都加使主 名前 都加使主【日本書紀】(つかのおみ)都加使主 生年月日( ~ 応神天皇20年9月29日) 没年月日(応神天皇41年2月1日 ~ ) 親阿知使主(あちのおみ)【日本書紀 巻第十 応神天皇二十年九月条】 先祖 阿知使主 出来事 応神天皇20年9月 阿知使主が子の都加使主、並びに十七県の自分の党類を率いて渡来した。 【日本書紀 巻第十 応神天皇二十年九月条】 応神天皇37年2月1日 応神天皇が阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女(きぬぬいめ)を求めた。 阿知使主らは高麗(こま)国に渡って、呉に行こうと思った。 高麗に着いたが道を知らないので、道を知る者を高麗に乞うた。 高麗王は久礼波・久礼志の二人を副えて道案内させた。これによって呉に行くことが出来た。 呉王は工女の兄媛・弟媛・呉織・穴織の四人の女を与えた。 【日本書紀 巻第十 応神天皇三十七年二月戊午朔条】 応神天皇41年2月 阿知使主らが呉から筑紫(つくし)に着いた。 時に胸形大神が工女らを欲しがったので、兄媛を胸形大神に奉った。 三人の女を連れて津国(つのくに)に至り、武庫(むこ)に着いたが、天皇は崩じてしまい間に合わなかった。 それで大鷦鷯尊に奉った。 【日本書紀 巻第十 応神天皇四十一年二月是月条】 関連東漢掬(やまとのあやのつか)