名前
  • 素戔嗚尊【日本書紀】(すさのおのみこと, すさ
  • 神素戔嗚尊【日本書紀】(かむすさのおのみこと, かむすさ)神素戔嗚尊
  • 速素戔嗚尊【日本書紀】(はやすさのおのみこと, はやすさ
  • 武素戔嗚尊【日本書紀】(たけすさのおのみこと, たすさ
  • 建速須佐之男命【古事記】(たけはやすさのおのみこと, たはやすさ
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  • 須佐能男命【古事記】(すさのおのみこと, すさ
  • 須佐之男命【古事記】(すさのおのみこと, すさ
  • 素戔嗚神【古語拾遺】(すさのおのかみ, すさ)素戔嗚神
  • 素佐能雄命【新撰姓氏録抄】(すさのおのみこと, すさ
  • 素戔嗚命【新撰姓氏録抄】(すさのおのみこと, すさ
  • 素戔烏尊【先代旧事本紀】(すさのおのみこと, すさ
  • 建速素戔烏尊【先代旧事本紀】(たけはやすさのおのみこと, たはやすさ
  • 速素戔烏命【先代旧事本紀】(はやすさのおのみこと, はやすさ
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  • 素戔鳴誤記用。鳴の旁は、「鳥(トリ)」では無く、「烏(カラス)」です。
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キーワード
  • 後裔は摂津国住道首(すむちのおびと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
  • 伊奘諾尊いざなきのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第五段】
  • 伊奘冉尊いざなみのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第五段】
先祖
  1. 伊奘諾尊
  2. 伊奘冉尊
配偶者
  • 田心姫たこりひめ【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
  • 湍津姫たぎつひめ【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
  • 市杵島姫いちきしまひめ【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
  • 大己貴命おおなむちのみこと大国主神おおくにぬしのかみ【日本書紀 巻第一 神代上第八段, 古語拾遺 一巻】【母:奇稲田姫くしなだひめ
    • 八島士奴美神やしましぬみのかみ清之湯山主三名狭漏彦八島篠すがのゆやまぬしみなさるやひこやしましの【古事記 上巻, 日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第一】【母:櫛名田比売くしなだひめ
  • 五十猛神いそたけるのかみ【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第四】
  • 大屋津姫命おおやつひめのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第五】
  • 枛津姫命つまつひめのみこと【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第五】
  • 大年神おおとしのかみ【古事記 上巻】【母:神大市比売かむおおいちひめ
  • 宇迦之御魂神うかのみたまのみこと【古事記 上巻】【母:神大市比売かむおおいちひめ
  • 須勢理毘売命すせりびめのみこと【古事記 上巻】
  • 葛木一言主神かずらきのひとことぬしのかみ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
子孫
  1. 田心姫
    1. 味耜高彦根神
    2. 下照姫
  2. 湍津姫
    1. 事代主神
      1. 鴨王
      2. 媛蹈鞴五十鈴媛命
      3. 五十鈴依媛命
    2. 高照光姫大神命
  3. 市杵島姫
  4. 大国主神
    1. 木俣神
    2. 味耜高彦根神
    3. 下照姫
    4. 事代主神
      1. 鴨王
      2. 媛蹈鞴五十鈴媛命
      3. 五十鈴依媛命
    5. 鳥鳴海神
      1. 国忍富神
    6. 高照光姫大神命
    7. 建御名方神
  5. 五十猛神
  6. 大屋津姫命
  7. 枛津姫命
  8. 大年神
    1. 大国御魂神
    2. 韓神
    3. 曽富理神
    4. 白日神
    5. 聖神
    6. 大香山戸臣神
    7. 御年神
    8. 奥津日子神
    9. 奥津比売命
    10. 大山咋神
    11. 庭津日神
    12. 阿須波神
    13. 波比岐神
    14. 香山戸臣神
    15. 羽山戸神
      1. 若山咋神
      2. 若年神
      3. 若沙那売神
      4. 弥豆麻岐神
      5. 夏高津日神
      6. 秋毘売神
      7. 久久年神
      8. 久久紀若室葛根神
    16. 庭高津日神
    17. 大土神
  9. 宇迦之御魂神
  10. 須勢理毘売命
  11. 一事主神
出来事
  • 伊奘諾尊伊奘冉尊より生まれるが、無道であり、常に泣き喚き、そのために多くが若く死に、青山を枯らすので、父母である二神に遠い根国(ねのくに)に追放される。

    【日本書紀 巻第一 神代上第五段】
    • 伊奘諾尊が頭を廻らした瞬間に生まれる。
      破壊を好んだため、根国に下されて、治めるように命じられる。

      【日本書紀 巻第一 神代上第五段 一書第一】
    • 性質が悪く、常に泣いて怒ることを好んだ。国民は多くが死に、青山は枯れた。それでその父母は勅して、「仮にお前にこの国を治めさせれば、必ずや多くの場所に傷を残す。だからお前は極めて遠い 根国を治めよ」と。

      【日本書紀 巻第一 神代上第五段 一書第二】
    • 泉津平坂(よもつひらさか)から帰った伊奘諾尊が、筑紫(つくし)日向(ひむか)小戸(おど)(たちばな)檍原(あわきはら)で禊祓いをした際、鼻を洗った時に生まれ、天下を治めることを命じられる。

      素戔嗚尊はすでに成長して、長く多量の顎鬚が生えていた。しかし天下を治めずに、常に泣き恨んでいた。それで伊奘諾尊が「お前はなぜ常にこのように泣いているのか」と尋ねると、「私は母のいる根国(ねのくに:)へ行きたいと思って、泣いているのです」と答えた。伊奘諾尊は憎んで、「心のままに行きなさい」と言って放逐した。

      【日本書紀 巻第一 神代上第五段 一書第六】
    • 伊奘諾尊は三子に「天照大神高天之原(たかまのはら)を治めなさい。月夜見尊は日に並んで天の事を治めなさい。素戔嗚尊は青海原を治めなさい」と言って、任せた。

      【日本書紀 巻第一 神代上第五段 一書第十一】
    • 黄泉国から帰った伊邪那岐命が、竺紫(つくし)日向(ひむか)(たちばな)小門(おど)阿波岐原(あわきはら)で禊払いをした際、鼻を洗った時に生まれる。

      伊邪那岐命は大いに喜び、「私は子を生みに生み、生みの最後に三柱の貴い子を得た」と言った。そして首飾りの玉の緒をゆらゆらさせると、天照大御神に賜り、「お前は高天原を治めよ」と言って任せた。次に月読命に「お前は夜の世界を治めよ」と言って任せた。次に建速須佐之男命に「お前は海原を治めよ」と言って任せた。
      それでそれぞれ命に従って治めたが、速須佐之男命だけは国を治めることをせずに、長い顎鬚が胸元に届くまで泣き叫んでいた。その泣くさまは、青々した山が枯山になるほど泣き枯らし、河や海のほとんどが泣き乾すほどだった。この悪い神の声は蠅のように満ち満ちて、万物の禍が一斉に発生した。
      それで伊邪那岐大御神は速須佐之男命に「なぜお前は私が任せた国を治めずに、泣きわめいているのだ」と言うと、「私は亡き母のいる()堅洲国(かたすくに)に参りたいと思って泣いているのです」と答えた。伊邪那岐大御神は大いに怒って「それならばお前はこの国に住んではならない」と言って追放した。

      【古事記 上巻】
    • 素戔嗚神は常に泣き叫んでいた。それで人民は夭折し、青山は枯れた。
      これによって父母の二神は「お前はひどく無道である。速やかに根国に行きなさい」と言った。

      【古語拾遺 一巻】
    • 出雲国の熊野の杵築神宮(きつきのかみのみや)に鎮座している。

      【先代旧事本紀 巻第一 陰陽本紀】
  • 伊奘諾尊に請うて「私は今お言葉を賜って根国(ねのくに)に参ります。そこで高天原(たかまのはら)に参って、姉にお目にかかりたいと思います。その後に永く去りたいと思います」と言うと許された。それで天に上った。

