- 名前
- 三穗津姬【日本書紀】(みほつひめ)三穂津姫
- 三穗津姬命【先代旧事本紀】(みほつひめのみこと)三穂津姫命
- 村屋神【日本書紀】(むらやのかみ)村屋神
- 性別
- 女神【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
- 親
高皇産霊尊 【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
- 先祖
- 配偶者
大物主神 【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
- 出来事
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天武天皇元年7月7日
高市郡 の大領高市県主許梅に神懸って言うには「吾は高市社 に居る、名は事代主神である。また身狭社 に居る、名は生雷神である」と。
そして神意を表して言うには「神日本磐余彦天皇の陵に馬や様々な武器を奉れ」と。
また言うには「吾は皇御孫命 の前後に立って、不破 までお送り奉って帰った。今もまた官軍の中に立って守護している」と。
また言うには「西道から軍勢が来る。慎しむように」と。
言い終ると醒めた。それで急いで許梅を遣わし、御陵を祭り拝ませて馬や武器を奉った。
また幣 を捧げて高市・身狭の二社の神を礼い祭った。その後、壱伎史韓国が大坂から来襲した。時の人は「二社の神の教えられた言葉はまさにこれであった」と言った。
また村屋神が
祝 に神懸って「いま吾が社の中道から軍勢が来る。社の中道を防げ」と。
それで幾日も経たずに廬井造鯨の軍が中道から来襲した。時の人は「神の教えられた言葉はこれであった」と言った。戦いが終った後、将軍たちはこの三神の教えた言葉を奏上した。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】
勅して三神の品を上げて進めて祀った。