狭穂彦王

名前
  • 狹穗彥王【日本書紀】(さほ)狭穂彦王
  • 狹穗彥【日本書紀】(さほ)狭穂彦
  • 沙本毘古王【古事記】(さほ
  • 沙本毘古命【古事記】(さほ
  • 沙本比古王【古事記】(さほ
  • 狹穗彥命【新撰姓氏録抄】(さほ)狭穂彦命
キーワード
  • 日下部連(くさかべのむらじ)甲斐国造之祖【古事記 中巻 開化天皇段】
  • 後裔は河内国日下部連(くさかべのむらじ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 垂仁天皇4年9月23日)
没年月日
垂仁天皇5年(11月 ~ 12月)
  • 日子坐王ひこいますのみこ【古事記 中巻 開化天皇段】
先祖
  1. 日子坐王
    1. 開化天皇
      1. 孝元天皇
      2. 鬱色謎命
    2. 姥津媛
  2. 沙本之大闇見戸売
    1. unknown
    2. 春日建国勝戸売
出来事
  • 垂仁天皇4年9月23日

    皇后狭穂姫の同母兄の狭穂彦王は謀反を企てて国を傾けようとした。
    それで皇后が寛いでいるときに語って言うには「お前は兄と夫と何れが愛おしいか」と。
    皇后は尋ねられた意味が分からずに「兄が愛おしいです」と答えた。
    即ち皇后に誂えて言うには「容色を以って人に仕えれば、容色が衰えると寵愛は終わる。今天下に佳人は多く、各々が進んで寵愛を求めている。どうして容色だけに恃むことが出来ようか。もし私が皇位につけば、必ずお前と天下を臨むことができる。枕を高くして永く寿命を全うすることは快いではないか。どうか私の為に天皇を殺してくれ」と。
    そして匕首を取り、皇后に授けて言うには「この匕首を衣の中に忍ばせて、天皇が眠っているときに頸を刺して殺せ」と。
    皇后は心の中で戦慄き、なすべき方法を知らなかった。しかし兄の志を思うと、たやすく諫めることができなかった。
    それでその匕首を受けて、独り隠すことも出来ずに衣の中につけた。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇四年九月戊申条】
    • 垂仁天皇沙本毘売を后とする時、沙本毘売命の兄の沙本毘古王がその妹に「夫と兄のどちらが愛おしいか」と尋ねると、「兄が愛おしいです」と答えた。
      そこで沙本毘古王は謀って「お前が私を愛おしく思うのであれば、私とお前とで天下を治めよう」と言うと、繰り返し鍛えた八塩折之紐小刀(ひもがたな)を作り、その妹に授けて「この小刀で天皇が寝ている間に刺し殺しなさい」と言った。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇5年10月1日

    垂仁天皇来目(くめ)高宮(たかみや)にいた。
    時に天皇は皇后の膝を枕にして昼寝をした。
    皇后は事を成し遂げることはなく、「兄王の謀を実行するのは今なのに」と空しく思った。そして眼から涙が流れて帝の顔に落ちた。
    天皇が目を覚まして皇后に語って言うには「朕は今日夢を見た。錦色の小蛇が我が頸に巻きついた。また大雨が狭穂から降ってきて顔を濡らすのは、何の前兆だろうか」と。
    皇后は謀を隠すことが出来ないことを知り、恐れて地に伏すと詳らかに兄王の謀を述べて「私は兄王の志に違うことも出来ず、また天皇の御恩に背くことも出来ません。訴え出れば兄王は亡び、言わなければ国を傾けます。それで恐れと悲しみで仰ぎ咽び、窮して血涙を流しました。日夜胸につかえて訴えることが出来ません。ただ今日、天皇が私の膝を枕にしてお休みになりました。もし狂った女がいて、兄の志を成すのであれば、今この時に労せず功を成したでしょう。この心が定まらないまま眼から涙が流れ、袖を挙げて涙を拭いても、袖から溢れてしまって帝のお顔を濡らしてしまいました。今日の夢はこの事の答えでしょう。錦色の小蛇は私が授かった匕首。大雨が降ったのは私の涙です」と。
    天皇は皇后に「お前に罪は無い」と言った。
    そして身近にいる兵を遣わして八綱田に命じ、狭穂彦を討たせた。
    時に狭穂彦は軍を起して防いだ。急いで稲を積んで城を造った。城は堅くて破れなかった。これを稲城(いなき)という。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】
    • 垂仁天皇は謀を知らずに后の膝を枕にして寝ていた。
      そこでその后は紐小刀で天皇の頸を刺そうとして、三度も振り上げたが、哀情を忍ぶことが出来ず、頸を刺せずに涙が溢れて天皇の顔に落ちた。
      天皇は驚き起きて、后に言うには「私は変な夢を見た。沙本(さほ)の方から俄雨が降ってきて、急に私の顔を濡らした。また錦色の小蛇が私の頸に巻きついた。このような夢は何のしるしだろうか」と。
      后は諍わず、天皇に言うには「兄の沙本毘古王が私に『夫と兄のどちらが愛おしいか』と尋ねました。面と向かって尋ねるので、気後れしてしまった私は『兄が愛おしい』と答えたので御座います。すると私に『私とお前とで共に天下を治めよう。天皇を殺しなさい』と言って、繰り返し鍛えた紐小刀を作って私に授けました。それで御頸を刺すために三度も振り上げましたが、哀情が急に起きて刺すことが出来ず、涙が落ちてお顔を濡らしてしまったので御座います。しるしはきっとこれで御座いましょう」と。
      天皇は「私は危うく欺かれるところであった」と言った。