    【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
  • 始め素戔嗚尊が天に昇った時、大海がとどろき渡り、山岳も鳴り響いた。これはその神の性質が猛々しいからである。
    天照大神は、もともとその神の暴悪を知っており、来ることを聞いて、ひどく驚いて言うには、「我が弟が来たのは、善い心からではないだろう。国を奪う志があるからだろうか。父母は諸々の子に任せて、それぞれその境を保たせた。どうして行くべき国を捨て置いて、あえて此処を窺おうとするのか」と。そこで髪を結って(みずら)にし、裳を縛って袴にし、八坂瓊(やさかに)五百箇御統(いおつのみすまる)を、その髻・鬘・腕に巻き、また千箭之靭(ちのりのゆき)五百箭之靭(いおのりのゆき)を背負って、腕には稜威之高鞆(いつのたかとも)をつけ、弓弭(ゆはず)を振り立て、剣の柄を握りしめ、地面を踏みに踏んで、淡雪のように蹴散らかし、勇猛な振る舞いと言葉で問い質した。
    素戔嗚尊は「私は元々邪心はありません。ただ父母の厳命がありまして、まっすぐ根国に行こうするのです。姉上にお目にかからずに、私はどうして気持ち良く行くことが出来るでしょうか。このようなわけで雲霧を踏み、遠くから参りました。思いもしませんでした。姉上の厳しいお顔にお会いするとは」と答えた。
    天照大神は「もしそうであれば、何をもって清い心を明らかにするのか」と問うと、「どうか姉上とともに誓約(うけい)をしましょう。その誓約の中で、必ずや子が生まれます。もし私のところに生まれたのが女であれば、汚い心があると思って下さい。もしこれが男であれば、清い心があると思って下さい」と答えた。
    そこで天照大神は、素戔嗚尊の十握剣(とつかのつるぎ)を受け取って、三段に打ち折り、天真名井(あまのまない)で濯いで、カリカリと嚙んで吹き出し、その息吹の細かい霧から生まれた神を名付けて田心姫という。次に湍津姫という。次に市杵島姫という。全てで三女である。
    素戔嗚尊は、天照大神の髻と腕に巻いた八坂瓊の五百箇御統を受け取って、天真名井で濯いで、カリカリと嚙んで吹き出し、その息吹の細かい霧から生まれた神を名付けて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊という。次に天穂日命という。これは出雲臣(いずものおみ)土師連(はじのむらじ)らの祖である。次に天津彦根命という。これは凡川内直(おおしこうちのあたい)山代直(やましろのあたい)らの祖である。次に活津彦根命という。次に熊野櫲樟日命という。全てで五男である。
    この時天照大神は「その物の元を辿れば、八坂瓊の五百箇御統は私の物である。だからこの五柱の男神は、全て私の子である」と言って、子を引き取って養った。また「その十握剣は、素戔嗚尊の物である。だからこの三柱の女神は、全てお前の子である」と言って、素戔嗚尊に授けた。これは筑紫(つくし)胸肩君(むなかたのきみ)らが祭るところの神である。

    【日本書紀 巻第一 神代上第六段】
    • 日神は元々、素戔嗚尊が猛々しく、決して屈しない心があることを知っていた。それで上り来る時に言うには、「弟が来るのは、善い心ではない。必ずや我が天原(あまのはら)を奪うつもりであろう」と。そして立派な武備をした。身には十握剣(とつかのつるぎ)九握剣(ここのつかのつるぎ)八握剣(やつかのつるぎ)を帯び、また(ゆき)を背負い、また腕には稜威高鞆(いつのたかとも)をつけ、手には弓箭(ゆみや)を握り、自ら迎えて防いだ。
      この時素戔嗚尊が言うには、「私は元々邪心はありません。ただ姉君にお目にかかりたいと思ったのです。ただ少しの間、参るだけです」と。
      そこで日神は、素戔嗚尊と共に顔を合わせて立って、誓約(うけい)をして言うには、「もしおまえの心が明るく清らかで、奪う心が無ければ、お前の生む子は、必ずや男であろう」と。
      言い終わり、帯びた十握剣を食べて生まれた子を名付けて瀛津島姫という。また九握剣を食べて生まれた子を名付けて湍津姫という。また八握剣を食べて生まれた子を名付けて田心姫という。全てで三女の神である。
      素戔嗚尊は、その頸にかけていた五百箇御統(いおつのみすまる)(たま)を、天渟名井(あまのぬない)(またの名は去来之真名井(いざのまない))で濯いで食べた。そして生まれた子を名付けて正哉吾勝勝速日天忍骨尊という。次に天津彦根命という。次に活津彦根命という。次に天穂日命という。次に熊野忍蹈命という。全てで五男の神である。
      それで素戔嗚尊は勝った(しるし)を得た。
      日神は、素戔嗚尊に邪心が無いことを知り、日神が生んだ三女の神を、筑紫洲(つくしのくに)に降らせて、「お前たち三神は道の途中に降りて天孫を助け奉り、天孫の為にお祭りせよ」と教えた。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第一】
    • 素戔嗚尊が天に昇った時、一柱の神があった。名を羽明玉という。この神が迎えて、瑞八坂瓊(みつのやさかに)曲玉(まがたま)を進上した。それで素戔嗚尊はその玉を持って、天上に着いた。
      この時天照大神は、弟に邪心有りと疑って、兵を起こして詰問した。素戔嗚尊は「私が参ったのは、姉君にお目にかかりたいと思い、また珍しい宝の瑞八坂瓊の曲玉を献上したいと思っただけです。他意は御座いません」と答えた。天照大神がまた、「お前の言葉の虚実は、何を以って(しるし)とするのか」と問うと、「願わくは、私と姉君で共に誓約(うけい)を立てましょう。誓約の中で、女が生まれれば汚い心あり。男が生まれれば清い心ありと思って下さい」と答えた。そして天真名井(あまのまない)の三箇所を掘って、向かい合って立った。この時天照大神は素戔嗚尊に「私の帯びる剣をお前に渡そう。お前はお前が持っている八坂瓊の曲玉を私に渡しなさい」と言った。このように約束して、共に取り替えた。
      そして天照大神は八坂瓊の曲玉を、天真名井に浮かべて、玉の端を食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて市杵島姫命という。これは遠瀛(おきつみや)にいる神である。また玉の中ほどを食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて田心姫命という。これは中瀛(なかつみや)にいる神である。また玉の尾を食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて湍津姫命という。これは海浜(へつみや)にいる神である。全てで三女の神である。
      素戔嗚尊は持っている剣を、天真名井に浮かべて、剣の先を食い切り、吹き出した息吹の中から生まれた神を名付けて天穂日命という。次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊という。次に天津彦根命という。次に活津彦根命という。次に熊野櫲樟日命という。全てで五男の神である。云爾。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第二】
    • 日神と素戔嗚尊は、天安河(あまのやすのかわ)を隔てて向かい合い、そして誓約(うけい)を立てて、「お前にもし奸賊の心が無ければ、お前が生む子は必ずや男であろう。もし男が生まれれば、私の子として天原(あまのはら)を治めさせよう」と。
      そこで日神が先に、その十握剣(とつかのつるぎ)を食べて生んだ子は瀛津島姫命という。またの名を市杵島姫命という。また九握剣(ここのつかのつるぎ)を食べて生まれた子は湍津姫命という。また八握剣(やつかのつるぎ)を食べて生まれた子は田霧姫命という。
      素戔嗚尊は、その左の髻に巻いた五百箇御統(いおつのみすまる)(たま)を口に含んで、左の掌の中に置いて男を生んだ。そして「正哉吾勝(まさかわれかちぬ)「まさに私が勝った」の意。」と言った。それに因んで、名を勝速日天忍穂耳尊という。また右の髻の瓊を口に含んで、右の掌の中に置いて、天穂日命が生まれた。また頸にかけた瓊を左腕の中に置いて、天津彦根命が生まれた。また右腕の中から活津彦根命が生まれた。また左足の中から熯之速日命が生まれた。また右足の中から熊野忍蹈命が生まれた。またの名を熊野忍隅命という。その素戔嗚尊が生んだ子は、全て男だった。
      それで日神は、素戔嗚尊がはじめから清い心があると知って、その六男をとって日神の子として、天原を治めさせた。

      【日本書紀 巻第一 神代上第六段 一書第三】
    • 速須佐之男命は「それならば天照大御神に事情を申し上げてから行こう」と言って、天に上るとき、山や川の悉くが響み、国土はすべてが震動した。これを聞いた天照大御神は驚いて、「私の弟が上り来る理由は、必ず善い心ではない。我が国を奪うつもりだろう」と言った。そして髪を解いて角髪に巻き、左右の角髪・鬘・左右の手にそれぞれ八尺勾璁(やさかのまがたま)五百津(いおつ)御統(みすまる)の珠を巻き持ち、矢が千本入る(ゆぎ)を背負い、脇には矢が五百本入る靫をつけ、また稜威(いつ)竹鞆(たかとも)を佩び、弓を振り立てて、堅い地面に(もも)まで踏み入れ、沫雪のように蹴散らしかし、威勢よく雄叫びして待ち、「なぜ上り来るのですか」と言った。速須佐之男命は「私に邪心はありません。ただ伊邪那岐大御神のお言葉で、私が泣き叫んでいたことをお尋ねになられたので、『私は母の国に参りたい思って泣いているのです』と申し上げたのです。しかし大御神は『お前はこの国にいてはならない』と仰せになられ、私を追放なさいました。それで参る状況を申し上げるために、参上したのです。異心はありません」と答えた。天照大御神は「それならば、心の清き明るさをどう知ればいいのですか」と尋ねた。速須佐之男命は「それぞれ誓約(うけい)をして子を生みましょう」と答えた。

      それでそれぞれ天安河(あまのやすのかわ)の中に立って誓約をするとき、天照大御神が先に、建速須佐之男命が佩く十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って三つに折り、触れ合う音を出しながら天之真名井(あまのまない)に振り濯ぎ、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は多紀理毘売命。またの名を奥津島比売命という。次に市寸島比売命。またの名を狭依毘売命という。次に多岐都比売命の三柱。
      速須佐之男命は天照大御神から左の角髪に巻く八尺勾璁(やさかのまがたま)五百津(いおつ)御統(みすまる)の珠を受け取り、触れ合う音を出しながら天之真名井に振り濯ぎ、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。また右の角髪に巻く珠を受け取り、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は天之菩卑能命。また鬘の珠を受け取り、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は天津日子根命。また左手の珠を受け取り、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は活津日子根命。また右手の珠を受け取り、嚙みに嚙んで吐き出す息吹の霧から成った神の名は熊野久須毘命。合わせて五柱。

