胸形大神

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名前
  • 胸形大神【日本書紀】(むなかたのおおかみ, むなかたおほか)胸形大神
  • 道主貴【日本書紀】ちぬしむち)
  • 胸方神【日本書紀】(むなかた)胸方神
  • 道中貴【先代旧事本紀】ちなかむち)
キーワード
  • 筑紫胸肩君等所祭神【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
    • 筑紫水沼君等祭神【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第三】
    • 胸形君等之以伊都久三前大神【古事記 上巻】
構成
  • 瀛津島姫命おきつしまひめのみこと市杵島姫命いちきしまひめのみことオキツシマヒメの名は、日本書紀、古事記等で混同している。日本書紀では、イチキシマヒメの別名であり、古事記ではタキリビメの別名である。ここでは日本書紀の記述を元にした。
  • 湍津姫命たぎつひめのみこと
  • 田霧姫命たきりひめのみこと
出来事
  • 天照大神は、素戔嗚尊十握剣(とつかのつるぎ)を受け取って、三段に打ち折り、天真名井(あめのまない)で濯いで、カリカリと嚙んで吹き出し、その息吹の細かい霧から生まれた神を名付けて田心姫という。次に湍津姫という。次に市杵島姫という。全てで三女である。

    天照大神は「その十握剣は、素戔嗚尊の物である。だからこの三柱の女神は、全てお前の子である」と言って、素戔嗚尊に授けた。これは筑紫(つくし)胸肩君(むなかたのきみ)らが祭るところの神である。

    【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
    • 日神は、素戔嗚尊と共に顔を合わせて立って、誓約(うけい)をして言うには、「もしおまえの心が明るく清らかで、奪う心が無ければ、お前の生む子は、必ずや男であろう」と。
      言い終わり、帯びた十握剣を食べて生まれた子を名付けて瀛津島姫という。また九握剣を食べて生まれた子を名付けて湍津姫という。また八握剣を食べて生まれた子を名付けて田心姫という。全てで三女の神である。

      日神は、素戔嗚尊に邪心が無いことを知り、日神が生んだ三女の神を、筑紫洲(つくしのくに)に降らせて、「お前たち三神は道の途中に降りて天孫を助け奉り、天孫の為にお祭りせよ」と教えた。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第一】
    • 天照大神は八坂瓊の曲玉を、天真名井に浮かべて、玉の端を食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて市杵島姫命という。これは遠瀛(おきつみや)にいる神である。また玉の中ほどを食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて田心姫命という。これは中瀛(なかつみや)にいる神である。また玉の尾を食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて湍津姫命という。これは海浜(へつみや)にいる神である。全てで三女の神である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第二】
    • 日神十握剣(とつかのつるぎ)を食べて生んだ子は瀛津島姫命という。またの名を市杵島姫命という。また九握剣(ここのつかのつるぎ)を食べて生まれた子は湍津姫命という。また八握剣(やつかのつるぎ)を食べて生まれた子は田霧姫命という。

      日神が生んだ三女の神は、葦原中国(あしはらのなかつくに)宇佐島(うさじま)に降して、今は海の北の道の中にいる。名付けて道主貴という。筑紫(つくし)水沼君(みぬまのきみ)らが祭る神がこれである。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第三】
    • 天照大御神が、建速須佐之男命が佩く十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って三つに折り、触れ合う音を出しながら天之真名井(あめのまない)に振り濯ぎ、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は多紀理毘売命。またの名を奥津島比売命という。次に市寸島比売命。またの名を狭依毘売命という。次に多岐都比売命の三柱。

      天照大御神速須佐之男命に「後に生まれた五柱の男の子は、私の物をもとにして成ったので、私の子です。先に生まれた三柱の女の子は、あなたの物をもとにして成ったので、あなたの子です」と言って区別した。
      それでその先に生まれた神である多紀理毘売命胸形(むなかた)奥津宮(おきつみや)に鎮座している。次に市寸島比売命は胸形の中津宮(なかつみや)に鎮座している。次に田寸津比売命は胸形の辺津宮(へつみや)に鎮座している。この三柱の神は胸形君らが斎く三柱の大神である。

