応神天皇37年2月1日
応神天皇が阿知使主・都加使主を呉に遣わして、縫工女(きぬぬいめ)を求めた。
呉王は工女の兄媛・弟媛・呉織・穴織の四人の女を与えた。
応神天皇41年2月
阿知使主らが呉から筑紫(つくし)に着いた。
時に胸形大神が工女らを欲しがったので、兄媛を胸形大神に奉った。 これはいま筑紫国にいる御使君(みつかいのきみ)の祖である。
三人の女を連れて津国(つのくに)に至り、武庫(むこ)に着いたが、天皇は崩じてしまい間に合わなかった。 それで大鷦鷯尊に奉った。 この女たちの子孫が今の呉衣縫(くれのきぬぬい)・蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)である。