雄略天皇14年1月13日
身狭村主青らは呉(くれ)国の使いと共に、呉が献じた手末才伎(たなすえのてひと)の漢織・呉織、衣縫(きぬぬい)の兄媛・弟媛らを率いて住吉津(すみのえのつ)に泊まった。
雄略天皇14年3月
呉人を桧隈野(ひのくまのの)に住まわせた。それで呉原(くれはら)と名付けた。
衣縫(きぬぬい)の兄媛を大三輪神に奉った。 弟媛を漢衣縫部(あやのきぬぬいべ)とした。 漢織・呉織の衣縫は飛鳥衣縫部(あすかのきぬぬいべ)・伊勢衣縫(いせのきぬぬい)の先祖である。