天武天皇元年7月2日
衛我河(えがのかわ)の西で吉野方の坂本財らと戦い、吉野方を退ける。
河内国司守来目塩籠は不破宮(ふわのみや)に帰順する心があって軍を集めていた。 ここに韓国がやって来て、密かにその謀を聞いて塩籠を殺そうとした。 塩籠は事が漏れた事を知り自ら死んだ。
(天武天皇元年7月7日 ~ )
吉野方の将軍大伴吹負と葦池(あしいけ)の側で戦う。
吉野方に勇士来目という者があり、刀を抜いて真っ直ぐに軍の中に突入した。騎士がこれに続いて進んだ。 近江軍は悉く逃走した。追撃して多くを斬った。 将軍は軍中に命じて「兵を興した本意は人民を殺す為ではない。元凶を討つ為である。妄りに殺してはならない」と。
韓国は一人で軍を離れて逃げた。 将軍は遥かにそれを見て来目に射させた。 しかし命中せず、遂に逃げおおせた。