      そこで天照大御神は速須佐之男命に「後に生まれた五柱の男の子は、私の物をもとにして成ったので、私の子です。先に生まれた三柱の女の子は、あなたの物をもとにして成ったので、あなたの子です」と言って区別した。
      それでその先に生まれた神である多紀理毘売命胸形(むなかた)奥津宮(おきつみや)に鎮座している。次に市寸島比売命は胸形の中津宮(なかつみや)に鎮座している。次に田寸津比売命は胸形の辺津宮(へつみや)に鎮座している。この三柱の神は胸形君らが斎く三柱の大神である。
      それで後に生まれた五柱の子の中で、天菩比命の子の建比良鳥命出雲国造无邪志国造上菟上国造下菟上国造伊自牟国造津島県直(つしまのあがたのあたい)遠江国造らの祖である。
      次に天津日子根命凡川内国造額田部湯坐連(ぬかたべのゆえのむらじ)木国造茨木国造の誤りの可能性大。倭田中直(やまとのたなかのあたい)山代国造馬来田国造道尻岐閉国造(みちのしりのきへのくにのみやつこ)周芳国造倭淹知造(やまとのあんちのみやつこ)高市県主(たけちのあがたぬし)蒲生稲寸(がもうのいなき)三枝部造(さきくさべのみやつこ)らの祖である。

      【古事記 上巻】
    • 素戔嗚神が、日神天照大神)に暇乞いをするため天に昇った時、櫛明玉命が迎えて、(みつ)八坂瓊(やさかに)曲玉(まがたま)を献上した。素戔嗚神はこれを受け取って、日神に奉り、共に約誓(うけい)をした。
      そしてその玉によって天祖吾勝尊を生んだ。そこで天照大神吾勝尊を養育し、特に愛を集めた。常に腋の下に懐いていたので、腋子(わきご)という。今の世に稚子を名付けて「わかご」というのは、これがその訛った言葉である。

      【古語拾遺 一巻】
    • 素戔烏尊が請うて言うには「私は今、お言葉に従って根国に行こうと思います。そこで暫く高天原の姉君にお会いした後に、永く去ろうと思います」と。伊奘諾尊は「許す」と言った。それで天に昇った。
      素戔烏尊がまさに天に昇ろうとする時、一つの神があった。羽明玉という。この神が出迎えて瑞八坂瓊(みつのやさかに)曲玉(まがたま)を奉った。素戔烏尊がその玉を持って天に昇る時、大海がとどろき渡り、山岳も鳴り響いた。これはその神の性質が猛々しいからである。

      天上に行くと、天鈿売命がこれを見て日神に告げた。天照太神はその神の暴悪を知っており、来たことを聞いて、激しく驚いて言うには、「我が弟が来たのは、必ずや善意からではなく、我が高天原を奪う心があるのであろう。父母は諸子それぞれにその境を任せておるのに、どうして就いた国を捨て置き、あえてここを窺おうとするのか」と。そして御髪を解いて御髻に纏い、御髪を結って御鬘とし、御裳を縛って御袴とし、左右の鬘と左右の御手と腕それぞれに八尺瓊(やさかに)五百箇玉御統(いおつのみすまる)の玉を巻き、また千箭之靭(ちのりのゆき)五百箭之靭(いおのりのゆき)を背負い、また稜威之高鞆(いつのたかとも)を臂につけ、弓彇(ゆはず)を振り起こし、剣柄を握り締め、堅庭を股まで踏み抜いて、沫雪のように蹴散らし、雄誥びをあげて、「なぜ上り来たのだ」と詰問した。
      素戔烏尊が答えて言うには、「私は元より汚い心はありません。ただ父の厳しい御命令を賜り、永く根国に行こうとするのです。どうして姉君にお会いせずに、行くことが出来ましょうか。また珍しい宝である八坂瓊の曲玉を献上したいと思ったのです。それで敢えて雲霧を踏み渡り、遠く自ら参ったのです。それなのに、姉君の厳しいお顔を拝見することになろうとは」と。この時天照太神また尋ねて言うには、「もしそうであれば、何を以ってお前の清い心を明らかにするのか。お前の言葉の真偽は、何を以って(しるし)とするのか」と。素戔烏尊が答えて言うには、「姉君と共に誓いをしたいと思います。誓約(うけい)の中で子を生むに当たり、もし私が女を生めば、汚れた心を持っているということです。もし男であれば、清い心を持っているということです」と。
      天之真名井(あまのまない)の三個所を掘り、天照太神と素戔烏尊は天之安河(あまのやすのかわ)を共に隔てて向かい合って立ち、誓約をして言うには、「もしお前に奸賊の心があれば、お前の生む子は必ずや女であり、もし男を生めば、その子に天原を治めさせよう」と。天照太神と素戔烏尊は共に誓約して「私が纏う玉をお前に授けよう。お前が帯びる剣を私に授けよ」と言った。このように約束して交換した。天照太神は素戔烏尊が帯びる三つの剣(または十握剣(とつかのつるぎ)を三段にして三神を生んだという)を天真名井(または去来真名井(いざのまない))に振り濯ぎ、カリカリと嚙んで吹き出した息吹の霧の中から三女の神が生まれた。
      十握剣から生まれた神を名付けて瀛津島姫命という。またの名は田心姫。または田霧姫という。
      九握剣(ここのつかのつるぎ)から生まれた神を名付けて湍津島姫命という。
      八握剣(やつかのつるぎ)から生まれた神を名付けて市杵島姫命という。
      素戔烏尊は天照太神の御手と髻鬘に纏った八坂瓊の五百箇御統の玉を天真名井に浮き濯ぎ、カリカリと嚙んで吹き出した息吹の霧の中から六男の神が生まれた。
      左の御鬘の玉を含み、左手の掌の中から生まれた神を名付けて正哉吾勝勝速日天忍穂別尊という。
      また右の御鬘の玉を含み、右手の掌の中から生まれた神を名付けて天穂日命という。
      また左の御髻の玉を含み、左の臂に付けて生まれた神を名付けて天津彦根命という。
      また右の御髻の玉を含み、右の臂に付けて生まれた神を名付けて活津彦根命という。
      また左の御腕の玉を含み、左の足の中から生まれた神を名付けて熯之速日命という。
      また右の御腕の玉を含み、右の足の中から生まれた神を名付けて熊野予樟日命という。

      天照太神は「その物の元を辿れば、玉は私の物である。だから六男の神は、全て私の子である。そこでその子を養って、天原を治めさせよう。その剣はお前の物である。だから私が生んだ三女はお前の子である」と言った。
      そこで素戔烏尊に授けて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降した。筑紫国の宇佐島(うさのしま)に降り、北の海道の中にいる。名付けて道主貴という。それで教えて「天孫を助け奉り、天孫の為にお祭りせよ」と。宗像君(むなかたのきみ)が祭る神である。(一云。水沼君(みぬまのきみ)らが祭るところに神がこれである)

      瀛津島姫命遠瀛(おきつみや)に居られる。これは田心姫命である。辺津島姫命海浜(へつみや)に居られる。これは湍津島姫命である。中津島姫命中島(なかつみや)に居られる。これは市杵島姫命である。

      【先代旧事本紀 巻第二 神祇本紀】
  • 誓約(うけい)の後、素戔嗚尊の行為はとても非情だった。
    天照大神天狭田(あまのさなだ)長田(おさだ)を神田としていた。
    時に素戔嗚尊は春には種を重ね蒔き、また畔を壊した。秋には天斑駒(あまのふちこま)を放って田の中を荒らした。また天照大神の新嘗の時を見計らって、新宮(にいなえのみや)に糞をした。また天照大神神衣(かむみそ)を織るために斎服殿(いみはたどの)にいた時に、天斑駒の皮を剥いで、殿の甍を穿って投げ入れた。この時天照大神は驚いて、(かび)糸を巻いた管を収める物。で体を傷付けた。このようなわけで怒って、天石窟(あまのいわや)に入り、磐戸を閉じてこもった。それで世界は常闇になって、昼夜の違いが分からなくなった。
    八十万神(やそよろずのかみ)天安河辺(あまのやすのかわら)に集まって、その祈る方法を相談した。
    それで思兼神は深謀遠慮をめぐらして、遂に常世の長鳴鳥を集めて長鳴きさせた。また手力雄神を磐戸の側に立たせて、中臣連(なかとみのむらじ)の遠祖の天児屋命忌部(いんべ)の遠祖の太玉命は、天香山(あまのかぐやま)五百箇真坂樹(いおつのまさかき)を根掘じにして、上枝には八坂瓊(やさかに)五百箇御統(いおつのみすまる)をかけ、中枝には八咫鏡(やたのかがみ)(あるいは真経津鏡(まへつのかがみ)という)をかけ、下枝には青和幣(あおにきて)白和幣(しろにきて)をかけて、皆で祈祷した。また猿女君(さるめのきみ)の遠祖の天鈿女命は、手に茅纒之矟(ちまきのほこ)を持って、天石窟戸の前に立ち、巧みに踊った。また天香山の真坂樹を頭に巻き、(ひかげ)をたすきにし、火を焚いて、ひっくり返した桶に乗って、神懸ったように喋った。
    天照大神はこれを聞いて、「私は石窟に閉じこもっている。豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)はきっと長い夜だろう。しかしなぜ天鈿女命は楽しそうにしているのだ」と言った。そして手でそっと磐戸を開けて見た。その時、手力雄神天照大神の手を引いて出した。そして中臣神忌部神がしめ縄を引き渡した。そして「お戻りになられてはいけません」と言った。
    後に諸神は素戔嗚尊の罪に対して、沢山の捧げ物を科した。また髪を抜いて贖罪とした。またその手足の爪を抜いて贖わせたともいう。そして遂に追放した。

