弓月君

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名前
  • 弓月君【日本書紀】(ゆつ, ゆづ
  • 弓月【古語拾遺】(ゆつ, ゆづ
  • 融通王【新撰姓氏録抄】(ゆうずうおう, ゆうづうわう)
  • 弓月王【新撰姓氏録抄】(ゆつきおう, ゆつきわう)
キーワード
  • 秦公(はたのきみ)【古語拾遺 応神天皇段】
  • 後裔は左京秦長蔵連(はたのながくらのむらじ)・左京秦造(はたのみやつこ)・山城国秦忌寸(はたのいみき)・摂津国秦人(はたひと)・河内国大里史(おおさとのふひと)・河内国秦宿禰(はたのすくね)・河内国秦忌寸・河内国高尾忌寸(たかおのいみき)・河内国秦人・和泉国秦忌寸【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 応神天皇14年12月30日)
没年月日
(応神天皇14年1月1日 ~ )
  • 功満王こうまんおう【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十一巻 左京諸蕃上 漢 太秦公宿禰条】
先祖
  1. 功満王
    1. 孝武王
    2. unknown
  2. unknown
  • 真徳王しんとくおう【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十五巻 山城国諸蕃 漢 秦忌寸条】【母:不明】
  • 普洞王ふどうおう【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十五巻 山城国諸蕃 漢 秦忌寸条】【母:不明】
  • 雲師王うんしおう【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十五巻 山城国諸蕃 漢 秦忌寸条】【母:不明】
  • 武良王むらおう【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十五巻 山城国諸蕃 漢 秦忌寸条】【母:不明】
出来事
  • 応神天皇14年

    弓月君が百済(くだら)から渡来した。
    そして奏上して「我が国の百二十県の民を率いて参りました。しかし新羅(しらき)人が邪魔をするので、みな加羅(から)国に留まっております」と。
    そこで葛城襲津彦を遣わして、弓月(ゆつき)の民を加羅から呼んだ。
    しかし三年経っても襲津彦は帰国しなかった。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇十四年是歳条】
    • 百二十の県の民を率いて帰化した。

      【古語拾遺 応神天皇段】
    • 応神天皇14年

      二十七県の百姓を率いて帰化した。
      金・銀・玉・帛などの物を献上した。

      【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十一巻 左京諸蕃上 漢 太秦公宿禰条】
    • 応神天皇14年

      功智王・弓月王は応神天皇十四年に来朝して上表した。
      また帰国して百二十七県の伯姓(たみ)を率いて帰化した。
      併せて金・銀・玉・帛・様々な宝物などを献上した。
      天皇は喜んで大和(やまと)朝津間(あさつま)腋上(わきがみ)の地を賜って居住させた。

      真徳王
      次に普洞王「古記云。浦東君」とある。仁徳天皇の御世に波𨹔(はた)の姓を賜った。今は秦の字の訓である。
      次に雲師王
      次に武良王

      【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十五巻 山城国諸蕃 漢 秦忌寸条】
  • 応神天皇16年8月

    応神天皇平群木菟宿禰的戸田宿禰加羅(から)に遣わした。
    精兵を授けると、詔して「襲津彦が久しく還らない。きっと新羅(しらき)が邪魔をしているのだろう。お前達は急いで新羅を討ち、その道を開けなさい」と。
    木菟宿禰らは精兵を率いて、新羅の国境に臨んだ。新羅王は愕然としてその罪に服した。
    そして弓月(ゆつき)の民を率いて、襲津彦と共にやって来た。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇十六年八月条】
  • (仁徳天皇元年1月3日 ~ 仁徳天皇87年1月16日)

    仁徳天皇の御世に百二十七県の秦氏を諸郡に分けて置き、養蚕させて絹織物を献上させた。
    天皇は「秦王の献上する糸・綿・絹帛は服に用いると柔軟で、肌のように温かい」と詔して波多(はた)の姓を賜った。

    【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十一巻 左京諸蕃上 漢 太秦公宿禰条】
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