豊鍬入姫命
- 名前
- 豐鍬入姬命【日本書紀】(とよすきいりひめのみこと)豊鍬入姫命
- 豐耜入姬命【日本書紀】(とよすきいりひめのみこと)豊耜入姫命
- 豐鉏入日賣命【古事記】(とよすきいりひめのみこと)豊鉏入日売命
- 豐鉏比賣命【古事記】(とよすきひめのみこと)豊鉏比売命
- 性別
- 女性
- 生年月日
- ( ~ 崇神天皇6年12月29日)
- 没年月日
- (垂仁天皇25年3月10日 ~ )
- 父
崇神天皇 【日本書紀 巻第五 崇神天皇元年二月丙寅条】
- 母
- 先祖
- 出来事
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母は八坂振天某辺。
【日本書紀 巻第五 崇神天皇元年二月丙寅条 一云】
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( ~ 崇神天皇6年12月29日)崇神天皇6年以前か。
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伊勢の大神宮を斎き祭った。
【古事記 中巻 崇神天皇段】 -
ようやく神威を畏れて、
殿 を同じくすることが不安になった。
それで斎部に命じて石凝姥神の子孫と、天目一筒神の子孫の二氏を率いさせ、更に鏡と剣を造らせて、護御璽 とした。これが今、践祚の日に献上する神璽の鏡と剣である。
倭 の笠縫邑 に磯城 の神籬 を立て、天照大神と草薙剣 を遷して、皇女豊鍬入姫命に命じて斎い祀らせた。
その遷して祀った日の夕方、宮人は皆集まって、終夜宴を楽しんで歌った。「
美 夜 比 登 能 於 保 與 須 我 良 爾 伊 佐 登 保 志 由 伎 能 與 呂 志 茂 於 保 與 須 我 良 爾 」今の世に
「
美 夜 比 止 乃 於 保 與 曾 許 志 侶 茂 比 佐 止 保 志 由 伎 乃 與 侶 志 茂 於 保 與 曾 許 侶 茂 」と歌うのは、詞が変化したのである。
【古語拾遺 崇神天皇段】
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垂仁天皇25年3月10日
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