    【日本書紀 巻第一 神代上第七段】
    • 稚日女尊斎服殿(いみはたどの)神服(かむみそ)を織っていた。
      素戔嗚尊はこれを見て、斑駒(ふちこま)を逆剥ぎに剥いで、殿の中に投げ入れた。
      稚日女尊は驚いて機から落ちて、持っていた(かび)で体を傷付けて亡くなった。
      それで天照大神は素戔嗚尊に「お前は猶も汚い心がある。お前を見たくない」と言った。そして天石窟(あまのいわや)に入って、磐戸を閉じた。天下は常闇になって、昼夜の別が無くなった。それで八十万神(やそよろずのかみ)天高市(あまのたけち)に集まって相談した。この時高皇産霊の子の思兼神という者がいて、思慮に優れていた。そして考えて「大神のお姿を映すものを造って、お招き致しましょう」と言った。それですぐに石凝姥を冶工として、天香山(あまのかぐやま)の金を採って日矛(ひほこ)を作らせた。また鹿の皮を全て剥いで天羽韛(あまのはぶき)を作らせた。これを用いて造った神は、紀伊国(きいのくに)に鎮座する日前神である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第七段 一書第一】
    • 日神尊天垣田(あまのかきた)を神田としていた。時に素戔嗚尊は、春は溝を埋めて畔を壊した。また秋には穀物が実るころに縄を引き渡して犯した。また日神が織殿にいる時、斑駒(ふちこま)を生剥ぎにして、その殿の中に入れた。このような行いは、全て非情を尽くした。しかし日神は親身な気持ちで、怒らず、恨まず、全て穏やかな心で許した。
      日神が新嘗をする時、素戔嗚尊は新宮の席の下に密かに糞をした。日神は知らずに、席の上に坐った。これによって日神の体中臭くなった。それで怒り恨んで、天石窟(あまのいわや)に入って、その磐戸を閉じた。
      このとき諸神が憂えて、鏡作部(かがみつくりべ)の遠祖の天糠戸者に鏡を造らせ、忌部(いんべ)の遠祖の太玉者(にきて)を造らせ、玉作部(たまつくりべ)の遠祖の豊玉者に玉を造らせ、また山雷者五百箇真坂樹(いおつのまさかき)八十玉籤(やそたまくし)を採らせ、野槌者五百箇野薦(いおつののすず)の八十玉籤を採らせ、この諸物を持って皆集まった。
      この時中臣(なかとみ)の遠祖の天児屋命神祝(かむほぎ)を述べた。
      そこで日神は磐戸を開けて出た。この時鏡をその石窟に入れたので、戸に触れて小さな傷ができた。その傷は今も残っている。
      これは伊勢に斎き祭る大神である。
      罪を素戔嗚尊を着せて、その贖罪の物を出させた。これは手先、足先の爪、また唾を白和幣(しろにきて)とし、よだれを青和幣(あおにきて)とし、これらで祓い終えて、遂に神逐(かむやらい)の理に従って追放した。

      【日本書紀 巻第一 神代上第七段 一書第二】
    • 日神の神田は三箇所あった。名付けて天安田(あまのやすだ)天平田(あまのひらた)天邑并田(あまのむらあわせだ)という。これらは全て良田で、長雨・日照りにあっても、損なわれることは無かった。
      その素戔嗚尊の神田もまた三箇所あった。名付けて天樴田(あまのくいだ)天川依田(あまのかわよりだ)天口鋭田(あまのくちとだ)という。これらは全て痩せ地だった。雨が降れば流れ、日照りになれば旱魃になった。
      それで素戔嗚尊は妬んで姉の田を害した。春には用水路を壊し、溝を埋め、畔を壊し、また種の重ね蒔きをした。秋には所有権を主張する串を刺し、馬を放して荒らした。これらの悪事をやめることは無かった。しかし日神は咎めずに、常に穏やかな心で許した。云々。

      日神天石窟(あまのいわや)にこもり、諸神は中臣連(なかとみのむらじ)の遠祖である興台産霊の子の天児屋命を遣わして祈らせた。天児屋命天香山(あまのかぐやま)真坂木(まさかき)を根こじにして、上枝には鏡作(かがみつくり)の遠祖である天抜戸の子の己凝戸辺が作った八咫鏡(やたのかがみ)をかけ、中枝には玉作(たまつくり)の遠祖である伊奘諾尊の子の天明玉が作った八坂瓊(やさかに)曲玉(まがたま)をかけ、下枝には粟国(あわのくに)忌部(いんべ)の遠祖である天日鷲が作った木綿(ゆう)をかけ、忌部首(いんべのおびと)の遠祖の太玉命に持たせて、広く厚く称えごとを述べて祈らせた。
      日神はこれを聞いて「この頃、人がいろいろなことを言ったが、いまだこのような麗しい言葉を無い」と言った。そして磐戸を少し開けて窺った。この時、天手力雄神は磐戸の側で待ち構えていて、戸を引き開けた。日神の光が世界に満ちた。それで諸神は大いに喜んだ。
      そして素戔嗚尊に沢山の捧げ物を贖罪とし、手の爪を抜き、足の爪を抜いた。そして天児屋命は、その祓いの祝詞を読んだ。
      世の人が切った爪を大切に始末するのは、これがそのもとである。
      諸神は素戔嗚尊を責めて「お前の行いは甚だ無頼である。だから天上に住んではならない。また葦原中国(あしはらのなかつくに)に住んでもならない。速やかに底の根の国に行きなさい」と言った。そして皆で追いやった。この時長雨が降った。素戔嗚尊は青草を結って蓑笠として、諸神に宿を乞うた。諸神は「お前の素行が悪くて追いやったのだ。どうして宿を我々に乞うのか」と言って、拒否した。それで風雨がひどくとも、休み留まることが出来ず、苦しみながら降った。これ以来、笠蓑をつけて他人の家の中に入ることを忌むのである。また束ねた草を背負ったまま他人の家の中に入ることを忌むのである。これを犯す者は、必ず罰を負うのである。これは太古の遺法である。
      この後、素戔嗚尊は「諸神は私を追いやり、私は今まさに永く去ることになろうが、どうして姉君にお目にかからずに、勝手に去ることが出来ようか」と言うと、天地を震動させて天に上った。
      天鈿女はこれを見て、日神に告げた。日神は「我が弟が上り来るわけは、好意からではない。必ずや我が国を奪うためであろう。私は女だといえども、どうして避けられようか」と言った。そして身に武備を装い、云々。

      そこで素戔嗚尊が誓約(うけい)をして言うには、「私がもし良からぬ事を抱いて上り参ったのであれば、私が今、玉を嚙んで生む子は、必ずや女でしょう。もしそうであれば、女を葦原中国にお降し下さい。もし清い心であれば、必ずた男が生まれるでしょう。もしそうであれば、男に天上を治めさせて下さい。また姉君のお生みになる御子も、また同じ誓約に従いましょう」と。
      そこで日神が先に十握剣(とつかのつるぎ)を食い切り、云々。

      素戔嗚尊は、その左の髻に巻いた五百箇統(いおつのみすまる)(たま)の緒をクルクルと解いて、ジャラジャラと音を立てながら瓊を天渟名井(あまのぬない)に濯ぎ浮かべ、その瓊の端を嚙んで、左の掌に置いた。そして生まれた子を正哉吾勝勝速日天忍穂根尊という。また右の瓊を嚙んで、右の掌に置いた。そして生まれた子を天穂日命という。これは出雲臣(いずものおみ)武蔵国造土師連(はじのむらじ)らの遠祖である。次に天津彦根命。これは茨城国造額田部連(ぬかたべのむらじ)らの遠祖である。次に活目津彦根命。次に熯速日命。次に熊野大隅命。全てで六男である。
      そこで素戔嗚尊が日神に言うには、「私がまた昇り参ったわけは、諸神が私を根国行きを決めたので、行こうと思います。もし姉君にお目にかかれなければ、こらえ別れることは出来ません。それで本当に清い心で上り参っただけなのです。お目にかかることが出来ました。諸神の意志に従って、永く根国に行きます。どうか姉君は天を照らし治められて、平安にお導き下さい。また私が清い心で生んだ子らは姉君に奉ります」と。そして帰っていった。

