阿知使主

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名前
  • 阿知使主【日本書紀】(あち
  • 阿知直【古事記】(あちのあたい, あちあた
  • 阿智使主【新撰姓氏録抄】(あち
  • 阿智王【新撰姓氏録抄】(あちおう, あちわう)
キーワード
  • 倭漢直(やまとのあやのあたい)【日本書紀 巻第十 応神天皇二十年九月条】
  • 漢直祖【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
  • 後裔は左京木津忌寸(こつのいみき)・摂津国石占忌寸(いそらのいみき)・摂津国桧前忌寸(ひのくまのいみき)・摂津国蔵人(くらひと)・摂津国葦屋漢人(あしやのあやひと)・河内国火撫直(ひなつのあたい)・和泉国池辺直(いけのべのあたい)・和泉国火撫直・和泉国栗栖直(くるすのあたい)・河内国高安忌寸(たかやすのいみき)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 応神天皇20年9月29日)
没年月日
(仁徳天皇87年1月1日 ~ )
  • 都加使主つかのおみ【日本書紀 巻第十 応神天皇二十年九月条】【母:不明】
出来事
  • 応神天皇20年9月

    阿知使主が子の都加使主、並びに十七県の自分の党類を率いて渡来した。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇二十年九月条】
    • 十七の県の民を率いて来朝した。

      【古語拾遺 応神天皇段】
  • 応神天皇37年2月1日

    応神天皇が阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女(きぬぬいめ)を求めた。

    阿知使主らは高麗(こま)国に渡って、呉に行こうと思った。
    高麗に着いたが道を知らないので、道を知る者を高麗に乞うた。
    高麗王は久礼波久礼志の二人を副えて道案内させた。これによって呉に行くことが出来た。
    呉王は工女の兄媛弟媛呉織穴織の四人の女を与えた。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇三十七年二月戊午朔条】
  • 応神天皇41年2月

    阿知使主らが呉から筑紫(つくし)に着いた。

    時に胸形大神が工女らを欲しがったので、兄媛胸形大神に奉った。

    三人の女を連れて津国(つのくに)に至り、武庫(むこ)に着いたが、天皇は崩じてしまい間に合わなかった。
    それで大鷦鷯尊に奉った。

    【日本書紀 巻第十 応神天皇四十一年二月是月条】
  • 仁徳天皇87年1月

    住吉仲皇子は太子大兄去來穗別皇子を殺そうとして密かに兵を興して太子の宮を囲んだ。

    時に平群木菟宿禰物部大前宿禰・阿知使主の三人が太子に申し上げることがあったが太子は聞かなかった。あるいは太子が酔って起きられなかったという。
    それで三人は太子を助けて馬に乗せて逃げた。あるいは大前宿禰が太子を抱いて馬に乗せたという。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
    • 阿知直は天皇をこっそり連れ出して、御馬に乗せて(やまと)に向った。
      多遅比野(たじひの)に至る時に天皇が目覚めて「ここは何処か」と言った。
      阿知直は「墨江中王が大殿に火をつけたので、それでお連れして倭に逃げているのでございます」と言った。

      【古事記 下巻 履中天皇段】
  • 蔵官(くらのつかさ)に任ぜられる。
    また田地を賜る。

    【古事記 下巻 履中天皇段】
    • 斎蔵(いみくら)の傍に、更に内蔵(うちのくら)を建てて、官物を分けて収めた。
      そして阿知使主と百済の博士王仁に命じて、その出納を記させた。

      【古語拾遺 履中天皇段】
関連
  • 三世祖または四世祖:霊帝れいてい【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十一巻 左京諸蕃上 漢 木津忌寸条, 新撰姓氏録抄 第三帙 第二十八巻 河内国諸蕃 漢 火撫直条】
  • 阿直岐あちき阿知吉師あちきし同一人物か?