的戸田宿禰

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名前
  • 的戶田宿禰【日本書紀】(いくはすくね)的戸田宿禰
  • 盾人宿禰【日本書紀】(たてすくね)
  • 砥田宿禰【日本書紀】すくね)
キーワード
  • 的臣(いくはのおみ)【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十二年八月己酉条】
生年月日
( ~ 応神天皇16年8月30日)
没年月日
(仁徳天皇17年9月1日 ~ )
出来事
  • 応神天皇16年8月

    応神天皇平群木菟宿禰と的戸田宿禰を加羅(から)に遣わした。
    精兵を授けると、詔して「襲津彦が久しく還らない。きっと新羅(しらき)が邪魔をしているのだろう。お前達は急いで新羅を討ち、その道を開けなさい」と。
    木菟宿禰らは精兵を率いて、新羅の国境に臨んだ。新羅王は愕然としてその罪に服した。
    そして弓月(ゆつき)の民を率いて、襲津彦と共にやって来た。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇十六年八月条】
  • 仁徳天皇12年8月10日

    仁徳天皇高麗(こま)の客を朝廷で持て成した。
    この日、群臣・百寮を集めて、高麗が献上した鉄の盾・的を射てみた。
    多くの人は的を射通すことが出来なかった。ただ盾人宿禰が鉄の的を射通した。
    高麗の客らはこれを見て、その射通す勝れた力を畏れ、共に起って拝朝した。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十二年八月己酉条】
  • 仁徳天皇12年8月11日

    的戸田宿禰の名を賜る。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十二年八月己酉明日条】
  • 仁徳天皇17年9月

    仁徳天皇の命令で、賢遺臣と共に朝貢しなかった新羅を詰問した。
    新羅人は恐れて朝貢した。
    調絹一千四百六十匹及び様々な品物、合わせて八十艘だった。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十七年九月条】