住吉仲皇子
- 名前
- 住吉仲皇子【日本書紀】(すみのえのなかつみこ, すみの𛀁のなかつみこ)
- 仲皇子【日本書紀】(なかつみこ)
- 墨江之中津王【古事記】(すみのえのなかつみこ, すみの𛀁のなかつみこ)墨江之中津王
- 墨江中王【古事記】(すみのえのなかつみこ, すみの𛀁のなかつみこ)墨江中王
- 住吉皇子校異【先代旧事本紀】(すみのえのみこ, すみの𛀁のみこ)
- 性別
- 男性
- 没年月日
- 仁徳天皇87年1月(16日 ~ 30日)
- 父
仁徳天皇 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
- 母
磐之媛命 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇二年三月戊寅条】
- 先祖
- 出来事
-
仁徳天皇87年1月(16日 ~ 30日)
仁徳天皇が崩じ、太子履中天皇のことを指す。は喪から出て、まだ即位しない間に、羽田矢代宿禰の女履中天皇元年七月壬子条では父を葦田宿禰とする。の黒媛を妃にしたいと思った。
婚約も整い、住吉仲皇子を遣わして吉日を告げさせた。
時に仲皇子は太子の名を騙って黒媛を犯した。この夜、仲皇子は手に巻いていた鈴を黒媛の家に忘れて帰った。
翌日の夜、太子は仲皇子が犯したことを知らずにやって来た。
寝室に入り、帳を開けて寝床についた。このとき枕元から鈴の音が聞こえた。
太子は怪しんで黒媛に「何の鈴か」と問うと、「昨夜に太子が持っていた鈴ではございませんか。どうして私にお尋ねになるのですか」と答えた。
太子は仲皇子が名を偽って黒媛を犯したことを知り、しばらく黙ってそこを去った。仲皇子は大事に至ることを恐れ、太子を殺そうとして密かに兵を興して太子の宮を囲んだ。
時に平群木菟宿禰・物部大前宿禰・漢直 の祖阿知使主の三人が太子に申し上げることがあったが太子は聞かなかった。あるいは太子が酔って起きられなかったという。
それで三人は太子を助けて馬に乗せて逃げた。あるいは大前宿禰が太子を抱いて馬に乗せたという。
仲皇子は太子が不在であることを知らずに太子の宮を焼いた。夜を通して火は消えなかった。太子は河内国の
埴生坂 で目が覚めた。
難波 の方を眺め、火の光を見て大いに驚いた。
そして急ぎ大坂から倭 に向かった。さらに引き返して、その県で兵を集めて味方につけて、
竜田山 を越えた。
時に数十人が兵を率いて追ってきた。
太子は遠くを望んで「あのやって来るのは誰だ。なぜ急ぎ追ってくるのか。もしや賊であろうか」と言った。
そして山中に隠れて待った。
近づいてくると一人を遣わして「誰であるか。また何処へ往くのか」と問うと、「淡路 の野島 の海人です。阿曇連浜子(あるいは阿曇連黒友という)の命令で仲皇子の為に太子を追っています」と答えた。
そこで伏兵を出して囲み、悉くを捕えた。この当時、倭直吾子籠と仲皇子は親しかった。
予めその謀を知っていて、密かに精兵数百を攪食 の栗林に集めて、仲皇子の為に太子を防ごうとした。
時に太子は兵が塞いでいることを知らず、山を出て数里のところで多数の兵が塞いで進めなかった。
そこで使者を遣わして「誰であるか」と問うと、「倭直吾子籠である」と答えた。
逆に使者に「誰の使いか」と問うと、「皇太子の使いである」と答えた。
時に吾子籠は多くの軍勢が集まっているのを憚り、使者に「伝え聞くところによると、皇太子に大変なことがおありになるということなので、お助けするために兵を備えて待っておりました」と言った。
しかし太子はその心を疑って殺そうとした。
吾子籠は恐れて、妹の日之媛を奉って死罪の許しを請うと、これを許された。太子は
石上振神宮 に来ていた。
瑞歯別皇子後の反正天皇。は太子が不在であることを知り、尋ねて追ってきた。
しかし太子は弟王の心を疑って会わなかった。
時に瑞歯別皇子が言うには「私に汚い心はございません。ただ太子がおいでにならぬのを心配して参ったのでございます」と。
太子が弟王に伝えて言うには「自分は仲皇子の反逆を恐れて独りここに来ている。なぜお前を疑わないでいられよう。仲皇子がいることは我が病である。これを除きたい。お前に汚い心が無いのであれば、引き返して難波にいる仲皇子を殺しなさい。然る後に会おうではないか」と。
瑞歯別皇子が太子に言うには「あなたはひどくご心配のようですが、いま仲皇子は無道であり、群臣及び百姓共々恨んでおります。またその配下の人もみな叛いて賊となっており、独り相談する相手もおりません。私はその逆らいを知っておりますが、太子の命を受けておりません。それで独り憤り嘆いているのですございます。いま命を受けて仲皇子を殺すことを憚ることなどございません。ただ恐れるのは、仲皇子を殺しても、猶も私が疑われることでございます。願わくは心の正しい者を遣わして頂き、私に欺く心が無いことを明らかにしたいと思います」と。
太子は木菟宿禰を副えて遣わした。
瑞歯別皇子が嘆いて言うには「太子と仲皇子は共に私の兄である。誰に従い、誰に背けばよいのだ。しかし無道を亡ぼし、有道に就けば、誰が私を疑うだろうか」と。難波に至り、仲皇子の消息を伺った。
【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
仲皇子は太子がすでに逃亡したと思って、備えをしていなかった。
時に近習に隼人があった。刺領巾という。
瑞歯別皇子は密かに刺領巾を呼び、誘って「私の為に皇子を殺してくれ。私は必ずお前に厚く報いよう」と言うと、錦の衣・褌 を脱いで与えた。
刺領巾はその言葉を恃んで、独り矛をとり、仲皇子が厠に入るのを伺って刺し殺した。-
履中天皇は
難波宮 で大嘗祭の酒宴があり、大御酒に気分がよくなって寝た。その弟の墨江中王は天皇を殺そうと思って大殿に火をつけた。
この時に阿知直が天皇をこっそり連れ出して、御馬に乗せて
倭 に向った。
多遅比野 に至る時に天皇が目覚めて「ここは何処か」と言った。
阿知直は「墨江中王が大殿に火をつけたので、それでお連れして倭に逃げているのでございます」と言った。
波邇賦坂 に至り、難波宮を望み見ると、その火は猶も赤々と燃えていた。大坂の山の入り口に至った時に一人の女に会った。
その女が言うには「武器を持った沢山の人たちが、この山を塞いでおります。当岐麻道 を回って越えられるのがよいでしょう」と。
こうして上って石上神宮に滞在した。ここにその同母弟の水歯別命が面会を申し入れた。
天皇は「もしやあなたも墨江中王と同じ心ではないかと疑っているので、語り合うことはありません」と詔すると、「私に汚い心はございません。また墨江中王と同じではございません」と答えた。
また詔して「それならば、引き返して墨江中王を殺して戻ってきなさい。その時に必ず語り合おうではないか」と。それで難波に引き返して、墨江中王の近習の隼人、名は曽婆加理を欺いて「もしお前が私の言葉に従えば、私は天皇になり、お前を大臣として天下を治めようと思うがどうか」と言った。
【古事記 下巻 履中天皇段】
曽婆訶理は「命に従います」と答えた。
そこで多くの品物を隼人に与えて「それならばお前の主君を殺せ」と言った。
曽婆訶理は密かに自分の主君が厠に入るのを伺い、矛で刺し殺した。
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