鳥之石楠船神

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先祖
  1. 伊邪那岐命
  2. 伊邪那美命
出来事
  • 伊邪那岐命伊邪那美命との間に生まれる。

    【古事記 上巻】
  • 伊奘諾尊伊奘冉尊蛭児(ひるこ)を生んだが、三年経っても足が立たなかった。それで天磐櫲樟船に乗せて、風に従って放流した。

    日本書紀第四段一書第一、古事記などでは葦の船に乗せて流している。
    【日本書紀 巻第一 神代上第五段】
    • 伊奘諾尊伊奘冉尊は鳥磐櫲樟橡船を生んだ。そこでこの船に蛭児を乗せて放流した。

      【日本書紀 巻第一 神代上第五段 一書第二】
  • 天照大御神の命令で、大国主神のもとに使わされた建御雷神に副えられる。

    この二神は出雲国(いずものくに)伊那佐(いなさ)の小浜に降り着くと、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて、逆さまに波頭に刺し立てて、趺坐その剣の先にあぐらをかいて、その大国主神に「天照大御神高木神の仰せによって、そなたを尋ねるためにお遣わしになった。『お前が治める葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が御子が治めるべき国である』との仰せである。そなたの心は如何であるか」と尋ねると、「私には分かりません。我が子の八重言代主神であればお答えが出来るでしょう。しかし鳥狩りや魚を取るために、御大(みほ)の岬に行って、まだ帰って来ておりません」と答えた。
    それで天鳥船神を遣わして、八重事代主神を呼び寄せて尋ねると、その父の大神に「畏まりました。この国は天神の御子に奉りましょう」と言って、その船を踏み傾け、天の逆手を打って青柴垣に変えて隠れた。

    それでその大国主神に「今、そなたの子の事代主神がこのように申した。他に意見する子はあるか」と尋ねると、「他に我が子の建御名方神がおります。これ以外にはおりません」と答えた。
    このように言う間に、その建御名方神千引石(ちびきのいわ)を手の先にささげてやって来て言うには、「誰だ。我が国に来て、こそこそと物を言うのは。それでは力競べをしようでははないか。まず私が先にそのお手を取ろう」と。それですぐさまその手を取ったが、氷柱に変化し、また剣の刃に変化してしまい、それで怖じて退いた。今度はその建御名方神の手を取ろうと反対に所望して、若い葦を掴むように握りつぶして投げ捨てると、すぐに逃げ去った。
    それで追いかけて、科野国(しなののくに)州羽海(すわのうみ)まで追い詰めて、まさに殺そうとしたとき、建御名方神は「恐れ入りました。私を殺さないでください。この地を離れては、他所には行きません。また我が父大国主神の命令を違えません。八重事代主神の言葉も違えません。この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、天神の御子のお言葉に従って献上致します」と言った。
    それでまた帰って来て、その大国主神に「お前の子の事代主神建御名方神の二神は、天神の御子のお言葉に従って違えないと申した。それでお前の心はどうなのか」と尋ねると、「我が子ら二神の言葉の通りに、私も違えません。この葦原中国(あしはらのなかつくに)は、お言葉に従って献上致します。ただ私の住む所は、天神の御子が皇位をお継ぎになる立派な宮殿のように、地底の盤石に宮柱を太く立てて、高天原に届くほどに千木を高くしてお治め賜れば、私は遠い遠い片隅の国に隠遁致しましょう。また我が子ら百八十の神は、八重事代主神が率先してお仕え奉れば、違える神はいないでしょう」と答えた。
    こうして出雲国(いずものくに)多芸志(たぎし)の小浜に宮殿を造った。水戸神の孫の櫛八玉神膳夫(かしわで)となって御饗を献上するとき、櫛八玉神は祈って鵜になると海の底に入った。そして底の泥を咥えて出てきて天八十毘良迦(あめのやそびらか)を作り、海布()ワカメやアラメなどの類。の茎を刈り取って燧臼(ひきりうす)を作り、海蓴(こも)の茎で燧杵(ひきりぎね)を作り、火を()り出して言うには、「この私が鑚り出した火は、高天原では神産巣日御祖命の立派な宮殿に(すす)が長々と垂れるまで焚きあげ、地の下は地底の盤石まで焚き固まらせて、栲縄(たくなわ)を打ち延ばした千尋縄(ちひろなわ)を、海人が釣った口の大きい尾鰭の張った鱸を、さわさわと引き寄せ上げて、簀が撓むほどに魚料理を献ります」と。
    それで建御雷神は帰り上って、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したことを報告した。

    【古事記 上巻】
    • 使者の稲背脚と共に、熊野諸手船(くまののもろたふね)に乗って八重事代主神を尋ねた。

      【先代旧事本紀 巻第三 天神本紀】