飯豊青皇女
- 名前
- 飯豐靑皇女(いいとよあおのひめみこ, いひとよあをのひめみこ)飯豊青皇女
- 靑海皇女【日本書紀】(あおみのひめみこ, あをみのひめみこ)青海皇女
- 飯豐皇女【日本書紀】(いいとよのひめみこ, いひとよのひめみこ)飯豊皇女
- 飯豐女王【日本書紀】(いいとよのひめみこ, いひとよのひめみこ)飯豊女王
- 忍海飯豐靑尊【日本書紀】(おしぬみのいいとよあおのみこと, おしぬみのいひとよあをのみこと)忍海飯豊青尊
- 忍海部女王【日本書紀】(おしぬみべのひめみこ)忍海部女王
- 飯豐靑尊【日本書紀】(いいとよあおのみこと, いひとよあをのみこと)飯豊青尊
- 靑海郞女【古事記】(あおみのいらつめ, あをみのいらつめ)青海郎女
- 靑海良女校異【古事記】青海良女
- 飯豐郞女【古事記】(いいとよのいらつめ, いひとよのいらつめ)飯豊郎女
- 忍海郞女【古事記】(おしぬみのいらつめ)忍海郎女
- 飯豐王【古事記】(いいとよのみこ, いひとよのみこ)飯豊王
- 靑海皇女尊【先代旧事本紀】(あおみのひめみこのみこと, あをみのひめみこのみこと)青海皇女尊
- 忍海郞女王【先代旧事本紀】(おしぬみのいらつめのみこ)忍海郎女王
- 性別
- 女性
- 生年月日
- ( ~ 清寧天皇3年7月30日)
- 没年月日
- 清寧天皇5年11月
- 父
- 母
- 先祖
- 出来事
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清寧天皇3年7月
飯豊皇女は
【日本書紀 巻第十五 清寧天皇三年七月条】角刺宮 で初めて夫と交わった。
人に語っていうには「女の道を知ったが特別なことはない。今後は男と交わることは望まない」と。
この夫ありというが、未だ詳らかでない。 -
清寧天皇5年1月16日
清寧天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第十五 清寧天皇五年正月己丑条】-
天皇が崩じた後、天下を治めるべき王はいなかった。
そこで皇位を継ぐ王を尋ねて、市辺忍歯別王の妹の忍海郎女。またの名は飯豊王は、
葛城 の忍海 の高木角刺宮 にいた。山部連小楯が針間播磨の国司に任ぜられた時、その国の人民で、名は志自牟が新室完成の宴を開いた。
【古事記 下巻 清寧天皇段】
盛んに酒宴を楽しみ、宴もたけなわになったころ、皆が順に従って舞いを舞った。
火を焚く少年二人が竃の側にいて、その少年達にも舞わせた。
そのうちの一人の少年が「兄さん、先に舞いなさい」と言った。
その兄は「弟よ、先に舞いなさい」と言った。
こうして互いに譲り合っていると、集まった人達はその譲り合う様子を笑った。
そしてとうとう兄が舞い終わり、次に弟がまさに舞おうとしたときに詠め言声を長く引いて歌うこと。をした。
「武人である我が良人が佩く大刀の柄には赤い色を塗りつけ、その緒は赤い布で飾り、赤旗を立て、見れば恐れて隠れる。山の尾根の竹を根元から刈り、竹の末を押しなびかせるように、八絃の琴の調子を調えるように、天下を治めた伊邪本和気天皇履中天皇の御子、市辺之押歯王の賎しい子孫です」と。
小楯連はこれを聞いて驚き、床から転げ落ちた。
その室にいる人達を追い出して、その二柱の王子を左右の膝の上に据えて泣き悲しんだ。
人民を集めて仮宮を造り、その仮宮に住まわせた。
そして駅使 早馬による使者。を遣わした。
その叔母の飯豊王は知らせを聞いて喜び、宮に上らせた。
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清寧天皇5年11月
崩原文ママ。御する。
【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀 清寧天皇五年十一月条】
葛城埴口丘陵 校異:埴日・垣口に葬られる。
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