応神天皇20年9月
阿知使主が子の都加使主、並びに十七県の自分の党類を率いて渡来した。
応神天皇37年2月1日
応神天皇が阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女(きぬぬいめ)を求めた。
阿知使主らは高麗(こま)国に渡って、呉に行こうと思った。 高麗に着いたが道を知らないので、道を知る者を高麗に乞うた。 高麗王は久礼波・久礼志の二人を副えて道案内させた。これによって呉に行くことが出来た。 呉王は工女の兄媛・弟媛・呉織・穴織の四人の女を与えた。
応神天皇41年2月
阿知使主らが呉から筑紫(つくし)に着いた。
時に胸形大神が工女らを欲しがったので、兄媛を胸形大神に奉った。
三人の女を連れて津国(つのくに)に至り、武庫(むこ)に着いたが、天皇は崩じてしまい間に合わなかった。 それで大鷦鷯尊に奉った。