      軍を興して沙本毘古王を撃つ時、その王は稲城(いなき)を作り、待ち受けて戦った。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇5年(11月 ~ 12月)垂仁天皇五年十月から月が替わったが、年は替わっていないと判断。

    狭穂彦は月が替わっても降伏しなかった。
    皇后が悲しんで言うには「皇后といえども、兄王を失えば何の面目で天下に臨めましょうか」と。そして王子誉津別命を抱いて兄王の稲城に入った。
    天皇は更に軍勢を増やして城を囲み、城の中に詔して「速やかに皇后と皇子を出せ」と言った。しかし出てはこなかった。
    将軍八綱田は火を放って城を焼くと、皇后は皇子を抱いて城の上を越えて出てきた。そして請うて言うには「私が兄の城に逃げたのは、私と子のために、兄の罪のお許しを頂けると思ったからで御座います。お許しは頂けないと知りました。罪は私に御座います。どうして自ら捕われましょうか。自ら命を断つのみで御座います。私が死んでも天皇の御恩を忘れることは御座いません。どうか私が司っていた後宮の事は、好い相手にお授け頂ければ幸いに存じます。丹波国に五人の女がおります。丹波道主王(むすめ)で御座います。後宮の数に入れて頂きたく存じます」と。天皇はこれを許した。
    時に火は燃え上がり、城は崩れ、軍勢は悉く逃げた。
    狭穂彦と妹は、共に城の中で死んだ。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇五年十月己卯朔条】
    • 沙本毘売命は兄を思うに堪えず、裏門から逃げ出て、その稲城の中に入った。このとき后は懐妊していた。
      天皇は后が懐妊していること、また寵愛すること三年になるので、堪えがたい思いをした。それでその軍勢で取り囲ませたが、急には攻めさせなかった。
      こうして戦いが停滞している間に御子が産まれた。
      それでその御子を出して稲城の外に置き、天皇に言うには「もしこの御子を天皇の御子と思し召すならば、お育て頂きたく存じます」と。
      天皇は「兄を恨んではいるが、后が愛おしくて忍びない」と言った。これは后を取り返す心があるためである。
      そこで軍の中から力が強く、敏捷な者を選び集めて言うには「御子を取り返す時に、その母王も奪い取りなさい。髪であろうと、手であろうと、取れるものはすべて掴んで引き出しなさい」と。
      后はその情を予知して、その髪を全て剃り、その髪で頭を覆い、玉緒を腐らせて三重に手に巻き、また酒で衣を腐らせて、それを完全な衣服のようにした。
      このように準備して、その御子を抱いて城外に出た。
      そこで力の強い者らがその御子を受け取ると、その母を捕えようとした。しかしその髪を握ると髪は落ち、その手を握ると玉緒が切れ、その衣を握ると衣は破けた。それでその御子は受け取ることが出来たが、その母は捕えることは出来なかった。
      兵士達は帰還して、「御髪は自然に落ち、御衣は容易く破れ、また御手に巻かれた玉緒も切れてしまい、それで御祖は捕えられずに、御子だけは取り返すことが出来ました」と報告した。
      天皇は悔い恨み、玉作りの人々を憎んで、その土地を全て奪った。それで諺に「地を得られない玉作り」というのである。
      また天皇は、その后に命じて言うには「およそ子の名は必ず母が名付ける。この子の御名は何と付けたら良いか」と。答えて「今、火が稲城を焼くときに火中で生まれました。だからその御名は本牟智和気御子と名付けます」と。また命じて言うには「どうのように養育したら良いか」と。答えて「乳母を取り、大湯坐(おおゆえ)若湯坐(わかゆえ)を定めて御養育して頂きたく存じます」と。それでその后の言葉に従って養育した。
      またその后に問うて「お前が結び固めたの美しい小紐は誰が解けば良いか」と。答えて「旦波比古多多須美智宇斯王(むすめ)、名は兄比売弟比売。この二人の女王は清い民で御座います。これをお使い頂きたく存じます」と。
      遂にその沙本比古王を殺した。その妹もまた殉じた。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
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