狭穂姫

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名前
  • 狹穗姬【日本書紀】(さほ)狭穂姫
  • 沙本毘賣命【古事記】(さほ)沙本毘売命
  • 佐波遅比売【古事記】(さわじひめ, さはぢ
  • 佐波遲比賣命【古事記】(さわじひめのみこと, さはぢ)佐波遅比売命
  • 沙本毘賣【古事記】(さほ)沙本毘売
  • 狹穗姬命【先代旧事本紀】(さほ)狭穂姫命
性別
女性
生年月日
( ~ 垂仁天皇2年2月9日)
没年月日
垂仁天皇5年(11月 ~ 12月)
  • 日子坐王ひこいますのみこ【古事記 中巻 開化天皇段】
先祖
  1. 日子坐王
    1. 開化天皇
      1. 孝元天皇
      2. 鬱色謎命
    2. 姥津媛
  2. 沙本之大闇見戸売
    1. unknown
    2. 春日建国勝戸売
配偶者
  • 垂仁天皇すいにんてんのう【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二年二月己卯条】
  • 誉津別命ほんつわけのみこと【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二年二月己卯条】【父:垂仁天皇すいにんてんのう
出来事
  • 垂仁天皇2年2月9日

    垂仁天皇の皇后となる。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二年二月己卯条】
  • 垂仁天皇4年9月23日

    皇后の同母兄の狭穂彦王が謀反を企てて国を傾けようとした。
    それで皇后が寛いでいるときに語って言うには「お前は兄と夫と何れが愛おしいか」と。
    皇后は尋ねられた意味が分からずに「兄が愛おしいです」と答えた。
    即ち皇后に誂えて言うには「容色を以って人に仕えれば、容色が衰えると寵愛は終わる。今天下に佳人は多く、各々が進んで寵愛を求めている。どうして容色だけに恃むことが出来ようか。もし私が皇位につけば、必ずお前と天下を臨むことができる。枕を高くして永く寿命を全うすることは快いではないか。どうか私の為に天皇を殺してくれ」と。
    そして匕首を取り、皇后に授けて言うには「この匕首を衣の中に忍ばせて、天皇が眠っているときに頸を刺して殺せ」と。
    皇后は心の中で戦慄き、なすべき方法を知らなかった。しかし兄の志を思うと、たやすく諫めることができなかった。
    それでその匕首を受けて、独り隠すことも出来ずに衣の中につけた。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇四年九月戊申条】
    • 天皇が沙本毘売を后とする時、沙本毘売命の兄の沙本毘古王がその妹に「夫と兄のどちらが愛おしいか」と尋ねると、「兄が愛おしいです」と答えた。
      そこで沙本毘古王は謀って「お前が私を愛おしく思うのであれば、私とお前とで天下を治めよう」と言うと、繰り返し鍛えた八塩折之紐小刀(ひもがたな)を作り、その妹に授けて「この小刀で天皇が寝ている間に刺し殺しなさい」と言った。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇5年10月1日

    天皇は来目(くめ)高宮(たかみや)にいた。
    時に天皇は皇后の膝を枕にして昼寝をした。
    皇后は事を成し遂げることはなく、「兄王の謀を実行するのは今なのに」と空しく思った。そして眼から涙が流れて帝の顔に落ちた。
    天皇が目を覚まして皇后に語って言うには「朕は今日夢を見た。錦色の小蛇が我が頸に巻きついた。また大雨が狭穂から降ってきて顔を濡らすのは、何の前兆だろうか」と。
    皇后は謀を隠すことが出来ないことを知り、恐れて地に伏すと詳らかに兄王の謀を述べて「私は兄王の志に違うことも出来ず、また天皇の御恩に背くことも出来ません。訴え出れば兄王は亡び、言わなければ国を傾けます。それで恐れと悲しみで仰ぎ咽び、窮して血涙を流しました。日夜胸につかえて訴えることが出来ません。ただ今日、天皇が私の膝を枕にしてお休みになりました。もし狂った女がいて、兄の志を成すのであれば、今この時に労せず功を成したでしょう。この心が定まらないまま眼から涙が流れ、袖を挙げて涙を拭いても、袖から溢れてしまって帝のお顔を濡らしてしまいました。今日の夢はこの事の答えでしょう。錦色の小蛇は私が授かった匕首。大雨が降ったのは私の涙です」と。
    天皇は皇后に「お前に罪は無い」と言った。
    そして身近にいる兵を遣わして八綱田に命じ、狭穂彦を討たせた。
    時に狭穂彦は軍を起して防いだ。急いで稲を積んで城を造った。城は堅くて破れなかった。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】
    • 天皇は謀を知らずに后の膝を枕にして寝ていた。
      そこでその后は紐小刀で天皇の頸を刺そうとして、三度も振り上げたが、哀情を忍ぶことが出来ず、頸を刺せずに涙が溢れて天皇の顔に落ちた。
      天皇は驚き起きて、后に言うには「私は変な夢を見た。沙本(さほ)の方から俄雨が降ってきて、急に私の顔を濡らした。また錦色の小蛇が私の頸に巻きついた。このような夢は何のしるしだろうか」と。
      后は諍わず、天皇に言うには「兄の沙本毘古王が私に『夫と兄のどちらが愛おしいか』と尋ねました。面と向かって尋ねるので、気後れしてしまった私は『兄が愛おしい』と答えたので御座います。すると私に『私とお前とで共に天下を治めよう。天皇を殺しなさい』と言って、繰り返し鍛えた紐小刀を作って私に授けました。それで御頸を刺すために三度も振り上げましたが、哀情が急に起きて刺すことが出来ず、涙が落ちてお顔を濡らしてしまったので御座います。しるしはきっとこれで御座いましょう」と。
      天皇は「私は危うく欺かれるところであった」と言った。