      ここでは他と違い、岩戸隠れ、誓約の順。
      【日本書紀 巻第一 神代上第七段 一書第三】
    • 速須佐之男命は天照大御神に「私の心は清く明るいのです。それで私が生んだ子はやさしい女の子でした。これによって言うのであれば、私の勝ちです」と言うと、勝った勢いで天照大御神の営田の畔を壊して溝を埋め、また大嘗を行う新嘗祭。神殿に糞を撒き散らした。しかし天照大御神は咎めることをせずに、「糞のようなものは、酔って吐き散らそうとして、弟はあのようなことをしたのでしょう。また田の畔を壊して溝を埋めたのは、土地が惜しくて、弟はあのようなことをしたのでしょう」と良いほうに言い直したが、なおもその悪態が止まることはなく、ますます勢いづいた。
      天照大御神忌服屋(いみはたや)神聖な機屋。にやってきて、神に献る神衣を織らせていたとき、その服屋の棟に穴を開け、天斑馬(あまのふちこま)を逆剥ぎにして落とし入れるのを見た天衣織女は驚き、梭で陰部を貫いて死んだ。
      これを見た天照大御神は恐れて、天石屋(あまのいわや)の戸を閉めて中に籠もった。すると高天原(たかまのはら)中が暗くなり、葦原中国(あしはらのなかつくに)の全てが闇に覆われた。これによって夜ばかりが続いた。神々の声は蠅のように満ち満ちて、あらゆる禍が起こった。

      八百万神(やおよろずのかみ)天安之河原(あまのやすのかわら)に集まって、高御産巣日神の子の思金神に対応策を考えさせた。そして常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、天安河の河上の天堅石(あまのかたしわ)を取り、天金山(あまのかなやま)の鉄を取り、鍛冶職人の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に命じて鏡を作らせ、玉祖命に命じて八尺勾璁(やさかのまがたま)五百津御統(いおつのみすまる)の珠を作らせ、天児屋命布刀玉命を呼んで、天香山(あまのかぐやま)の牡鹿の肩骨を丸抜きにし、天香山の天之朱桜(あまのははか)を取って占わせた。天香山の五百津真賢木(いおつまさかき)を根ごと掘って、上枝には八尺勾璁の五百津の御統の玉をかけ、中枝には八尺鏡(やたのかがみ)をかけ、下枝には白丹寸手(しらにきて)青丹寸手(あおにきて)を垂れかけて、この様々な物は布刀玉命が神聖な(ぬさ)とし、天児屋命は祝福の祝詞をあげ、天手力男神は戸のわきに立ち、天宇受売命は天香山の天之日影(あまのひかげ)を襷にかけ、天之真拆(あまのまさき)を鬘とし、天香山の笹の葉を束ねて手に持ち、天之石屋戸(あまのいわやど)に桶を伏せて踏み鳴らし、神懸りして、胸乳を出し、裳の緒を陰部まで押し下げた。それで高天原が動くほどに八百万神は一斉に笑った。
      天照大御神は怪しみ、天石屋戸をわずかに開いて中から言うには、「私が隠れて天原は闇に包まれ、また葦原中国もすべて闇に包まれたでしょう。なのになぜ天宇受売は歌舞いをして、また八百万の神々は笑っているのだろう」と。そこで天宇受売は「あなた様より貴い神がおられるのです。それで喜び、笑い、楽しんでいるのです」と言った。このように言っている間に、天児屋命布刀玉命はその鏡を指し出して天照大御神に示した。天照大御神はいよいよ怪しんで、そろそろと戸から出てきたきに、隠れて立っていた天手力男神がその手を引っぱった。すると布刀玉命尻久米縄(しりくめなわ)しめ縄。をその後ろに引き渡して、「これより内には戻って入ることは出来ません」と言った。
      天照大御神が出てくると、高天原と葦原中国は自ずと明るくなった。
      八百万の神々は相談して、速須佐之男命に沢山の贖罪の品物を科し、また顎鬚を切り、手足の爪を抜かせて追放した。

      また食物を大気津比売神に求めた。大気都比売は鼻・口・尻から様々な美味しい食物を出して、様々に調理して奉るとき、速須佐之男命はその姿を見て、汚れたものを奉るのだろうと思って大宜津比売神を殺した。その殺した神の体から物が生じた。頭に蚕が生じ、二つの目に稲が生じ、二つの耳に粟が生じ、鼻に小豆が生じ、陰部に麦が生じ、尻に大豆が生じた。
      神産巣日御祖命はこれを取らせて種と成した。

      【古事記 上巻】
    • 素戔嗚神の日神に対する行為はひどく、様々な凌侮があった。いわゆる毀畔(あはなち)古語阿波那知埋溝(みぞうみ)古語美曾宇美放樋(ひはなち)古語斐波那知重播(しきまき)古語志伎麻伎刺串(くしさし)古語久志佐志生剥(いけはぎ)逆剥(さかはぎ)屎戸(くそへ)などである。
      この天罪とは、素戔嗚神が、日神が田を耕す時期に、密かにその田に行って、串を刺して土地を争い、種子を重ね播き、畔を壊し、埋を溝め、樋を開け放ち、新嘗の日には、戸に糞を塗り、織室(はたどの)にいる時には、生きた馬を逆剥ぎにして室内に投げ入れた。
      この天罪は、今の中臣(なかとみ)祓詞(はらえことば)である。
      蚕の糸を織ることのもとは、神代に起こったのである。

      この時、天照大神は激怒して、天石窟(あまのいわや)に入り、磐戸を閉めて幽居した。すると国内は常闇になり、昼夜の別が無くなった。
      群神は憂え迷って手足の置き場所も無く、全て諸々の事は、明かりを灯して行った。
      高皇産霊神八十万神(やそよろずのかみ)天八湍河原(あまのやすのかわら)に集めて方策を立てさせた。

      そこで思兼神が深思遠慮して言うには、「太玉神に命じて、諸々の神を率いて和幣(にきて)古語爾伎弖を造らせ、石凝姥神天糠戸命の子で、作鏡(かがみつくり)の遠祖である)に命じて、天香山(あまのかぐやま)の銅を取らせて、日像之鏡(ひかたのかがみ)を鋳造させ、長白羽神(伊勢国麻続の祖である。今の世に、衣服を白羽(しらは)というのは、これがそのもとである)に命じて、麻を植えて青和幣(あおにきて)とし、天日鷲神津咋見神に命じて、穀の木を植えて白和幣(しらにきて)(これは木綿(ゆう)である。上の二物は一夜にして茂った)を作らせ、天羽槌雄神倭文(しとり)の遠祖である)に命じて、文布(しつ)を織らせ、天棚機姫神に命じて、神衣(かむみそ)、いわゆる和衣(にきたえ)古語爾伎多倍を織らせ、櫛明玉神に命じて、八坂瓊(やさかに)五百筒御統(いおつのみすまる)の玉を作らせ、手置帆負彦狭知の二神に命じて、天御量(あまのみはかり)(大小様々なの計りの器の名である)を以って大小の峡谷の木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)古語美豆能美阿良可を造り、また御笠・矛・盾を作らせ、天目一筒神に命じて、様々な刀・斧・鉄の(さなき)古語佐那伎を作らせて、その物をすっかり備えさせ、天香山の五百筒真賢木(いおつのまさかき)を根こそぎ取って、上枝に玉を掛け、中枝に鏡を掛け、下枝に青和幣・白和幣を掛けて、太玉命に捧げ持たせて讃えさせ、また天児屋命を副えて祈らせ、また天鈿女命(あまのおずめのみこと)(この神は強悍で、猛々しかった。今の世で強い女を「おずし於須志」というのは、これがそのもとである)に命じて、真辟葛(まさきのかずら)を鬘とし、蘿葛(ひかげ)蘿葛者比可気を襷とし、笹の葉飫憩(おけ)の木の葉を手草(たくさ)今多久佐とし、手に鐸をつけた矛を持ち、石窟戸の前に誓槽(うけふね)古語宇気布禰。約誓之意。を伏せ、庭火を灯し、巧みな芸をさせて、皆で歌舞をしましょう」と。

      そこで思兼神の言葉に従い、石凝姥神に命じて日像之鏡を鋳造させた。初めに鋳造したものは、思い通りにはならなかった。これは紀伊国の日前神である。次に鋳造したしたものは、形が美しかった。これは伊勢大神(いせのおおかみ)である。計画どおりに準備が終わった。
      そして太玉命が広く厚く称えごとを申し上げるには、「私が捧げる宝の鏡は明るく麗わしい。あたかもあなた様のようでこざいます。どうか戸を開けて御覧ください」と。そして太玉命天児屋命は、共にその祈禱をした。
      この時天照大神は心の中で「この私が幽居して、天下は悉く暗くなった。群神はなぜ歌い楽しんでいるのだ」と思い、戸を少し開けて窺った。そこで天手力雄神がその扉を引き開けて、新殿(にいみや)に移した。
      天児屋命太玉命日御綱(ひのみつな)今斯利久迷縄(これは日影の像である)を、その殿に引き巡らし、大宮売神を御前に侍らせた。これは太玉命が霊妙な様子で生んだ神である。今の世に内侍が善い言葉・美しい言葉で、君臣の間を和ませて、御心を喜ばせるようなものである。
      豊磐間戸命櫛磐間戸命の二神に殿門を守らせた。これは共に太玉命の子である。

