忍海部細目
- 名前
- 氏(ウジ):忍海部【日本書紀】(おしぬみべ)忍海部
- 氏(ウジ):忍部校異【日本書紀】(おしべ)
- 姓(カバネ):造【日本書紀】(みやつこ)
- 名:細目【日本書紀】(ほそめ)
- 縮見屯倉首【日本書紀】(しじみのみやけのおびと)
- 志自牟【古事記】(しじむ)
- 生年月日
- ( ~ 安康天皇3年10月29日)
- 没年月日
- (清寧天皇2年11月1日 ~ )
- 出来事
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安康天皇3年10月
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清寧天皇2年11月
大嘗 の供物の為に播磨国に遣わした山部連 の先祖伊与来目部小楯が赤石郡 の縮見屯倉 の首 の忍海部造細目の新室の宴で市辺押磐皇子の子の億計・弘計を見つけた。
畏れ敬い、共に抱いて君として崇め奉ろうと思った。
大いに謹み養って私財を以って奉った。
即ち柴宮 を建てて仮に住まわせて早馬を馳せて奏上した。清寧天皇は愕然として嘆いた。
【日本書紀 巻第十五 清寧天皇二年十一月条】
しばらくして感慨深く言うには「良いことだ。喜ばしいことだ。天は大きな恵みを垂れて両児を賜った」と。-
清寧天皇が崩じた後、天下を治めるべき王はいなかった。
そこで皇位を継ぐ王を尋ねて、市辺忍歯別王の妹の忍海郎女。またの名は飯豊王は、
葛城 の忍海 の高木角刺宮 にいた。山部連小楯が針間播磨の国司に任ぜられた時、その国の人民で名は志自牟が新室完成の宴を開いた。
【古事記 下巻 清寧天皇段】
盛んに酒宴を楽しみ、宴もたけなわになったころ、皆が順に従って舞いを舞った。
火を焚く少年二人が竃の側にいて、その少年達にも舞わせた。
そのうちの一人の少年が「兄さん、先に舞いなさい」と言った。
その兄は「弟よ、先に舞いなさい」と言った。
こうして互いに譲り合っていると、集まった人達はその譲り合う様子を笑った。
そしてとうとう兄が舞い終わり、次に弟がまさに舞おうとしたときに詠め言声を長く引いて歌うこと。をした。
「武人である我が良人が佩く大刀の柄には赤い色を塗りつけ、その緒は赤い布で飾り、赤旗を立て、見れば恐れて隠れる。山の尾根の竹を根元から刈り、竹の末を押しなびかせるように、八絃の琴の調子を調えるように、天下を治めた伊邪本和気天皇履中天皇の御子、市辺之押歯王の賎しい子孫です」と。
小楯連はこれを聞いて驚き、床から転げ落ちた。
その室にいる人達を追い出して、その二柱の王子を左右の膝の上に据えて泣き悲しんだ。
人民を集めて仮宮を造り、その仮宮に住まわせた。
そして駅使 早馬による使者。を遣わした。
その叔母の飯豊王は知らせを聞いて喜び、宮に上らせた。
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