黒媛

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名前
  • 黑媛【日本書紀】(く)黒媛
  • 黑比賣命【古事記】(く)黒比売命
  • 狹名來田蔣津之命【日本書紀】(さなくたもつ)狭名来田蒋津之命
  • 里媛校異【日本書紀】(さ
性別
女性
生年月日
( ~ 仁徳天皇87年1月30日)
没年月日
履中天皇5年9月19日
  • 葦田宿禰あしたのすくね【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条, 古事記 下巻 履中天皇段】
    • 羽田矢代宿禰はたのやしろのすくね【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
先祖
  1. 葦田宿禰
    1. 葛城之曽都毘古
      1. 建内宿禰
      2. 葛比売
    2. unknown
  2. unknown
配偶者
  • 履中天皇りちゅうてんのう【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 磐坂市辺押羽皇子いわさかのいちのへのおしはのみこ【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】【父:履中天皇りちゅうてんのう
  • 御馬皇子みまのみこ【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】【父:履中天皇りちゅうてんのう
  • 青海皇女あおみのひめみこ飯豊皇女いいとよのひめみこ【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】【父:履中天皇りちゅうてんのう
出来事
  • 仁徳天皇87年1月(16日 ~ 30日)

    仁徳天皇が崩じ、太子履中天皇のことを指す。は喪から出て、まだ即位しない間に、黒媛を妃にしたいと思った。
    婚約も整い、住吉仲皇子を遣わして吉日を告げさせた。
    時に仲皇子は太子の名を騙って黒媛を犯した。

    この夜、仲皇子は手に巻いていた鈴を黒媛の家に忘れて帰った。

    翌日の夜、太子は仲皇子が犯したことを知らずにやって来た。
    寝室に入り、帳を開けて寝床についた。このとき枕元から鈴の音が聞こえた。
    太子は怪しんで黒媛に「何の鈴か」と問うと、「昨夜に太子が持っていた鈴ではございませんか。どうして私にお尋ねになるのですか」と答えた。
    太子は仲皇子が名を偽って黒媛を犯したことを知り、しばらく黙ってそこを去った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇即位前紀 仁徳天皇八十七年正月条】
  • 履中天皇元年7月4日

    履中天皇の皇妃となる。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 履中天皇3年11月6日

    天皇は両枝船(ふたまたぶね)磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)に浮かべた。
    皇妃とそれぞれ分乗して遊んだ。
    膳臣余磯が酒を献上した。時に桜の花が盃に落ちた。
    天皇は怪しんで、物部長真胆連を呼んで「この花は咲くべき時期でないのにやってきた。どこの花であろうか。お前が探してきなさい」と詔した。
    長真胆連は独り花を尋ね、掖上(わきのかみ)室山(むろのやま)で手に入れて献上した。
    天皇はその珍しさを喜んで宮の名とした。
    それで磐余稚桜宮(いわれのわかさくらのみや)というのは、これがそのもとである。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇三年十一月辛未条】
  • 履中天皇5年3月1日

    筑紫にいる三神が宮中に現れて言うには「なぜ我が民を奪うのか。私がお前に恥を与える」と。
    そこで天皇は祈祷はすることにしたが祭祀は行わなかった。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年三月戊午朔条】
  • 履中天皇5年9月19日

    風の音のように大空に呼ぶことがあり、「剣刀太子王(つるぎたちひつぎのみこ)」という。
    また呼んで「鳥往来(かよ)う羽田の汝妹(なにも)汝妹。此云儺邇毛。羽狭丹(はさに)(はぶ)り立ちぬ」という。
    また「狭名来田蒋津之命は羽狭丹に葬り立ちぬ」という。
    すると急使がやってきて「皇妃がお隠れになりました」と言った。
    天皇は大いに驚き、馬に乗って帰った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年九月癸卯条】
  • 履中天皇5年10月11日

    履中天皇は皇妃を葬った。
    天皇は神の祟りを治めずに皇妃を亡くしたことを悔やんだ。またその咎を探した。

    ある者が言うには「車持君(くるまもちのきみ)が筑紫国に行き、すべての車持部(くるまもちべ)を調べて徴発して、充神(かんべ)らの民を奪い取りました。きっとこれが罪でしょう」と。
    天皇が車持君を呼んで問いただすと事実だった。
    そして責めて言うには「おまえは車持君だが、勝手に天子の人民から徴発した。一つ目の罪である。また神にお配り申し上げた車持部を奪い取った。二つ目の罪である」と。
    それで悪解除(あしはらえ)善解除(よしはらえ)を負わせて、長渚崎(ながすのさき)に出して、禊祓をさせた。
    そして「今後は筑紫の車持部を掌ってはならない」と詔した。
    そこで悉く取り上げて三神に奉った。

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇五年十月甲子条】