      この時にあたり、天上は初めて晴れ、皆が顔を合わせると、皆の顔は明るく白かった。手を伸ばして歌い舞いった。
      皆が称えて言った。「あはれ阿波礼。天が晴れたことを言うのである。」「あなおもしろ阿那於茂志呂。古語で、事の甚だ切なるを、皆「阿那」という。こう言うのは皆の顔が明るく白かったのである(面白)。」「あなたのし阿那多能志。こう言のは手を伸ばして舞ったのである。今、楽しい事を指して「たのし(手伸し)」というのは、このような意味である。」「あなさやけ阿那佐夜憩。笹の葉の音である。」「おけ飫憩。木の名である。その葉を振る音である。」と言った。
      二神は共に「どうかまた行かれませんように」と言った。
      そして素戔嗚神に罪を負わせて、千座の捧げ物を科して、髪と手足の爪を抜かせて贖わせた。
      こうしてその罪を祓い、追放した。

      【古語拾遺 一巻】
    • 天照太神天垣田(あまのかきた)を御田とした。また御田は三個所あった。名付けて天安田(あまのやすだ)天平田(あまのひらた)天邑幷田(あまのむらあわせだ)という。全て良田だった。長雨や日照りにも遭わず、損なわれることは無かった。
      素戔烏尊にも三個所の田があった。名付けて天樴田(あまのくいだ)天川依田(あまのかわよりだ)天口鋭田(あまのくちとだ)という。全て痩せた地だった。雨が降れば流れ、日照りがあれば焦けた。
      素戔烏尊の行いは、ひどく無状だった。姉の田を妬んで、春には種子を重ね播き、その畔を壊し、所有権を主張する串を刺し、用水路を壊し、溝を埋めた。秋には天斑駒(あまのふちこま)を放って田の中に伏せた。日月を重ね、縄で田を犯して串を刺し、馬を伏せた。また天照太神神嘗(かんなめ)大嘗(おおなめ)新嘗(にいなめ)の時に現れて、新宮の席の下に放尿、糞をした。日神は知らずに席に坐った。
      全て諸々の事は一日で止むことは無かった。これらは無状であったが、日神は親しい心で、怒らず、恨まず、全て許した。
      天照太神神衣(かんみそ)を織るため斎服殿(いみはたとの)に居た。そこで天斑駒を生きたまま逆剝に剥いで、殿の甍を穿って投げ入れた。天照太神は驚いて、(かび)で体を傷付けた。一説には、織女の稚日姫尊が驚いて機から落ち、持っていた梭で体を傷つけて亡くなったという。その稚日姫尊は、天照太神の妹である。
      天照太神は素戔烏尊に「お前は猶も汚い心を持っている。お前の顔など二度と見たくない」と言った。そして天窟(あまのいわや)に入り、磐戸を閉めて幽居してしまった。それで高天原は全て闇に包まれ、また葦原中国は常闇になり、昼夜の違いが分からなくなった。それで万神の声は狭蠅のように鳴き、万の禍が起こるのは、常世国にいるようだった。それで群神は憂い迷って手足の置き所もなく、およそ諸々の事を燭で見分けた。
      この時八百万神は天八湍河原(あまのやすのかわら)に集まって、その祈り奉る方法を話し合った。高皇産霊尊の子の思兼神には思慮の智があった。深謀遠慮で語るには「常世の長鳴の鳥を集めて、互いに長鳴きさせよう」と。そこで集めて鳴かせた。また日神の御像を造り、招き祈り奉った。また鏡作(かがみつくり)の祖の石凝姥命を冶工とし、天八湍河の川上で天堅石(あまのかたしわ)を採らせた。また真名鹿(まなか)の皮を全て剥いで、天之羽韛(あまのはたたら)を作らせ、また天香山(あまのかぐやま)の銅を採って、日矛を鋳造させた。この鏡はわずかに御心に合わなかった。紀伊国に鎮座する日前神がこれである。また鏡作(かがみつくり)の祖の天糠戸神(これは石凝姥命の子である)を遣わして天香山の銅を採らせ、日の形の鏡を造らせた。その形は美麗だった。しかし窟戸に触れて小さな傷が付いた。その傷は今も存在する。これは伊勢に斎き祭る太神である。八咫鏡(やたのかがみ)という。またの名は真経津鏡(まふつのかがみ)という。また玉作(たまつくり)の祖の櫛明玉神八坂瓊(やさかに)五百箇御統(いおつのみすまる)の珠を作らせた。櫛明玉神伊奘諾尊の子である。また天太玉神に命じて諸神を率いさせ、幣帛(みてくら)を造らせた。また麻続(おみ)の祖の長白羽神に麻を植えさせ、青和幣(あおにきて)を作らせた。今、衣を白羽(しらは)というのは、これがそのもとである。また津咋見神(かじ)を植えさせ、白和幣(しろにきて)を作らせた。一夜にして茂った。また粟忌部(あわのいんべ)の祖の天日鷲神木綿(ゆう)を作らせた。また倭文造(しとりのみやつこ)の遠祖の天羽槌雄神に命じて文布(しつ)を織らせた。また天棚機姫神に命じて神衣を織らせた。和衣(にきたえ)云爾岐太倍という。また紀伊忌部の遠祖の手置帆負神に命じて笠を作らせた。また彦狭知神に命じて盾を作らせた。また玉作部(たまつくりべ)の遠祖の豊球玉屋神に命じて玉を造らせた。また天目一箇神に命じて刀・斧・鉄鐸を造らせた。左那岐(さなぎ)という。また野槌者五百箇野薦(いおつののすず)八十玉籤(やそたまくし)を採らせた。また手置帆負彦狭知の二神に命じて天御量(あまのみはかり)で大小様々な器類を量り、名をつけた。また大小の谷の木材を伐って、瑞殿(みずのみあらか)古語美豆乃美阿良可を造らせた。また山雷者に命じて天香山の五百箇真賢木(いおつのまさかき)を掘らせ、上枝に八咫鏡を掛けた。中枝には八坂瓊の五百箇御統の玉を掛けた。下枝には青和幣・白和幣を掛けた。およそ様々な物を設ける事は、具さに謀ったようだった。
      また中臣(なかとみ)の祖の天児屋命・忌部の祖の天太玉命に命じて、天香山の真牡鹿の肩を抜き取らせ、天香山の天波波迦(あまのははか)を取って占わせた。また手力雄命を岩戸の脇に隠れさせた。また天太玉命に捧げ称える言葉を述べさせ、天児屋命を副えて祈らせた。また天太玉命に広く厚く称える言葉を述べさせるには、「私の持っている鏡の麗しさは、あなた様のようです。どうか戸を開けて御覧下さい」と。
      そして天太玉命天児屋命が共にその祈り称えた時、また天鈿売命は天香山の真坂樹を鬘とし、天香山の天日蘿(あまのひかげ)を襷に掛け、天香山の笹の葉を手草とし、手に鐸を付けた矛を持って、天石窟戸の前に立ち、庭火を上げて、巧みに踊った。かがり火を焚いて、桶を伏せ置き、その上で登って音を轟かせた。神懸かりしたように話し、胸乳をかき出して、裳の緒を陰部まで押し下げた時、高天原が鳴り響くほどに八百万神の皆が笑った。
      時に天照太神は中で一人思って言うには、「私が幽居してからは天下は闇く、葦原中国はきっと長い夜となっているだろう。しかしなぜ天鈿売命は楽しそうに笑い、八百万神も皆が笑うのだ」と。不思議に思い、わずかに岩戸を開けて、このように尋ねると、天鈿売命は「あなた様より貴い神がおられます。それで喜び、笑い、楽しんでいるのです」と答えた。このように言って、天太玉命天児屋命が、その鏡を差し出し、天照太神に示した時に、天照太神はますます怪しんで、岩戸をわずかに開けて窺った。
      手力雄神はその手を引いて出し、その扉を引き開いて、新殿に移した。そして天児屋命天太玉命は、その後ろの境に日御綱縄(ひのみつな)を廻らして掛け、端出之左縄(しりくめなわ)しめ縄。とした。
      また大宮売神に命じて、御前に侍らせた。天太玉命が杭を打った神聖な場所に生んだ神である。今の世の内侍が美しい言葉で君臣の間を和まし、御心を喜ばせるようなものである。
      また豊磐間戸命櫛磐間戸命の二神に命じて、殿門を守らせた。二神は天太玉命の子である。

      天照太神が岩屋から出た時、高天原と葦原中国は自ずと光を取り戻した。この時に至って、天が初めて晴れた。「あはれ阿波禮」というのは、天が晴れるということである。「あなおもしろ阿那於茂斯侶」というのは、古語に事の甚だしさを全て「あな」といい、皆の顔が明るく白く面白(おもしろ)なったのである。「あなたのし阿那陀能斯」というのは、手を伸ばして舞うことである。今、楽しみ事を「たのし手伸し」というのはこのためである。「あなさやけ阿那佐夜憩」というのは、笹の葉の音であり、「おけ(をけ)飫憩というのは、木の名か、その葉を振る言葉である。
      そして二神は共に「どうかまた岩屋に戻りませんように」と言った。

