高市許梅

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名前
  • 氏(ウジ):高市【日本書紀】(たち)
  • 姓(カバネ):縣主【日本書紀】(あがたぬし)県主
  • 名:許梅【日本書紀】)許梅
生年月日
( ~ 天武天皇元年7月4日)
没年月日
(天武天皇元年7月7日 ~ )
出来事
  • 天武天皇元年7月4日

    吉野方の将軍大伴吹負金綱井(かなづなのい)に出陣した時、高市郡(たけちのこおり)の大領高市県主許梅は口を閉じて物を言わなかった。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】
  • 天武天皇元年7月7日

    三日後金綱井出陣の三日後。に神懸って言うには「吾は高市社(たけちのやしろ)に居る、名は事代主神である。また身狭社(むさのやしろ)に居る、名は生雷神である」と。
    そして神意を表して言うには「神日本磐余彦天皇の陵に馬や様々な武器を奉れ」と。
    また言うには「吾は皇御孫命(すめみまのみこと)大海人皇子を指す。の前後に立って、不破(ふわ)までお送り奉って帰った。今もまた官軍の中に立って守護している」と。
    また言うには「西道から軍勢が来る。慎しむように」と。
    言い終ると醒めた。

    それで急いで許梅を遣わし、御陵を祭り拝ませて馬や武器を奉った。
    また(みてぐら)を捧げて高市・身狭の二社の神を礼い祭った。

    その後、壱伎史韓国が大坂から来襲した。時の人は「二社の神の教えられた言葉はまさにこれであった」と言った。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】