      軍を興して沙本毘古王を撃つ時、その王は稲城(いなき)を作り、待ち受けて戦った。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇5年(11月 ~ 12月)垂仁天皇五年十月から月が替わったが、年は替わっていないと判断。

    狭穂彦は月が替わっても降伏しなかった。
    皇后が悲しんで言うには「皇后といえども、兄王を失えば何の面目で天下に臨めましょうか」と。そして王子誉津別命を抱いて兄王の稲城に入った。
    天皇は更に軍勢を増やして城を囲み、城の中に詔して「速やかに皇后と皇子を出せ」と言った。しかし出てはこなかった。
    将軍八綱田は火を放って城を焼くと、皇后は皇子を抱いて城の上を越えて出てきた。そして請うて言うには「私が兄の城に逃げたのは、私と子のために、兄の罪のお許しを頂けると思ったからで御座います。お許しは頂けないと知りました。罪は私に御座います。どうして自ら捕われましょうか。自ら命を断つのみで御座います。私が死んでも天皇の御恩を忘れることは御座いません。どうか私が司っていた後宮の事は、好い相手にお授け頂ければ幸いに存じます。丹波国に五人の女がおります。丹波道主王(むすめ)で御座います。後宮の数に入れて頂きたく存じます」と。天皇はこれを許した。
    時に火は燃え上がり、城は崩れ、軍勢は悉く逃げた。
    狭穂彦と妹は、共に城の中で死んだ。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】
    • 沙本毘売命は兄を思うに堪えず、裏門から逃げ出て、その稲城の中に入った。このとき后は懐妊していた。
      天皇は后が懐妊していること、また寵愛すること三年になるので、堪えがたい思いをした。それでその軍勢で取り囲ませたが、急には攻めさせなかった。
      こうして戦いが停滞している間に御子が産まれた。
      それでその御子を出して稲城の外に置き、天皇に言うには「もしこの御子を天皇の御子と思し召すならば、お育て頂きたく存じます」と。
      天皇は「兄を恨んではいるが、后が愛おしくて忍びない」と言った。これは后を取り返す心があるためである。
      そこで軍の中から力が強く、敏捷な者を選び集めて言うには「御子を取り返す時に、その母王も奪い取りなさい。髪であろうと、手であろうと、取れるものはすべて掴んで引き出しなさい」と。
      后はその情を予知して、その髪を全て剃り、その髪で頭を覆い、玉緒を腐らせて三重に手に巻き、また酒で衣を腐らせて、それを完全な衣服のようにした。
      このように準備して、その御子を抱いて城外に出た。
      そこで力の強い者らがその御子を受け取ると、その母を捕えようとした。しかしその髪を握ると髪は落ち、その手を握ると玉緒が切れ、その衣を握ると衣は破けた。それでその御子は受け取ることが出来たが、その母は捕えることは出来なかった。
      兵士達は帰還して、「御髪は自然に落ち、御衣は容易く破れ、また御手に巻かれた玉緒も切れてしまい、それで御祖は捕えられずに、御子だけは取り返すことが出来ました」と報告した。
      天皇は悔い恨み、玉作りの人々を憎んで、その土地を全て奪った。それで諺に「地を得られない玉作り」というのである。
      また天皇は、その后に命じて言うには「およそ子の名は必ず母が名付ける。この子の御名は何と付けたら良いか」と。答えて「今、火が稲城を焼くときに火中で生まれました。だからその御名は本牟智和気御子と名付けます」と。また命じて言うには「どうのように養育したら良いか」と。答えて「乳母を取り、大湯坐(おおゆえ)若湯坐(わかゆえ)を定めて御養育して頂きたく存じます」と。それでその后の言葉に従って養育した。
      またその后に問うて「お前が結び固めたの美しい小紐は誰が解けば良いか」と。答えて「旦波比古多多須美智宇斯王(むすめ)、名は兄比売弟比売。この二人の女王は清い民で御座います。これをお使い頂きたく存じます」と。
      遂にその沙本比古王を殺した。その妹もまた殉じた。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】