- 名前
- 甘美內宿禰【日本書紀】(うましうちのすくね)甘美内宿禰
- 味師內宿禰【古事記】(うましうちのすくね)味師内宿禰
- 味內宿禰【新撰姓氏録抄】(うましうちのすくね)味内宿禰
- キーワード
山代内臣 之祖【古事記 中巻 孝元天皇段】- 後裔は大和国
山公 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 応神天皇9年4月30日)
- 没年月日
- (応神天皇9年4月1日 ~ )
- 父
- 母
- ・・・
葛城之高千那毘売 【古事記 中巻 孝元天皇段】
- ・・・
- 先祖
- 出来事
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応神天皇9年4月
時に武内宿禰の弟の甘美内宿禰が兄を除こうとした。
そして天皇に讒言して「武内宿禰は常に天下を望む心があります。今聞いた話では筑紫で密かに謀り、『筑紫を裂き、三韓を招いて自分に従わせれば天下を取れる』と言っているようです」と。
すると天皇はすぐに使いを遣わして、武内宿禰を殺すよう命じた。
武内宿禰は歎いて「私に二心は無く、忠をもって君にお仕えしている。これは何の禍なのか。罪も無く死ぬのだろうか」と言った。ここに真根子という者がいて、その姿が武内宿禰によく似ていた。
武内宿禰が無罪で空しく死ぬのを惜しみ、武内宿禰に語って言うには「大臣が忠をもって君に仕え、汚い心など無いことは天下が知っています。どうか密かに朝廷に参り、自ら罪の無いことを弁明してください。その後に死んでも遅くはありません。人は常々、『お前の姿は大臣に似ている』と言います。私が大臣の代わりに死んで、大臣の丹心を明かにします」と。
そして剣をあてて自ら死んだ。武内宿禰は大いに悲しみ、密かに筑紫を出て、船で南の海を回り、
【日本書紀 巻第十 応神天皇九年四月条】紀水門 に泊まった。
どうにか朝廷にたどり着くと、罪の無いこと弁明した。
天皇は武内宿禰と甘美内宿禰を対決させて問うた。
二人は互いに譲らず、是非は決め難かった。
天皇は勅して神祇に請うて探湯 をさせた。
武内宿禰と甘美内宿禰は共に磯城川 のほとりに出て探湯をした。
そして武内宿禰が勝った。
そこで大刀 をとって甘美内宿禰を殴り倒して殺そうとしたが、天皇は勅して許し、紀直 らの祖に賜った。
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