      【古事記 上巻】
    • 天照太神素戔烏尊が帯びる三つの剣(または十握剣(とつかのつるぎ)を三段にして三神を生んだという)を天真名井(または去来真名井(いざのまない))に振り濯ぎ、カリカリと嚙んで吹き出した息吹の霧の中から三女の神が生まれた。
      十握剣から生まれた神を名付けて瀛津島姫命という。またの名は田心姫。または田霧姫という。
      九握剣(ここのつかのつるぎ)から生まれた神を名付けて湍津島姫命という。
      八握剣(やつかのつるぎ)から生まれた神を名付けて市杵島姫命という。

      天照太神は「その物の元を辿れば、玉は私の物である。だから六男の神は、全て私の子である。そこでその子を養って、天原を治めさせよう。その剣はお前の物である。だから私が生んだ三女はお前の子である」と言った。
      そこで素戔烏尊に授けて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降した。筑紫国の宇佐島(うさのしま)に降り、北の海道の中にいる。名付けて道主貴という。それで教えて「天孫を助け奉り、天孫の為にお祭りせよ」と。宗像君(むなかたのきみ)が祭る神である。(一云。水沼君(みぬまのきみ)らが祭るところに神がこれである)

      瀛津島姫命遠瀛(おきつみや)に居られる。これは田心姫命である。辺津島姫命海浜(へつみや)に居られる。これは湍津島姫命である。中津島姫命中島(なかつみや)に居られる。これは市杵島姫命である。

      【先代旧事本紀 巻第一 神祇本紀】
  • 履中天皇5年3月1日

    筑紫にいる三神が宮中に現れて言うには「なぜ我が民を奪うのか。私がお前に恥を与える」と。
    履中天皇は祈祷はすることにしたが祭祀は行わなかった。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年三月戊午朔条】
  • 履中天皇5年9月19日

    風の音のように大空に呼ぶことがあり、「剣刀太子王(つるぎたちひつぎのみこ)」という。
    また呼んで「鳥往来(かよ)う羽田の汝妹(なにも)汝妹。此云儺邇毛。羽狭丹(はさに)(はぶ)り立ちぬ」という。
    また「狭名来田蒋津之命は羽狭丹に葬り立ちぬ」という。
    すると急使がやってきて「皇妃がお隠れになりました」と言った。
    天皇は大いに驚き、馬に乗って帰った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年九月癸卯条】
  • 履中天皇5年10月11日

    天皇は皇妃を葬った。
    天皇は神の祟りを治めずに皇妃を亡くしたことを悔やんだ。またその咎を探した。

    ある者が言うには「車持君(くるまもちのきみ)が筑紫国に行き、すべての車持部(くるまもちべ)を調べて徴発して、充神(かんべ)らの民を奪い取りました。きっとこれが罪でしょう」と。
    天皇が車持君を呼んで問いただすと事実だった。
    そして責めて言うには「おまえは車持君だが、勝手に天子の人民から徴発した。一つ目の罪である。また神にお配り申し上げた車持部を奪い取った。二つ目の罪である」と。
    それで悪解除(あしはらえ)善解除(よしはらえ)を負わせて、長渚崎(ながすのさき)に出して、禊祓をさせた。
    そして「今後は筑紫の車持部を掌ってはならない」と詔した。
    そこで悉く取り上げて三神に奉った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年十月甲子条】
  • 雄略天皇9年2月1日

    雄略天皇凡河内直香賜と采女を遣わして胸方神を祀らせた。
    香賜は壇所に行って事を行うときにその采女を犯した。
    天皇はこれを聞いて「神を祀って福を祈るには慎まなければならない」と言った。
    そして難波日鷹吉士を遣わして殺させた。
    この時に香賜はすでに逃亡していた。
    天皇はまた弓削連豊穂を遣わして普く国・郡・県を探させて、遂に三島郡(みしまのこおり)藍原(あいはら)で捕えて斬った。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年二月甲子朔条】