佐伯部売輪

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名前
  • 氏(ウジ):佐伯部【日本書紀】(さえきべ, さへき
  • 名:賣輪【日本書紀】(うるわ)売輪
  • 名:仲手子またの名。【日本書紀】(なかて
  • 名:仲子【日本書紀】(なかち
没年月日
安康天皇3年10月
出来事
  • 安康天皇3年10月

    市辺押磐皇子大泊瀬皇子に射殺された。
    市辺押磐皇子帳内(とねり)の佐伯部売輪は屍を抱き、驚き慌ててなす術を知らずにころび回り、叫び散らして右往左往した。
    大泊瀬皇子はみな殺した。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇即位前紀 安康天皇三年十月癸未朔条】
  • 顕宗天皇元年2月

    顕宗天皇と皇太子億計磐坂皇子が埋められた場所を知る老婆を連れて、近江国の来田綿(くたわた)蚊屋野(かやの)の中に行幸して掘り出して見てみると、はたして老婆の言葉のとおりであった。
    穴を覗いて号泣し、嘆き悲しんだ。
    古よりこのかた、このような酷いことはなかった。
    仲子の屍は御骨に交わって見分けがつかなかった。
    磐坂皇子の乳母が奏上して「仲子は上の歯が抜けておりますので、これで判別できます」と。
    乳母の言うとおりに髑髏(どくろ)を分けてみたが、ついに手足や胴体は判別出来なかった。

    それで蚊屋野の中に二つの陵を造って全く同じように似せた。
    葬儀も異なるところは無かった。

    【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇元年二月是月条】
  • 仁賢天皇5年2月5日

    仁賢天皇が普く(くに)(こおり)に散り逃れた佐伯部(さえきべ)を探し、佐伯部仲子の後を以って佐伯造(さえきのみやつこ)とする。

    【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇五年二月辛卯条】