      八百万神は相談して、素戔烏尊に罪を負わせるために、千座の置戸を科して償わせた。そして髭・爪を抜いて、その罪を贖わせた。また手の爪を良い供え物とし、足の爪を悪い供え物とした。また唾を白和幣(しろにきて)とし、よだれを青和幣(あおにきて)とした。
      そして天児屋命に、その祓いの祝詞を上げさせた。世の人が自分の爪を他人に渡らないように気をつけるのは、これがそのもとである。

      諸神が素戔烏尊を責めて言うには、「お前の所行は甚だ無礼である。だから天上に住んではならない。また葦原中国にも住んではならない。速やかに底根之国(そこつねのくに)に行け」と。
      遂に降される時、大御食都姫神に食物を乞うた。大御食都姫神は鼻・口・尻から様々な食物を取り出し、様々に設けた。そして進上する時、素戔烏尊はその仕業を立って伺い、穢らわしい物を進上したとして、その大御食都姫神を殺した。
      その殺した神の体から物が生じた。
      頭には蚕が生じ、二つの目には稲の種が生じ、二つの耳には粟が生じ、鼻には小豆が生じ、陰部には麦が生じ、尻には大豆が生じた。神皇産霊尊はこれを取らせて種と成した。

      追放されて降り行く時に長雨にあった。素戔烏尊は青草を結い束ねて蓑笠とした。そして諸神に宿を乞うたが、「お前の行いが悪く穢らわしいのに追放したのだ。どうして私に宿を乞おうするのか」と言って拒否した。それで風雨がひどくとも、休み留まることも出来なかったので、苦しみながら降った。これ以降、世にいう蓑笠をつけた人が屋内に入るのを忌むのは、これがそのもとである。また束ねた草を負って家内に入るのを忌む。これを犯す者があれば、必ず罪を贖う。これは太古の遺法である。
      素戔烏尊は日神に「私がまた昇り来たのは、諸神が私を根国に追いやったからです。今去る前に、もし姉君のお顔を拝見することが出来なければ、離れる辛さに耐えられません。それで本当に清い心で、またやって来たのです。今願いが適いましたので、諸神の言葉に従い、これより永く根国に帰ります。どうか姉君は天国を照らして、平安であられますように。また私が清い心で生んだ子らは、姉君に奉ります」と言った。そして降っていった。

      【先代旧事本紀 巻第二 神祇本紀】
  • 素戔嗚尊は、天から出雲国(いずものくに)()の川上に降りた。
    時に川上で泣き声を聞いた。それで泣き声を尋ねて行くと、一組の老夫婦がいて、中に一人の少女を置いて、かき撫でながら泣いていた。素戔嗚尊が「お前らは誰か。何の為にこのように泣いているのだ」と尋ねると、「私は国神(くにつかみ)で、名は脚摩乳と申します。我が妻の名は手摩乳と申します。この童女は私の子です。名は奇稲田姫と申します。泣いているわけは、先に私の子は八人の(むすめ)がおりましたが、毎年八岐大蛇(やまたのおろち)に呑まれました。今この女もまた呑まれようとしております。免れることはありません。それで悲しんでおります」と答えた。素戔嗚尊が「もしそうであれば、お前の女を私にくれないか」と言うと、「仰せのままに奉ります」と答えた。
    それで素戔嗚尊は、奇稲田姫湯津爪櫛(ゆつつまくし)に変えて、髻に挿した。そして脚摩乳手摩乳八醞酒(やしおおりのさけ)を醸させ、併せて仮棚を八面作らせ、それぞれ槽を一つずつ置いて、酒を入れて待った。
    時期がくるとやはり大蛇がやって来た。頭・尾はそれぞれ八つあり、目は赤酸醤(あかかがち)赤ほおずき。赤酸醤。此云阿箇箇鵝知。のようだった。松や柏が背に生えて、八つの山、八つの谷の間に広がっていた。酒を見つけると、頭をそれぞれの槽に落として飲み、酔って眠った。
    その時、素戔嗚尊は帯びていた十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その蛇をずたずたに斬った。尾に至ると剣の刃が少し欠けた。それでその尾を裂いて見ると、中に一つの剣があった。これを草薙剣(くさなぎのつるぎ)草薙剣。此云倶娑那伎能都留伎。という(一書曰。本来の名は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)。おそらくは大蛇の居る上に、常に雲があったので名付けたのであろう。日本武皇子に至り、名を改めて草薙剣という)。素戔嗚尊は「これは神剣である。私がどうして私の物とできようか」と言って、天神に献上した。
    この後に、結婚する所を探して、遂に出雲の清地(すが)清地。此云素鵝。に着いた。そして「我が心は清々しい」と言った。それで今この地を清という。そしてそこに宮を建てた。
    あるいは歌の部分のみを指す。夫婦の交わり云々は本文。、武素戔嗚尊は歌を詠んだともいう。

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    そして夫婦の交わりをして、生まれた子を大己貴神という。それで「我が子の宮の首長は、脚摩乳手摩乳である」と言った。そして二神に名を賜って稲田宮主神という。
    そして素戔嗚尊は遂に根国に去っていった。

