武渟川別
- 名前
- 武渟川別【日本書紀】(たけぬかわわけ, たけぬかはわけ)
- 武渟河別【日本書紀】(たけぬかわわけ, たけぬかはわけ)
- 建沼河別命【古事記】(たけぬなかわわけのみこと, たけぬなかはわけのみこと)
- 建沼河別【古事記】(たけぬなかわわけ, たけぬなかはわけ)
- 武渟川別命【新撰姓氏録抄】
- 建沼河命【先代旧事本紀】(たけぬなかわのみこと, たけぬなかはのみこと)
- キーワード
阿倍臣 等之祖【古事記 中巻 孝元天皇段】- 阿倍臣遠祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年二月甲子条】
- 後裔は左京
竹田臣 校異:竹田朝臣【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 崇神天皇10年7月24日)
- 没年月日
- (垂仁天皇25年2月8日 ~ )
- 父
大毘古命 【古事記 中巻 孝元天皇段】
- 先祖
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
- 出来事
-
大毘古命の子として生まれる。
【古事記 中巻 孝元天皇段】 -
崇神天皇10年7月24日
崇神天皇が群卿に詔して「民を導く本は教化にある。神祇を祀ると災害は無くなった。しかし遠くの荒ぶる人々は、いまだに正朔を受けず、王化に習っていない。そこで郡卿を選んで四方に遣わし、朕の教化を知らしめよう」と。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年七月己酉条】 -
崇神天皇10年9月9日
崇神天皇は
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月甲午条】
大彦命を北陸 に遣わした。
武渟川別を東海 に遣わした。
吉備津彦を西道 に遣わした。
丹波道主命を丹波 に遣わした。
そして「もし教えを受けなければ討伐せよ」と詔して印綬を将軍に授けた。 -
崇神天皇10年10月1日
天皇が群臣に詔して「叛く者は悉く屈服した。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月乙卯朔条】畿内 は無事である。しかしその外は荒ぶる者がいて騒動は止まない。四道将軍は今すぐ出発せよ」と。 -
崇神天皇10年10月22日
将軍たちが出発する。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十年十月丙子条】 -
崇神天皇11年4月28日
四道将軍が
【日本書紀 巻第五 崇神天皇十一年四月己卯条】戎夷 平定を報告する。 -
(崇神天皇60年7月14日 ~ )
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垂仁天皇25年2月8日
垂仁天皇が五大夫に言うには「先皇御間城入彦五十瓊殖天皇崇神天皇は賢く聖であり、欽み明かにして聡く、深く謙虚に執り、志半ばで退いた。万機を治めて神祇を礼祭し、己れに厳しく勤め、日々を慎んだ。それで人民は豊かになり、天下は太平である。今朕の世に当たり、神祇を祭祀することを怠ってはならない」と。
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年二月甲子条】
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- 関連
- 孫:
大臣命 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 那須国造条】
- 孫: