅の使者毛麻利叱智らは、密かに船の水夫を手配して、微叱旱岐を乗せて新羅に逃した。
    そして人形を作って、微叱智の床に置いて偽り、病にかかったようにして、襲津彦に「微叱智が急に病にかかり、死んでしまいました」と言った。
    襲津彦は人を遣わして病人を調べさせた。
    欺かれたことを知ると、新羅の使者三人を捕らえて、檻の中に入れて火で焼き殺した。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五年三月己酉条】