    【日本書紀 巻第一 神代上第八段】
    • 素戔嗚尊は天から出雲(いずも)()の川上に降りた。そして稲田宮主簀狭之八箇耳の女の稲田媛を見て、妻屋を建てて生んだ子は、名付けて清之湯山主三名狭漏彦八島篠という。あるいは清之繋名坂軽彦八島手命という。また清之湯山主三名狭漏彦八島野という。この神の五世孫が大国主神である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第一】
    • 素戔嗚尊は安芸国の可愛()の川上に降りた。そこに神があった。名を脚摩手摩という。その妻の名を稲田宮主簀狭之八箇耳という。この神は妊娠していた。夫妻は共に憂えて、素戔嗚尊に言うには、「私が生んだ子は多かったのですが、生むたびに八岐大蛇(やまたのおろち)がやって来て呑みこんでしまいました。一人も助かりませんでした。今私はまた産むころになり、また呑みこまれることを恐れています。それで悲しんでおります」と。
      素戔嗚尊は「お前は果実を集めて八つの甕に酒を醸しなさい。私がお前のために蛇を殺そう」と教えた。
      二神は教えに従って酒を設けた。産む時に至り、やはりその大蛇が入り口にやって来て子を呑もうとした。素戔嗚尊は「あなたは恐れ多い神です。おもてなし申し上げましょう」と言った。そして八つの甕の酒を口ごとに入れると、その蛇は酒を飲んで眠った。そこで素戔嗚尊は剣を抜いて斬った。尾を斬った時に剣の刃が少し欠けた。割いて見てみると、尾の中に剣があった。これを名付けて草薙剣(くさなぎのつるぎ)という。これは今尾張国の吾湯市村(あゆちのむら)にある。熱田祝部(あつたのはふり)が祭る神がこれである。その蛇を断った剣は、名付けて蛇之麁正(おろちのあらまさ)という。これは今石上(いそのかみ)にある。
      この後、稲田宮主簀狭之八箇耳が生んだ子である真髪触奇稲田媛は、出雲国の()の川上に移して養った。その後、素戔嗚尊の妃として生んだ子の六世孫が、大己貴命である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第二】
    • 素戔嗚尊は奇稲田媛を妃に欲しいと求めた。脚摩乳手摩乳は答えて、「どうか先にその蛇を殺して下さい。その後にお召しになるのがよろしいでしょう」と答えた。その大蛇は頭ごとにそれぞれ石松(いわまつ)が生え、両脇には山があり、とても恐ろしいです。どのように殺しましょうか」と。
      素戔嗚尊は考えて、毒酒を醸して飲ませた。蛇は酔って眠った。素戔嗚尊は韓鋤之剣(からさびのつるぎ)で、蛇の頭を斬り、腹を斬った。その尾を斬った時に、剣の刃が少し欠けた。それで尾を裂いて見てみると、一つの剣があった。名を草薙剣(くさなぎのつるぎ)という。この剣は昔素戔嗚尊のもとにあったが、今は尾張国にある。その素戔嗚尊が蛇を断った剣は、今は吉備の神部(かむとものお)神主。のもとにある。
      出雲の()の川上の山がこれである。おろちを斬った場所を指すのか。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第三】
    • 素戔嗚尊の行いは非情だった。それで諸神は沢山の捧げ物を科し、遂に追放した。
      この時素戔嗚尊は、子の五十猛神を率いて、新羅国(しらきのくに)に降りて、曽尸茂梨(そしもり)の地にやって来た。そして「この地に私は居たくない」と言って、埴土(はに)で舟を作って乗り、東に渡って出雲国(いずものくに)()の川上にある鳥上之峰(とりかみのたけ)に着いた。そこには人を呑む大蛇(おろち)があった。素戔嗚尊は天蠅斫之剣(あまのははきりのつるぎ)で、その大蛇を斬った。蛇の尾を斬った時、刃が欠けた。そこで裂いて見てみると、尾の中に一つの神剣があった。素戔嗚尊は「これは私が私の物としてはいけない」と言って、五世孫の天之葺根神を遣わして天に奉った。これが今にいう草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
      はじめ五十猛神が天降った時、多くの樹の種を持って下った。しかし韓地(からくに)には植えずに、全て持ち帰り、遂に筑紫(つくし)から始めて、全て大八洲国(おおやしまのくに)の中に撒いて青山とした。それで五十猛命を称えて有功之神とした。紀伊国(きいのくに)に鎮座する大神がこれである。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第四】
    • 素戔嗚尊は「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もし我が子の治める国に、舟が無かったら良くないだろう」と言って、鬚髯(ひげ)を抜いて放つと、杉の木になった。また胸の毛を抜いて放つと、これが檜になった。尻の毛は槙の木になった。眉毛は樟になった。そしてその用いるべきものを定めて、「杉と樟はの二つの木は、舟にするのがよい。檜は瑞宮(みつのみや)の木材にするのがよい。槙は現世の人民の棺にするのがよい。そのための沢山の木の種を皆撒こう」と言った。この時素戔嗚尊の子の五十猛命。妹の大屋津姫命。次に枛津姫命。この三神はよく木の種を撒いた。紀伊国(きいのくに)に渡り、祭られている。
      この後に、素戔嗚尊は熊成峰(くまなりのみね)にやって来て、遂に根国(ねのくに)に入った。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第五】
    • 追放されて出雲国(いずものくに)()の河上の鳥髪(とりかみ)という地に降りた。このとき箸がその河から流れ下ってきた。須佐之男命は河上に人がいると思い、尋ねていくと、老夫と老女と二人いて、童女を中に置いて泣いていた。そこで「お前たちは誰か」と尋ねた。それでその老夫は「私は国神(くにつかみ)で、大山津見神の子です。私の名は足名椎といいます。妻の名は手名椎といいます。(むすめ)の名は櫛名田比売といいます」と答えた。また「お前たちはなぜ泣いているのか」と尋ねると、「私の女はもともと八人おりましたが、この高志(こし)八俣遠呂智(やまたのおろち)が毎年やって来ては食っていきました。今まさにその来る時期なので泣いているのです」と答えた。また「その形はどのようなものか」と尋ねると、「目は赤加賀知(あかかがち)ホオズキの古名。のようで、体は一つですが、頭が八つ、尾が八つあります。またその体には(かげ)ヒカゲノカズラの古名。(ひのき)(すぎ)が生え、その丈は八つの谷、八つの丘にまたがり、その腹を見ると、全てが常に血で爛れています」と答えた。
      そこで速須佐之男命は、その老夫に「このお前の女を私にくれないだろうか」と言った。答えて「恐れ入りますが、お名前も存じ上げませんので」と言った。そこで「私は天照大御神の弟である。今、天降ってきたのだ」と言った。足名椎手名椎の神は「畏まりました。差し上げます」と言った。
      速須佐之男命はその童女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変えて角髪に刺し、その足名椎手名椎の神に告げて、「お前たちは八度くり返して酒を醸し、また垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒船を置き、船ごとにその八度醸した酒を盛って待て」と。
      その言葉に従い、備えて待っていると、その八俣遠呂智が言葉どおりにやって来た。そして酒船ごとに頭を垂れ入れて、その酒を飲んだ。すると酔ってそこに留まり、伏して寝た。
      速須佐之男命は、佩いていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その(おろち)を切りに切った。肥の河は血に変わって流れた。その尾の中程を切ったときに、剣の刃が欠けた。不思議に思って、剣の先で刺し割いてみると、都牟刈(つむがり)語義不詳。大刀(たち)があった。それでこの大刀を取って不思議に思い、天照大御神に報告した。これが草那芸之大刀(くさなぎのたち)である。

      速須佐之男命は宮造設の地を出雲国(いずものくに)で探した。須賀(すが)の地に着いて、「私はこの地にやって来たが、心が清々しい」と言った。その地に宮を造った。それでその地を、今は須賀というのである。
      この大神が初めて須賀宮(すがのみや)を造ったとき、その地に雲が立ち昇ったので、歌を作って詠んだ。

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      そしてその足名椎神に「お前は私の宮の長官としよう」と言った。また名を与えて、稲田宮主須賀之八耳神と名付けた。
      それでその櫛名田比売と寝所で交わりを始めて、生まれた神の名は八島士奴美神という。
      また大山津見神の女の神大市比売を娶り、生まれた子は大年神。次に宇迦之御魂神の二柱。
      兄の八島士奴美神大山津見神の女の木花知流比売を娶り、生まれた子は布波能母遅久奴須奴神。この神は淤迦美神の女の日河比売を娶り、生まれた子は深淵之水夜礼花神。この神は天之都度閉知泥神を娶り、生まれた子は淤美豆奴神。この神は布怒豆怒神の女の布帝耳神を娶り、生まれた子は天之冬衣神。この神は刺国大神の女の刺国若比売を娶り、生まれた子は大国主神。またの名を大穴牟遅神という。またの名を葦原色許男神という。またの名を八千矛神という。またの名を宇都志国玉神という。合わせて五つの名がある。

      【古事記 上巻】
    • 素戔嗚神は天から出雲国の()の川上に降った。
      天十握剣(あまのとつかのつるぎ)(その名は天羽羽斬(あまのははきり)という。今は石上神宮(いそのかみのかみのみや)にある。古語に大虵(おろち)羽羽(はは)といい、虵を斬るということである)で八岐大虵(やまたのおろち)を斬った。その尾の中から一つの不思議な剣を得た。その名は天叢雲(あまのむらくも)という(大虵の上に常に雲があったので名とした。倭武尊東征の年、相模国に着いて野火の難に遇った。そこでこの剣で草を薙いで免れることができた。改めて草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名付けた)。そして天神に献上した。
      その後、素戔嗚神が国神の女を娶り、大己貴神が生まれた。
      遂に根国に行った。

      【古語拾遺 一巻】
    • 蛇は八段に斬られて、段ごとに雷となった。八つの雷は飛び躍って天に昇った。この神はとても不思議であった。

      【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 大穴牟遅神が須佐之男命のもとにやって来ると、その女の須勢理毘売が出てきて、目を合わせると結婚した。中に戻ってその父に「とても素敵な神がお越しになりました」と言った。
    その大神が出て見ると、「この者は葦原色許男というのだ」と言った。そして呼び入れて、蛇のいる室に寝させた。その妻の須勢理毘売命は蛇の領巾(ひれ)をその夫に与えて、「その蛇が食いつこうとしたら、この領巾を三度振って打ち払いなさいませ」と言った。それで教えに従うと、蛇は自然と静かになったので、安眠して室を出た。
    また翌日の夜には、呉公(むかで)と蜂の室に入った。また呉公と蜂の領巾を与えられ、先のように教えられて、安らかに出ることが出来た。
    また鳴鏑を大野の中に射入れて、その矢を探させた。それでその野に入ったのを見て、ただちに火でその野を焼いた。出る所が分からずにいると、鼠がやって来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ内は空っぽで、外はすぼんでいるという意味。」と言うので、そこを踏んで下に落ちてしまい、隠れ入っている間に火は焼け過ぎていった。そしてその鼠が鳴鏑を咥えて持ってきて渡した。その矢の羽は、その鼠の子供たちが全て食っていた。
    妻の須世理毘売は、葬式の道具を持って泣きながらやって来た。父の大神は、既に死んでいると思って、その野に出で立った。しかしその矢を持ってきて渡すとき、家に入れて、広い大室に呼び入れて、頭の虱を取らせた。その頭を見ると、呉公(むかで)が多くいた。その妻は(むく)の木の実と赤土を取って、夫に授けた。そえれでその木の実を嚙み砕き、赤土を口に含んで唾を出した。大神は呉公を喰いちぎって唾を出したと思い、心の中で可愛い奴だと思って寝た。
    そこでその大神の髪を掴んで、その室の垂木ごとに結い著けて、五百引石(いおびきのいわ)で室の戸を塞ぎ、妻の須世理毘売を背負って、その大神の生大刀(いくたち)生弓矢(いくみや)天詔琴(あまののりごと)を持って逃げ出したとき、その天詔琴が木に触れて地が鳴動した。それで寝ていた大神は聞いて驚き、その室を引き倒した。しかし垂木に結ばれた髪を解いている間に、遠くに逃げた。
    黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追って来ると、遠くを眺めて大穴牟遅神に言うには、「そのお前が持っている生大刀・生弓矢で、お前の兄弟を坂の尾に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、お前が大国主神となり、また宇都志国玉神となって、我が(むすめ)須世理毘売を正妻として、宇迦山(うかのやま)の麓に宮柱を太く掘り立てて、高天原に届くほどに千木を高くして住め。この(やっこ)め」と。

    【古事記 上巻】
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  • 六世孫:大国主命【新撰姓氏録抄 第二帙 第十七巻 大和国神別 地祇 大神朝臣条】