彦狭知神

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名前
  • 彥狹知神【日本書紀】さしり, さち)彦狭知神
  • 彥狹知命【古語拾遺】さしり)彦狭知命
  • 產狹知命校異。【古語拾遺】産狭知命
キーワード
  • 紀伊国忌部(きいのくにのいんべ)【古語拾遺 神代段】
出来事
  • 天照大神天石窟(あめのいわや)にこもった際に、手置帆負神と共に、天御量(あめのみはかり)(大小様々なの計りの器の名である)を以って大小の峡谷の木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)古語美豆能美阿良可を造り、また御笠・矛・盾を作る。

    【古語拾遺 神代段】
    • 盾を作る。また手置帆負神と共に天御量(あめのみはかり)で大小様々な器類を量り、名をつけた。また大小の谷の木材を伐って、瑞殿(みずのみあらか)を造った。

      【先代旧事本紀 巻第一 神祇本紀】
  • 高皇産霊尊の命により、帰順した大物主神作盾(たてぬい)として仕える。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
  • 神武天皇は都を橿原(かしはら)に建てて、帝宅を造った。

    天富命は、手置帆負・彦狭知の二神の孫を率いて、斎斧(いみおの)斎鉏(いみすき)を使って山材を採り、正殿を造り立てた。地底に宮柱をしっかり立てて、高天原に届くほど高く、皇孫命の御殿を造り、仕え奉った。
    それでその子孫は今、紀伊国の名草郡(なぐさのこおり)御木(みき)麁香(あらか)の二郷に在る。古語で正殿を麁香(あらか)という。
    木材を採る斎部が居る所を御木(みき)という。殿を造る斎部が居る所を麁香(あらか)という。これがその証である。

    【古語拾遺 神武天皇段】