真砥野媛

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名前
  • 眞砥野媛【日本書紀】(ま)真砥野媛
  • 眞砥野比賣命【古事記】(ま)真砥野比売命
  • 圓野比賣命【古事記】(まど)円野比売命
  • 圓野比賣【古事記】(まど)円野比売
性別
女性
生年月日
( ~ 垂仁天皇5年10月1日)
没年月日
(垂仁天皇15年8月1日 ~ )
  • 丹波道主王たにわのみちぬしのみこ美知能宇志王みちのうしのみこ【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条, 古事記 中巻 開化天皇段】
先祖
  1. 丹波道主王
    1. 彦坐王
      1. 開化天皇
      2. 姥津媛
    2. 息長水依比売
      1. 天之御影神
  2. 丹波之河上之摩須郎女
配偶者
  • 垂仁天皇すいにんてんのう【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年二月甲子条】
  • ・・・
    • 磐撞別命いわつくわけのみこと【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】【父:垂仁天皇すいにんてんのう
  • ・・・
    • 祖別命おおじわけのみこと【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】【父:垂仁天皇すいにんてんのう
出来事
  • 垂仁天皇5年10月1日

    皇后狭穂姫が亡くなる直前に、丹波道主王の五人の娘を後宮に入れるを懇願する。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】
  • 垂仁天皇15年2月10日

    後宮に迎えられる。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年二月甲子条】
    • 三人の姉妹と一緒に、垂仁天皇に召し上げられた。
      しかし、その中で歌凝比売命と円野比売命は不器量を理由に故郷に返された。

      円野比売が恥じて言うには「同じ姉妹の中で、姿が醜いという理由で返されことは、隣の里にも聞こえてしまう。これはまことに恥ずかしい」と。
      山代国(やましろのくに)相楽(さがらか)に着いた時に、木の枝にぶらさがって死のうとした。それでその地を名付けて懸木(さがりぎ)という。今は相楽という。
      また弟国(おとくに)に着いた時に、遂に深い淵に堕ちて死んだ。それでその地を名付けて堕国(おちくに)という。今は弟国という。

      日本書紀では竹野媛が亡くなり、マトノヒメは故郷に返されることもない。
      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇15年8月1日

    垂仁天皇の妃となる。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
関連
  • 竹野媛たかのひめ日本書紀では竹野媛(古事記には見えず)が、故郷に帰る途中に亡くなる。