磐坂市辺押羽皇子

名前
  • 磐坂市邊押羽皇子【日本書紀】(いわさかのいちのへのおしはのみこ, いはさかいちおしは)磐坂市辺押羽皇子
  • 市邊押磐皇子【日本書紀】(いちのへのおしわのみこ, いちおしは)市辺押磐皇子
  • 市邊押盤皇子【日本書紀】市辺押盤皇子
  • 磐坂皇子【日本書紀】(いわさかのみこ, いはさか
  • 押磐皇子【日本書紀】(おしわのみこ, おしは
  • 市邊之忍齒王【古事記】(いちおしは)市辺之忍歯王
  • 忍齒王【古事記】(おしは)忍歯王
  • 市辺王【古事記】(いちのべのみこ)
  • 市邊忍齒王【古事記】(いちおしは)市辺忍歯王
  • 市邊忍齒別王【古事記】(いちおしはわ)市辺忍歯別王
  • 市邊之押齒王【古事記】(いちおしは)市辺之押歯王
  • 磐坂市邊押羽皇子尊【先代旧事本紀】(いわさかのいちのへのおしはのみこのみこと, いはさかいちおしは)磐坂市辺押羽皇子尊
  • 天萬國萬押磐尊【日本書紀】(あめよろずくによろずおしわのみこと, あづくにづおしは)天万国万押磐尊
性別
男性
没年月日
安康天皇3年10月
  • 履中天皇りちゅうてんのう【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 黒媛くろひめ【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
先祖
  1. 履中天皇
    1. 仁徳天皇
      1. 応神天皇
      2. 仲姫命
    2. 磐之媛命
      1. 葛城襲津彦
      2. unknown
  2. 黒媛
    1. 葦田宿禰
      1. 葛城之曽都毘古
      2. unknown
    2. unknown
配偶者
  • 荑媛はえひめ【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】
  • 第一子:居夏姫いなつひめ【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】【母:荑媛はえひめ
  • 第二子:億計王おけのみこ仁賢天皇にんけんてんのう【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】【母:荑媛はえひめ
  • 第三子:弘計王おけのみこ顕宗天皇けんぞうてんのう【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】【母:荑媛はえひめ
  • 第四子:飯豊女王いいとよのひめみこ【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】【母:荑媛はえひめ
  • 第五子:橘王たちばなのみこ【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀】【母:荑媛はえひめ
出来事
  • 履中天皇の皇子として生まれる。母は黒媛

    【日本書紀 巻第十二 履中天皇元年七月壬子条】
  • 安康天皇3年10月

    大泊瀬皇子は、かつて穴穂天皇が市辺押磐皇子に皇位を伝えて後事を委ねようと思っていたことを恨み、人を市辺押磐皇子に遣わして偽って巻狩することを約束し、野遊びすることを勧めて言うには「近江の狭狭城山君韓帒が言うには『今、近江の来田綿(くたわた)蛟屋野(かやの)に猪や鹿が多くおります。その頂いた角は枯木の枝に似ております。その揃った脚は灌木のようで、吐く息は朝霧に似ています』とのことである。願わくは皇子と初冬の風が冷たくないときに野に遊んでいささかに心を楽しんで狩りをしよう」と。
    市辺押磐皇子は従って狩りをした。
    そこで大泊瀬皇子は弓を引き、馬を馳せ、偽って「(しし)有り」と言うと市辺押磐皇子を射殺した。
    皇子の帳内(とねり)佐伯部売輪。またの名は仲手子は屍を抱き、驚き慌ててなす術を知らずにころび回り、叫び散らして右往左往した。
    天皇はみな殺した。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇即位前紀 安康天皇三年十月癸未朔条】
    • 淡海(おうみ)佐佐紀山君(ささきのやまのきみ)の祖、名は韓帒が言うには「淡海の久多綿(くたわた)蚊屋野(かやの)には猪や鹿が多くおります。その立っている足はすすき原のようで、角は枯れ枝のようでございます」と。
      この時に市辺之忍歯王を伴って淡海に行幸した。
      その野に着くと、仮宮を造って泊まった。

      翌朝、まだ日も出ていない時に、忍歯王は軽い気持ちで馬に乗って、大長谷王の仮宮の傍に立った。
      そして大長谷王子の伴の者に言うには「まだお目覚めではないか。早急に申し上げよ。夜は既に明けたので狩庭に行きましょう」と。そのまま馬を進めて出立した。
      大長谷王の側仕えの者たちは「大変なことを言う王子でございます。ご用心なさいませ。また武装なさいませ」と言った。
      それで衣の中に鎧を着て、弓矢を携え、馬に乗って出立した。
      たちまち馬を並べると、矢を抜いて忍歯王を射落とした。
      またその身を斬って、馬の飼葉桶に入れると、地面と同じ高さに埋めた。


      市辺王の王子の意富祁王袁祁王の二柱は、この乱を聞いて逃げ出した。
      それで山代(やましろ)苅羽井(かりばい)に着いて、御粮(みかれい)を食べようとした時、顔に入墨をした老人がやって来て、その御粮を奪った。
      その二王が「御粮は惜しまない。それにしてもお前は誰だ」と言うと、「私は山代の豚飼いだ」と答えた。
      それで玖須婆(くすば)の河を逃げ渡って針間(はりま)国に至り、その国人で名は志自牟の家に入り、身分を隠して馬飼い・牛飼いとして仕えた。

      【古事記 下巻 安康天皇段】
  • 顕宗天皇元年2月

    顕宗天皇と皇太子億計は磐坂皇子が埋められた場所を知る老婆を連れて、近江国の来田綿(くたわた)蚊屋野(かやの)の中に行幸して掘り出して見てみると、はたして老婆の言葉のとおりであった。
    穴を覗いて号泣し、嘆き悲しんだ。
    古よりこのかた、このような酷いことはなかった。
    仲子の屍は御骨に交わって見分けがつかなかった。
    磐坂皇子の乳母が奏上して「仲子は上の歯が抜けておりますので、これで判別できます」と。
    乳母の言うとおりに髑髏(どくろ)を分けてみたが、ついに手足や胴体は判別出来なかった。

    それで蚊屋野の中に二つの陵を造って全く同じように似せた。
    葬儀も異なるところは無かった。

    【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇元年二月是月条】
    • 淡海国(おうみのくに)にいる賤しい老婆が参内して言うには「王子の御骨を埋めた場所を私はよく存じております。またその御歯で確認出来ましょう」と。
      御歯は三技のような押歯(おしは)だった。

      そこで民を集めて土を掘ると、その御骨を見つけることが出来た。
      その御骨を得ると、蚊屋野(かやの)の東の山に御陵を造って葬った。
      そして韓帒の子達にその陵を守らせた。
      然る後に、その御骨を持って帰国した。

      【古事記 下巻 顕宗天皇段】